一連の経済の世界的混乱の中心的役割をイメージすると、必ず米FRB議長の名前が登場する。

 今回のリーマンショックについては、グリーンスパン前議長の判断がどうであったとか、現在のアメリカの経済政策にはバーナンキ現議長の判断がどうなるのか、それが市場が注目して反応をする前提として、常に彼等の役割が中心であるように捉えられている。

 何故、そのような人物が国家元首の発言よりも注目を浴びることがあるのだろうか。。。。


 それは現在の過剰流動性が当然となったボーダーレスの世界経済の中では、ブレトンウッズ体制以来の世界の基軸通貨たるドルの中心人物という役割に加えて、通貨発行量に対する権限を持つ役割を持つ人物に対して注目が集まるように経済理論の原則が変わってしまっているからだと言えるだろう。

 つまり、政府が権限を持つ財政政策と並び称される程、金融政策としての通貨供給量調整が重要な要素となってきているのである。

 ノーベル経済学賞も受賞したマンデル等の提唱する「マンデル・フレミングモデル」では、現在のような経済恐慌の時期に安易に財政政策だけが昂じるとむしろ逆効果を生むということを証明している。

 政府が赤字国債を発行してまで財政出動をすると、当然長期金利が上昇して自国通貨が高くなり、輸出が減り輸入が増えることで経済効果そのものが海外に流出してしまうのである。

 更に、一部の研究では、第二次大戦前のニューディール政策や大戦による所謂「有効需要」の創出よりも、金融政策による通貨量操作の方が有効であったはずだとも指摘されている。


 その強大な権力である「通貨発行権」は、殆どの国で民主主義の機能外である独立した組織によって決定されるルールになっている。

 アメリカではそれを「連邦準備制度(Federal Reserve System・FRS)」が担うことになっており、全国各地に12の連邦準備銀行がある。それらを統括するものが、「連邦制度準備理事会(Federal Reserve Board・FRB)」なのである。

 その議長の発言や理事会の決定が注目されないはずは無いであろう。


 日本では、その役割を「日本銀行」が担い、通貨発行権を政府から独立した組織として一手に握っている。

 因みに、日本銀行は政府が株式を所有しているが、株式を上場して市場公開している組織であり、アメリカの各連銀に至っては、政府が株式を所有すらしていない。つまり、公的機関というよりも、民間企業の位置づけとなっているのだ。

 現在、アメリカでは2006年以降、政府が通貨供給量を公開することをしていない。代替指標としてセントルイス連銀がMZMというM1とM2の中間のような通貨供給量を発表しているに過ぎない。

 その指標http://research.stlouisfed.org/fred2/series/MZMも、近年鰻上りであることは言うまでもない。


 翻って、日本の日銀(日本銀行)も、アメリカの政策を横目で見ながら、各種の流動性政策を採っている。

 金融機関が所有するCPや株式を購入するであるとか、政府が発行する国債を買い支えるとか、一定の効果があるものもあるだろう。


 しかし、通貨供給量についてはhttp://www.boj.or.jp/theme/research/stat/money/ms/、アメリカのそれと比べて、異常な低い伸び率となっている。

 リーマンショック以降、経済の実力以上に円高が急速に発生した。それに対して一部識者は、日本の経済が盤石であるからであるとか、日本が一番これらの金融危機に影響が少ないからであるとか論じた。

 しかし、それはこのボーダレス経済においては、円高に大きく振れる理由にはならないと筆者は感じる。

 また、日本の低金利に基づく「円キャリー取引」がかなりの規模で広がり、その返済等のまき直しが、日本を円高にしたのだという説もある。

 実は、筆者もこの見解を持っていたのだが、それだけではこの長期間円高が続くことへの説明とはなりにくい。きっかけとしては正解であろうが、別の大きな要素があると見ることが自然である。


 それが、日銀による通貨供給量の抑制にあるのであろう。

 日銀側にも論理はある。長期間に渡る低金利とデフレーションにより、日銀は先進各国に先駆けて量的緩和を行ってきた。

 そこへ一昨年辺りからのCPI(消費者物価指数)の落ち着きを以てしてデフレが終息したと解釈して、量的緩和を解除してしまっているのである。

 しかし、このような説もある。

 日銀の勘案するCPIは日本独自のもので、エネルギー価格が反映しやすいようになっていると言うのだ。当時、中東の情勢やBRICSの台頭によりエネルギー価格が高騰していたことを読み込みすぎて、まだ国際基準ではデフレの状態のまま誤った判断をしたのではないかというものである。


 いずれにしても、現在の日銀の判断する通貨供給量は、国家の経済対策等の財政政策とはリンクせず、「マンデル・フレミングモデル」言うところの逆効果を生んでしまっていると批判されても致し方無い面があるのである。

 今後の日銀の金融政策に注目したい。


 もうひとつ注目したい事項がある。一部国会議員から、「政府発行紙幣」の検討が再三提起されていることである。

 これは日銀の独立性を維持しながらも、政治が通貨発行権に対して権限を持つという意志を表明しているものである。

 現実的には、日銀の発行券と政府の発行券が両立すれば、それは「ダブルスタンダード」を生み、経済取引の混乱を来すであろうことは言うまでもない。

 簡単に言えば、ひとつのモノに対して、券面による二重価格が発生するということになるからだ。

 しかし、それを政治学的に解釈すれば、日銀の金融政策の独立性に一石を投じる行動が表面化する程、日銀の政策に対して諸議論があり、かつ注目が集まっているという証左となる。

 政治的力学としては、日銀もしくは行政からは、政府に通貨発行権を渡せば、民主主義の名の下、無闇な通貨供給が行われるという専門家的な観点があり、政府もしくは政党からすれば、この未曾有の経済混乱に対して、国民の声に応え、短期的な経済浮揚を理屈抜きに目指すべきであるとの信念があるのであろう。

 
 それでは、この両者をフュージョンさせることは難しいのだろうか。

 筆者はそうは感じない。

 政治が独自の物価安定への指標を明確に持ち、その上で運用や判断を日銀と連携すれば良いのである。至極当然な結論であろう。

 政府もしくは政党が、専門家と連携すれば、独自のCPIの策定は可能であろうし、それを政策として合議し、政府が物価に対する判断基準を明確化して国民に示せば良いのである。

 例えば、CPIのレンジをプラス1~3%の範囲内にすると明確に定めて、それまでは量的緩和を行い、それ以上になれば量的緩和を止めれば良いのである。


 勿論、政府にそれくらいのことがわからないはずもない。世界各国でも普通に行われている政治的所作でもある。

 
 最大の問題は、その「当たり前が当たり前に行われない」民主主義が、日本で通用しているという事態そのものだろう。


                                 (了)