フェリーチェのブログ-十牛図



2009年の干支は丑・うしですね。


このところ数年


BSE問題に始まり


ミートホープの牛肉偽装事件と


牛のイメージは良くないものになっていますね。


諸悪の根源は人間の利益至上主義が原因になっているというのに


可哀相なうしです。



上の10個の円は十牛図です。


15年ほど前に購入して読んだ


「十牛図」(山田無文著)によると



路頭に迷った童子が牛(仏性)を見つけるための


旅に出ます。


はじめに牛を尋ねて出かけたら


牛の足跡を見つけ


牛を見つけ


牛を手に入れ


牛を手ならし


牛に乗って我が家に帰って来る


帰ってきたら牛を忘れてしまって


そこに自分だけが残る


そして、人も牛もともに忘れてしまう


松は緑、花は紅なるままの、天地がそのまま宇宙の本源であると徹すると


最後の「入てん垂手」


布袋和尚がでてきます。


これで終わりです。


以前読んだ時は


解ったようで、解らない


何とも妙な読了感でした。


10枚の絵に数行の説明文があるだけのものです。


7枚目まではなんとなく


解ったような気がするのですが


8枚目の絵にはただの○(円)


9枚目には川の脇に松の樹


10枚目では童子と布袋和尚


最後の3枚が難解でした。


今でも考えると眠れなくなりますが・・・・


時々、思い出したように読みます。


ただ、その時その時に


あっ!


といった感じをその時々に感じ


納得してしまう。


今までに100回以上読み返している


リチャードバックの「カモメのジョナサン」も


同じ感覚です。


「カモメのジョナサン」は3つのパートに分かれていますが・・・・


合わせて読むとジョナサンは十牛図の解説書といった感じです。


十牛図では最後に布袋和尚が


せっかく悟りを開いたのにそれを捨ててしまって


悩める人


苦しめる人


そう云う人のために社会のどん底に飛び込んで


社会の隅々にまで、


浄土を悟らせていく。


人の一生には春夏秋冬があるのですが、


その先にもうひとつ別の季節があるようです。



手はたれて足はそらなるおとこやま かれたる枝に鳥やすむらん



おとこやまは京都の男山八幡ですね。


手を垂れて、民衆と手をつないで、


この世で見捨てられたもの、


踏みにじられたもの、


かえりみられないもの、


そういう人たちと手をとりあっていく、


しかし、


足は空にある


自分の足は仏の世界にあるわけです。


自分の心は天国にありながら、


手は地獄の底に垂れている


そして枯れ木のように見捨てられたような人が


その手を頼りに鳥のようにその枝にとどまります。


人生のの「起承転結」


やはりこの先にも,


もうひとつやるべきことがあるようです。