多忙にてコメントすら入れておりませんが、今暫くご容赦くださいませ。


 三題噺となりましたが、直近のこれらの話題には、現代日本社会の縮図のような状況が濃縮されているように感じます。


 まずは、一頃大きな話題となり、福田内閣が消費者庁を創設すると言い出したきっかけとも言える、天津での餃子事件です。

 以前も書いたかもしれませんが、これは刑事事件の類ですので、中国側も被疑者捜しをすれば良かっただけなのですが、一説では、天津の地方政府の息がかかった企業であったことから、彼等が中央政府に無断で「一切関係ない。日本でのことであろう。」と言い切ってしまったことから、話が混乱してしまったとも言われています。

 ネット関係でのナショナリズムの盛り上がりに、結局中央政府も知らぬ存ぜぬを決め込んだ為、中国国内では報道して良い格好のネタとして、春先の新聞等を大いに賑わせてしまったのです。


 そこへ、ここへきて、中国国内でも餃子被害があったことが判明してしまいました。(中国当局は「天洋食品」とは明言せず。)

 しかも、どうやらサミット直前に中国側が、在中国の日本大使館に情報を入れた為、報道によれば福田内閣が中国側に配慮して、報道を遅らせて、今になって発表をしたと言うのです。


 いやはや、意味のわからない配慮です。


 発表しないで、隠蔽するのも、大問題ではありますが、どうせ発表するものを遅らせてしまったら、発表後に叩かれるのは、火を見るよりも明らかです。

 中国警察当局と対峙した、本邦警察庁のメンツなども丸つぶれの話でしょう。正しかったなら、すぐに発表して、中国側の趨勢を見守ると言うのが筋だと思われます。


 次は、桐生一高の問題です。

 これも直前の処分を高野連が回避し、一回戦に登場した同校が敗戦したことで、かねて交代した部長先生だけでなく、野球部監督さんも辞任を公表して、未処分にて終了ということになりそうです。

 わざわざ甲子園まで勝ち抜いた出場選手の皆さんへの配慮ということで、美談のように語る向きもあるようですが、ボクにはそういう問題にはどうしても見えないのです。


 これが、甲子園直前で無ければ、間違いなく処分されていたと思うからです。

 しかも、万引きや暴力事件も問題ですが、今回は部員の「強制わいせつ」という、かなりインパクトのある出来事です。

 いつ起きた事件であるのかは公表されていませんが、もしも直近に起きたことであるなら、突発的に起きる類ではなく、概して計画的な事件であることからも、甲子園に出られない部員だったとしてさえ、時期的にも無自覚に程があるというお話しです。


 勘ぐりを許していただければ、それでも出場を止めなかったのは、お金をかけて見に来たりした方々からの損害賠償等の面倒くさいクレームが発生しないようにしたように、感じられてなりません。

 報道では、桐生一高さんは、公立高校風の校名ですが私立学校で、やんちゃな生徒が多いという話以前に、監督さん以下が放任的指導をしていたという話もあります。

 不幸な出来事ではありますが、一貫した対応を高野連もしていただきたかったところです。

 因みに、八つ当たりではありませんが、ウチの高校の軟式野球部は夏の大会の予選の試合前に、部員が別の試合の審判を手伝う約束であったにもかかわらず、電車の都合で遅刻したところ、何故かウチの高校が失格となり、不戦敗となりました(泣笑)

 これも連盟さんのご方針ということでしたので、レベルの違う話ではありますが、心に引っ掛かってしまっています(笑)


 最後は、先日はっきりとは書かなかった「麻生氏の幹事長就任」の裏話です。

 早速報道では、福田氏が解散をする前に、麻生氏に政権を禅譲すると話したと伝えられています。

 つまりは、そういう話でも無い限り、ちょっと考えにくい流れだと思うのです。

 麻生氏は、反小泉氏を謳いながらも、安倍前首相とは近い存在として活躍をしていました。

 福田内閣は、小泉氏の方針を否定も肯定もせずにここまで来ています。可哀相にはっきりとした方針が出しにくいこともあるのです。

 とは言え、福田氏の立場は建前的に小泉氏の流れの一人にもかかわらず、雰囲気としては小泉氏と逆の流れを作る人事を心懸けています。

 しかも、今回も与謝野氏を入閣させたり、中川秀直氏を使わなかったりしましたので、方針を打ち出せないのは、福田氏の両睨みが原因であることは明白です。


 その福田氏が、次に反小泉系である麻生氏を尊重したということは、事実だとすれば、党内的には非常に冒険的な行動であり、かつ麻生氏を好まない人々を刺激することにもなります。

 直ぐさま政権を投げ出すつもりなら兎も角、麻生氏の人気に頼ることと引き替えに、この後の自分の政権を党内に支えてもらうことをどのように考えたのかが、大いに疑問です。


 さて、この三題噺に共通する事柄は、「筋を通さず、目先の損得やしがらみに走って、却って不自然さを出してしまう」ということです。

 誰でも、目先がまずは大切ですが、目先に走り過ぎると、一貫性が失われますので、益々体制がバラバラになることが、よくあるケースです。

 中国当局のような体制のところでさえも、こんな時代にバツが悪いことをすることは、得策とは到底思えません。日本であらば尚更です。

 自分の意地や誇りを失って、目先の損得やつまらない面子に拘ることは、長い目ではとっても危険な危機管理手法なのです。


 ボクとて、他人様を笑えた義理ではありませんが、日本社会全体の中で、この手のことが頻発して、大局を見失うことが無いように願うばかりです。

 景気も後退し、財政の苦しい日本政府からの打てる手も少なくなるこれからに、何にフォーカスして、何を捨てるかということは、とてもとても大切なことのように思います。

 限られた労力です。せめてボク等だけでも、日常大切なものをしっかりと見極めて行きたいものです。

                                  雪風拝