3コールで女の方が出た。

「こちら、深作眼科横浜院です」

「初めてなんですけど」

「白内障の手術でしたら半年待ちになるんですけど」

なに?いきなり。。数日前からの症状を伝え、すぐに診てもらいたい旨伝えた。

少し、待った後、あくる日の午後の検診に来るよう言われた。

その日は静かにしていたが、(夜には)左目の視界の左下の灰色の影がなんとなく大きく濃くなってるように感じた。そして暗闇で光る閃光。痛くも熱くもない。音もない。影のへりに沿って光ってることがわかった。視界を横に向けると黒い塊が素早く動く。

床につくと不安で不安でたまらなかった。

明日の午後など待っていられない。朝1番で行こう!

バス、電車と乗り継ぎ、眼科送迎バスに乗って到着。受付時刻前にもかかわらず、200人はいるだろう患者と付き添いの人数に驚いた。

あらかじめ紙に書いておいた、「経過、見え方」を「初診申込書」と一緒に提出。

「午後に予約したが待てずに来た」と告げた。これは待たされるだろうなと覚悟していたが、かなり早く呼び出され、いくつもの(7〜8種類)検査が待合と交互に続いた。

その間、何人ものスタッフに関わった。やがて、男のスタッフから検査結果の説明があった。思った通り網膜剥離。かなり緊急性がある。入院手術になる。できれば今日入院。無理なら連休後。うちでは硝子体手術をやる。

 

いきなり入院なんて心の準備ができてない。でも待ってる間に今日入院させてもらおうに変わっていった。

ようやく院長診察。私の前の子は小1。屋久島から来た子。ハサミでダンボールを切って遊んでた時、眼球を刺し、ヘリで九州のK大病院へ。緊急手術。1ヶ月経つが経過が良くなく、東京の大学附属病院で診てもらったがうちではできないと。もう、諦めかけたところ、深作眼科を教えられ、藁をもすがる思いできたとのこと。

目の中を覗きながら「こりゃあ、ぐちゃぐちゃだな。縫合がなってない。ここからどんどん漏れてる。だめだ、大学病院なんかで手術を受けちゃ。なんだこっちも縫合なんてもんじゃない」「これは、再手術やってみないとなんとも言えないが、だめかもしれないがやってみるか?やらなければ間違いなく失明だが。お父さんは?。。。ホテルで待ってる?なにやってんだ!大事な息子の運命がかかってるのに。すぐに呼んできなさい。話はそれからだ!」まるで母親が叱られてるよう。。なんて壮絶な会話が私の前で展開してるのか。。。

 

恐る恐る私の番。しばらく眼内をみて、検査結果のファイルを見て。先生「ん〜〜、検査の間に剥がれが進んでるなあ。真ん中まできちゃってる。なんでもっと1日でも早く来なかった?」私「昨日の朝電話したら今日の午後来るように言われた。待てないから今日の朝1番で来た」先生「スタッフがそんな対応してるのか。よく言っておく」先生「今日の手術予定は?」医療スタッフ「白内障が◯◯件、硝子体手術が◯件。全部で◯件です」先生「連休後だな。」私「なんとか今日できないでしょうか?」「助けてやりたいが、ベッドもない。夜中まで手術がつまってる。さっきの子もいるし。。今日はできない。」言葉は冷たいが苦渋に満ちた表情だ。人間味があると感じた。そして網膜剥離の概略、手術の概略も優しく教えてくださった。

連休は4日間。その間、絶対安静だ。頭を振ってはいけない。うなずくのもだめ。振動を与えてはいけない。寝るときは顔の左を下にして。。

送迎バスを降り、とりあえず、今日の生徒の親に自分の状況としばらく塾がないことをメールで送った。あ〜、1ヶ月近く休みだな。塾も運送の仕事も。ちゃんと見えるようになるかなあ?張りつめていたものが一気に緩み、不覚にも涙がどんどん溢れ出てきた。

 


 

 

秋の夕暮れ時、横浜駅の片隅だった。(その4に続く)

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