5週連続「情報化月間」特集 ポスト・コンピュータ時代を語る 2015年、パソコンが消える!?
http://www.computernews.com/NonWeekly/710/20071008071011154754.htm


[BCN This Week 2007年10月8日 vol.1206 掲載]

求められる新たなコア・テクノロジー
デフタ・パートナーズ・グループ会長 原 丈人


SaaSとクラウド・コンピューティングの時代-原丈人氏(デフタ・パートナーズ・グループ会長)

 「2015年頃には、家庭やオフィスからパソコンが消える」--。IT業界に身を置く人たちにとっては衝撃的な論調を展開する『21世紀の国富論』を上梓したベンチャー・キャピタリストの原丈人氏に、「ポスト・コンピュータ時代」について聞いた。IT産業は、黎明期、成長期を経て成熟期を迎え、これから先はどのようになっていくのか。原氏が次の時代について語る、「パーベイシブ ユビキタス コミュニケーションズ(PUC)」というコミュニケーション重視の時代が到来するとする主張を掘り下げてみた。

 ──米国のシリコンバレーで企業を成功に導いた実業家を題材にして上梓された『21世紀の国富論』には、「コンピュータ時代」が終わるというショッキングな見解が示されています。

 原 「コンピュータ時代の終焉」を私自身が語り始めたのは1995年からです。マイクロソフトの「Windows95」が登場し、「ウィンテル(インテルのプロセッサとWindowsOSを搭載したパソコン)時代」が始まると喧伝されていた頃ですので、「何をバカなことを言っている」と、奇異の目で見られてきました。

 しかし、産業史を勉強した人なら分かることですが、永遠の成長産業や基幹産業はありませんよ。過去100年を振り返っても、先進国の基幹産業は繊維産業から鉄鋼産業へと変遷し、「黎明期」から「成熟期」までは、それぞれ約40年間でした。基幹産業とは、世界で何億人も雇用できるような「巨大産業」を指していますが、「成長期」が終われば、雇用を増やし続けることは不可能になりますし、新しい富をつくり出す力も弱まります。

 ──「黎明期」である95年に「コンピュータ時代の終焉」を主張されていたようですが、何か根拠があったのですか。

 原 1つは、いま述べた産業史的な視点。もう1つは「パソコンの使いにくさ」にありました。インターネットはコミュニケーションに使うネットワークであるのに、「計算をメイン機能にしたパソコンで対応できるのだろうか?」という素朴な疑問を抱きました。そこで、いろいろ研究してみたのです。その結果、パソコンを本当に使いやすい「コミュニケーション・ツール」に変えることは不可能だ、と。もし本当にコミュニケーション・ツールとしての機能を追求するなら、新しいコア・テクノロジーが必要だと考えるようになりました。

サービス業が盛況ならば、その産業は成熟の段階に

 ──しかし、インターネット時代に入った90年代後半には、「Amazon」や「Google」など、“新たなスター”が生まれたはずですが…。

 原 産業の発展プロセスを、「自動車産業」を例にとって考えてみましょう。産業革命を引き起こしたコア・テクノロジーは内燃機関、つまりエンジンです。エンジンを初めて見た当時の人々は、音がうるさく、臭いはするしで、動力として馬に取って代わるような存在になるとは、ほとんど誰も考えなかったといわれます。ところが、まずは機関車が実用化され、次に自動車、船舶、飛行機へと応用されていきました。

 エンジンは、乗用車やトラック、バス、オートバイなど多様な製品を生み出しました。1つのコア・テクノロジーをベースにして、さまざまな「アプリケーション」が登場したわけです。これら「アプリケーション」を利用して、トラック輸送業や鉄道業、航空業などが誕生しました。これらはサービス業としてくくることができるでしょう。サービス業が脚光を浴びる時代というのは、その産業が「成熟化」した証しなんですよ。

 ──この論理を「コンピュータ」に当てはめると…。

 原 そう、同じことがいえます。コンピュータの場合は、70年代にメインフレームとして発展し始め、90年代にパソコンが主役の座を占めるようになり、米国のマイクロソフト、インテル、オラクルなどが脚光を浴びました。この段階までは、コンピュータの「アプリケーション・メーカー」といえます。90年代後半、インターネットが普及し、「Amazon」や「Google」などが注目を集め始めましたが、これらを「IT企業」と呼ぶのはおかしいと考えています。誰かがつくり出した技術を利用して、サービスを提供しているに過ぎないからです。路線トラック会社やバス会社を「自動車産業」とは呼ばないのと同じ考え方です。

