アメリカ軍が鉄の嵐と呼ばれるほど猛攻撃をした沖縄、日本全国への空襲、広島長崎への原爆。悲惨極まりない殺戮が繰り広げられたのは小学校高学年ともなれば知っているだろう。
だが、日本の軍隊による蛮行、自警団による朝鮮人虐殺など加害者としての日本の歴史や対馬丸事件は
意図的に隠されてきた感じがする。
対馬丸事件とは。。
いわゆる沖縄戦の半年以上も前の1944年8月。
サイパンが陥落し、アメリカの猛攻を予想した日本の軍事政府は、沖縄の年寄り、女、子ども10万人の本土および台湾へ疎開を決定し、沖縄県に要請した。
一般人を守るというよりも、軍人の食糧を確保し足手まといを無くすのが狙いだったという話もある。
それを受けて1800人ほどを乗せた貨物船対馬丸が長崎に向かう航行中にアメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受けた。船底に取り残された者たちはもちろん、海に放り出されたあるいは自ら飛び込んだ者たちも暴風雨の中、筏で漂流中に波に飲まれたり数日にわたる漂流で力尽きたりして、1500人ほどが命を落とした事件が対馬丸事件だ。死んだ1500人の過半数は児童だったという。
子どもを守るべき大人が、子どもを守るために正しいと思ってやったことが子どもを死に追いやる。やりきれない。
今も昔も、戦争推進者は戦争が正しいと思って。戦争に反対する者を処罰することが正しいと思って。反対の声を聞かないことが正しいと思って。
そうすることによって英雄になることを信じて戦争を推進する。
戦争の火種は小さいうちに消さなければ取り返しがつかなくなる。火種が大きくなり燃え上がると、正しい判断もできず、また正しい道もなくなる。
疎開船に乗らなかったとしても、沖縄で死が待ってたかもしれない。もうどちらが正しいかではなくどちらも正しくないところまで来てしまってたのだ。
---------対馬丸記念館を見学して
1年前↓
2年前↓
3年前↓
三重城タワー。なんだろう?と思ったら、海底トンネルである「うみそらトンネル」の排気口とのこと。この塔の真下に道路が走ってるのだ。
↓タワーを上から見たところ。Google mapより
↑メキシコの客船↓
神奈川の浦賀に来る前に沖縄に立ち寄ったんだ。↑
ペリーは。。。
巨大な龍柱↓左右2対ある。港からよく見える。