ダーウィンの進化論について
何度か記していますが、
その中心となるのが「自然選択説」
環境に適応したものが生き残り、適応能力の低いと淘汰される
進化論の前提となっている
適者生存の考え方です。
今日の産経新聞にその考え方に進化実験の結果で
異論を唱えたのが大阪大学の四方教授。
要約すると、実験では、
二つの個体が敵対する状況で
一つの個体が相手の生活が容易になるように
形を変え、共生を始めた。
という内容。
様々な能力の集団を同居させて
生き残り競争をさせたところ、
本当に能力が高い集団だけが生き残るのではなく
能力が低いのに淘汰されず
能力の高い集団と共存するグループが現れる。
生き残るか、滅びるかの運命は
周囲との相性によって左右されるという結論。
以前、生物学者リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んだとき
その内容に考え込んでしまいました。
人間は自分が主体だと考えているが、
実は主人公は遺伝子であり
人間はその遺伝子に利用されているにすぎない。
また、遺伝子は利己的であり、
その遺伝子を繁栄させるために、
他者を犠牲にして勝ち残ったものが
現在、存在している固体である
といった内容なのですが、
人類のテーマは「愛と平和」であり
その本質は利他的な考え方です。
利己的な戦いに勝ち残ったものが
利他的な考え方を持っているのは矛盾なのか?
偽善なのか?
考え込みました。
利己的 と 利他的
性善説 と 性悪説
民主主義 と 社会主義
競争 と 協調
究極的には人智を超えた、神という大いなる存在の有無次第
わたしたちが生きている間にそれを知ることは出来ません。
死んだときに自分が肉体以外に存在したとき
それは、精霊の存在の結果であり
もし、何も無い、まったくの空っぽであれば
単に生命の終り
死を迎えることによりそれが明らかになるという考えに行き着き
それまでは解り得ないのだから
中立的なところより、ほんの少し、大いなる存在を信じる側に立って
利他的に生きていこうと思ったこと思い出します。
いずれにしても
善にしても悪にしても
真に自分の理想を追い求めて人生を送ることができれば
それは幸せなことだと思います。
「幸せであれ」
これが私たちに与えられた命題ではないでしょうか?