PUCという概念の本質は機械を人間に合わせること

 ──なるほど、いわれてみれば確かにそうですね。では、「ポスト・コンピュータ時代」とは、具体的にはどのようなものなのでしょう。

 原 私が考えた造語なんですが、「Pervasive Ubiquitous Communications(PUC)」と呼んでいます。「パーベイシブ」は使っていることを感じさせない、「ユビキタス」はどこにでも遍在するという意味です。このようなコミュニケーション機能こそが求められていると考えています。パソコンをインターネット端末に使うというのは、鉛筆を箸として使っているようなものです。要するに、人間が機械に合わせているのが、今のパソコンです。

 逆に、機械を人間に合わせる必要がある。この発想というのが「PUC」の本質です。コミュニケーション重視ですから、電話やテレビ、カメラなどの機能が集積されたモノになり、直感的に使えるインタフェースを持つ必要があるでしょう。

 ──パソコンもその方向に発展し得ると思いますが。

 原 (きっぱりと)無理です。パソコンというのは、あくまで計算するための機械です。パソコンを構成しているのは、マイクロプロセッサとオペレーティングシステム(OS)、クライアント・サーバー(C/S)型リレーショナルデータベース(RDBMS)ですが、これらをいくらいじっても、快適なコミュニケーションツールに変身させることはできないと思います。自動車をいくら改良しても飛行機にはならないのと同じです。

 「PUC」時代のコア技術としては、「次世代通信デジタル信号処理プロセッサ(cDSP)」「組み込み型ソフトウェア(EmS)」「ネットワーク・セキュリティ(NWS)」「P2P型ネットワーク」「ソフトウェア・スイッチ(SoSW)」「デジタル・ディスプレイ・コントローラ(DDC)」と、少なくとも6つの分野で技術革新が必要と考えています。 

 ──日本は、「ポスト・コンピュータ時代」に主導権を握れるのでしょうか。

 原 その潜在能力はもっていると思いますし、私自身がその方向で努力するつもりです。ただ、こんなケースがありました。私の出資する企業で、新時代の「ストレージ・マネジメント」に関して、次々と特許取得を果たしているところがあります。そのなかの技術全体を100として0・5%程度の技術を切り出し、ある日本の大手企業に売ろうとしました。

 ところが、その大手企業の担当者は「それだけ凄い技術ならアメリカの企業が目をつけているはず。米IBMなり米ヒューレット・パッカード(HP)などが関心を示したら、すぐ連絡してください。そうすれば、本気で検討します」と述べたそうです。これではダメだと思いましたね。実際、米HPに話を持ち掛けたところ、8億円を出資すると返答してきました。「PUC」では日本企業に主導権を握ってもらいたいという思いは強烈にもっていますから、その方向でもっともっと汗をかくつもりです。(BCN編集委員 石井成樹)
(週刊BCN 2007年10月8日号掲載)


シリコンバレーを代表するベンチャーキャピタリストが、日本の国情を憂えて筆を起こした本。企業買収やリストラに血道をあげるアメリカ経済界のやり方を、盲目的に追従していては必ず行き詰まると警鐘を鳴らす。ITの動向について縦横に触れており、「コンピュータを中心としたIT産業の終わり」など、業界にとってはショッキングな論点がちりばめられている。ストレージがテラバイトの時代になってもパソコンの使い勝手は向上しない、なぜならコンピュータの元々の発想は計算機だからという指摘には納得性がある。「中学生が理解できるような表現を心がけた」と執筆者本人が言うように、平易な文章が読み手の理解を助ける好著である。
(はら じょうじ)1952年、大阪生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、スタンフォード大学経営学大学院、同大学工学部大学院修了。1984年、デフタ・パートナーズを米国カリフォルニアに設立、ベンチャーキャピタリストとしてボーランドなど多数の企業を成功に導く。今年6月に上梓した『21世紀の国富論』(平凡社刊)はベストセラーに。


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