まもなく同窓会があるのである。
同級生のホリプロ社長の堀君とかが、お忙しい中幹事をしてくれていて、オリンピックイヤーに行うと決めておられるようなのである。
単にあたしはお誘いをいただいてついていくだけなのである。
あたし達は、私立の学校に通っていて、小中高と12年間も一緒だった気持悪い関係なのである。高校からは募集しない学校であったので、最低限でも6年間は純血主義だったのである。
しかも、男子校なのである。
個人的には、それで人生が変な方に曲がったようにも思うのであるが、今思えばそれも一興で、有り難い限りなのである。
とあるアポが同窓会と重なり、お断りしたことで思い出したのである。
で、あたしの出身校はどうやらそれなりのお歴々が先輩や後輩におられるようで、学校名を言うと、誰々が卒業生ですよね。とか言っていただくことも一再ではないのである。
最近は、サッカーが流行っているのか、サッカー選手の前田さんという方のお名前をよく聞かせていただくのであるが、申し訳ないことに、前田さんがどれだけ素晴らしい方かよくわからないので、「そうなんですよね~~」とか話を合わせているのである。
一時は、グッチ裕三さんとモト冬樹さんが出会った学校だとかも言っていただいたし、香川照之さんが一世を風靡した時には、それもかなり聞かせていただいたのである。
まぁ、先輩や後輩だからと言って、あたしが何か得をしたり人脈でも広げようと考えている訳でもないので、その方々が素晴らしいということで、お話しは終了なのである。
しかし、あたしが、高校生から大学生の時代は、あたしの先輩というと、この方で世間が一色であったのである。
それは、山本達彦先輩なのである。当時は凄かったのである。勿論、今も素晴らしい方としてご活躍のご様子なのである。
☆山本先輩のウィキ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E9%81%94%E5%BD%A6
何故か、この方には思わず先輩を付けてしまうのである。
確か、中三か高一の時に、音楽の授業で先生がテストとして、秋葉原でカラオケテープを各自が購入し一曲歌えという課題を課したのである。
ようやく8トラからカセットのカラオケが始まったかどうかの時代であったのである。昭和の出来事なのである。
アホなあたしは、石丸電気の売り場で舞い上がってしまい、山本譲二の「おまえに」なんて場違いな曲を購入してしまい、音楽室でがなったりしたのである。訳わかめであったのである。
でも、実際は9割方のクラスのみんなは、たった2曲に収斂してしまったのである。
ひとつは「恋人も濡れる街角」であったのである。つまりは当時最大のヒット曲なのである。これは致し方ないのかもしれないのである。
他方で、クラスの半分くらいが歌ったのは、山本達彦先輩の「ラストグッバイ」であったのである。
これは意表を突かれたのである。
「掌のキィホォ~ルダ~、合い鍵外しぃ~」と誰かが歌うと、次のヤツも「掌のキィホォ~ルダ~」と歌うのである。
山本先輩は、とても男前でサッカーも全国レベルらしくて、甘い声で新しい時代のジャパニーズポップスの貴公子であったのである。
その後、大学に入ったら、同級生の女子の方々からも山本達彦が云々と言われて、「どうして同じ学校を卒業したのにこうも違うのか」と嫌味を言われたのである。それも何人もいたので驚いたのである。
まぁ、あたしの良さをわかっていただけない程、山本先輩はオールマイティに見られていたのである。
そうこうしている内に時代はバブルに突入していったのかもしれないのである。昭和の出来事なのである。
確か、4年前も同窓会の案内をいただいた時に、山本先輩のことを思い出したのである。
で、この前も思わずYouTubeで山本先輩の曲を検索してしまったのである。明るくて、爽やかで、アレンジはキーボードチックでも、今カラオケで歌っても変ではないようにも思うのである。
パソコンからの方は、お暇ならご高覧いただきたいのである。1984年の山本先輩が「I love you so」という曲を歌っておられるのである。
http://www.youtube.com/watch?v=qtajlqU28d0
そう言えば、47歳で亡くなったあたしの前の番頭君は、自分の永遠のライバルは郷ひろみであると公言していたのである。
あたしも、山本先輩の足下に少しでも及ぶように研鑽に務めたいものなのである。
雪風拝