横関英一先生の『江戸の坂・東京の坂』
ちくま学芸文庫
江戸は坂が多い。たぶん、この本を最初に手にとったのは随分と昔、忠臣蔵の『南部坂雪の別れ』で地図には南部坂が複数あったので調べた時だったと思う。それで、読み進むうち一般的に信じられている由来・語源が怪しいのもあることを知って地名の考察に一時ハマりました。
一例として六本木の芋洗い坂。芋屋があった説だが、芋屋があったというただそれだけで坂名になるのだろうか?
また現在では「芋を洗うような」の慣用句の誤解から人がごった返すほど賑やかだからと信じている人も多いようだ。
しかし、近世からあるこの坂名、麻布・六本木辺りは大きな武家屋敷こそあったものの、今のような繁華街ではなかったから『生馬の目を抜く』ようなことはなかっただろうと思う。
『おまえ麻布で気が知れぬ』
狸穴町の名の通り、当時は狸も出るような田舎だった。小泉八雲の『むじな』🦡は紀伊國坂だったでしょうか?
横関先生によると、この坂の途中に朝日天神というのがあった(古地図にも確かに出てます)。その天神様が疱瘡を治すご利益があった。いも(痘痕)を洗うのでイモアライ天神からイモアライ坂だったのが、いつしか表記が芋洗いに転じたのではないかということだ。
横関先生説が絶対ではないとしても、このように従来言われてきた俗説などを疑って調べてみるのは大変面白い
【おまけ】
東京の地名一般にはで紹介のこれもお薦め