落語『時そば』としっぽく | きるろいの快刀乱麻を断つ

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温故知新 

主に近世日本と落語ネタを綴っていくことを目標にして開設。最近は食いもん系が多いです。2024年はちょっと慎重に動きます(`_´)ゞ

「卓袱料理」は名前は聞くけど食べた事がありませんね。

卓袱はあくまで「卓袱料理」であって支那の起源で長崎から広まった(らしい)。

そういえば長崎はまだ行ったことがありません。


江戸では「しっぽく」に擬えてちょっと具を入れた蕎麦を「しっぽく」と呼んだ。卓袱蕎麦とも違う、というよく要領を得ない解説がネット上には散見されますね。その中身・内容について解説しているのがありますが実態はよく分かりません。令和の今、蕎麦屋でやってる店あるのかなぁ。日本橋室町の『砂場』本店に「花巻き」はあるらしいが。


まぁ、いろいろ具が入っていて五目の日本蕎麦みたいなもんだろ。

ってことで代用品として先日蕎麦屋に行く機会があったから、「おかめ蕎麦」を頼んでみた訳です。

温かい蕎麦なら「鶏南蛮」と決めている私が珍しく別物を頼んだのには「おかめ」の実態を再確認する意味もあったのです 笑


しっぽくの具材として安永4年(1775)の『そば手引草』には椎茸、松茸、山芋、クワイ、麩、セリとあるが大体そんなところだろうか。幕末に著された『守貞漫稿』には玉子焼、蒲鉾、椎茸、クワイとなっており若干の動物系蛋白質が入りました。にしても昨日私が食べた鶏肉、玉子焼が入った「おかめ蕎麦」は違うものでありましたね。


落語『時そば』では設定がお代、十六文です。

ひと口に江戸時代と言っても260年余。物価、貨幣価値は時代によって変化するから一概には言えません。

がしかし、「文(もん)」という貨幣単位はやはり江戸時代でしょう。近代以降なら何円何十銭でしょうから。


先述の喜多川守貞の『守貞漫稿』によると、「楚波”」が代 拾六文

つまり、現代でいうシンプルな「かけ蕎麦」の値段が16文

ちなみに四行目、「天婦ら」は代 三十二文で2倍ですね。

一方、落語『時そば』に出てくる「しっぽく」は最後から三行目
「志川本く」がそれで、代 二十四文とあります。かけ蕎麦が十六文の時代に基本料金とはいきませんね。16文に対して24文ですからちょうど⒈5倍ですね。

問題はこの「しっぽく」の内容です。前述のように和風中華「卓袱」に擬えて形だけ具をちょっと載せただけなのか?それだと落語『時そば』と整合がとれます。しかしお代は16文ではありません。

『時そば』の演者によっては「鳴門🍥」が入っている場合もあります。鳴門🍥や竹輪を褒めたりけなしたり。具材が色々あった方が噺としては面白いから次第にそういう設定になっていったのでしょうか。ただ、ご案内のようにしっぽくは今の五目蕎麦のようにちょっとだけ贅沢品なので、落語『時そば』で蕎麦屋がお代を聞かれて「へい、十六文で。」というのは変だなぁと思ってしまいます。「ただの蕎麦」ではない訳ですから。ついでにいうと落語『時そば』の客の「何ができる?」に対し店主が「花巻きとしっぽく」と答えるのも変で一番安いふつうの蕎麦も出来ないはずはない。とするとやはりこの噺で「しっぽく」と呼んでいるのは十六文の「蕎麦」であったろうということで自分自身納得しました。入っていても具は竹輪(若しくは竹輪麩)くらいだろうと。

下記画像下矢印にありますように落語『時そば』の舞台は担いで移動する簡易な屋台です。

スペースも狭いのと重量の関係から、そもそも一軒屋の専門店のように沢山のメニューは用意出来ないでしょう。それで便宜上「しっぽく」と呼んでいる蕎麦の実態が十六文の「ただの蕎麦」だったというのが私の結論です。なんと後でWikipediaみたら同じこと書いてありました^ ^; ちなみに落語では「当たり屋🎯」ですが、この絵は「多可らや(宝屋)」になっていますね☺️


さて、今回はテーマ『落語』のつもりで書いていました。が、記事を書いている途中で急遽テーマを『古文書入門』に変更しました。上記のメニュー全部が気になったからです。最初の四十八文もする『御膳大蒸籠』なるものは蕎麦懐石のようなものでしょうか?屋台の蕎麦屋ではなく専門店のようですね。メニュー内容は以下の通り。

御膳大蒸籠 代 四十八文
一、楚波(そば)代 拾六文
一、阿ん可(か)けうどん 代 十六文
一、阿ら禮(あられ) 代 二十四文
一、天婦ら 代 三十二文
一、花巻起(き) 代 二十四文
一、志川(っ)本(ぽ)く 代 二十四文
一、玉子とじ 代 三十二文(只のそばの2倍ですか)
一、上酒 一合 代四十文

意外にもお酒が高いですね。灘、伏見辺りからの下りものでしょうか。まだ清酒は贅沢品だったのかな。
可→か、起→き、川→つ 等の用例については拙ブログ『きるろいの古文書入門』の変体仮名、漢字の崩し字が仮名として使われている解説を参照して下さい。

【追 記】
いわゆる「二八蕎麦」の語源について、
①蕎麦8割、繋ぎの小麦粉2割だから、というのと
②2×8=16文だったからという二説が有力です。
それについて、上記の喜多川守貞は江戸っ子はあまり食さないが蕎麦屋で饂飩も商っていた。基本は「かけうどん」でそれも16文で「二八うどん」と呼んでいたので、値段が由来であるとしています。確かにうどんは100%小麦粉なので蕎麦粉との割合は有り得ませんね。