かなり以前から、本格的に英語学習をするぞっ!と宣言してまいりました。
英語の歌を含めて、ステキな曲をブログにアップしたりと、周囲からもその鼻息の荒さを指摘されたりもしておりました。
その割りには、最近とんとそういう雰囲気が無いじゃないかと、訝(いぶかし)しがる向きもあるようです。^^
しかぁし、
それなりにちゃんと着実に歩き始めております。(笑)
そもそも、前の番頭が47歳でガンで亡くなった際に、あれこれの経緯から決心したことであったのですが、どのようなアプローチをしたらモチベーションを維持して続けられるかを悩んできました。
その流れで、敬愛するNoriのスクールにも通って、修了証をいただきました。
そうしていたところ、偶々ある関係から個人レッスンを受けてくださる納得の行く素晴らしい先生と出会ったのです。
この手の所謂「習い事」というものは、「この先生のようになりたい」という気持ちが湧いた方とやらせていただくことが理想です。
その先生は、お話しを偶々お伺いして、指導スキルが素晴らしいことがわかったのですが、何より英語というものの「位置づけ」というか「活用イメージ」が、とても等身大で納得が行ったのです。
かなりお忙しい先生なのですが、その先生もボクと波長が合ったのか、定期的なご指導を受けてくださいました。
よく言われることですが、「そう信じて動いていると、自ずとそういう流れがやってくる」という言葉を思い出すような自然な流れでした。
とってもラッキーだったと思います。
その先生のご指導が、徐々に開始されました。
事前に擦り合わせをした上で、先生が当面の目標として掲げてくださったのは2点でした。
「発音や英語のビートを正しく体得すること」
「こなれた簡単な表現が簡単に口に出て来ること」
この2つは、要すれば「簡単なことをしゃべれること」ということになります。
先生によれば、しゃべれれば聞き取れるようになるし、しゃべれればボキャブラリー(語彙)は後で段々と増やせると言うことです。
後は、スパイスとして「正しい文法でやること」が重要だと仰有ってくださいました。
それを無視してテキトーにやっていると、しゃべる時には誤魔化せても、聞く時に類推も利かなくなるし、少ししゃべれるようになると、今度は壁にぶち当たってしまうからだそうです。
先生とレッスンを始めて見て実感したのは、先生は会話の持つ「感情表現」に拘っておられるということでした。
Do you love me?という言葉も、状態や感情の込め方によって、様々な表現があると先生は仰有います。
詳しくは割愛いたしますが、Don't you love me?と聞くのと、You love me,don't you?と聞くのと、You don't love me,do you?と聞くのでは、それぞれ状況も意味合いも、感情の表現も全く違ってくるのです。
それを理解しながら進むことは、丁度標準語で淡々と会話を味気なくするのではなく、くだけた話し方や方言を使ってフランクに話していくことの違いに相当するのですから、全く仰有る通りで感激しました。
当たり前の言葉でも、こうしていけばきっと、あれこれ応用も利くようになることでしょう。
実は、ボクはテキトーにしゃべるだけならある程度出来るつもりでいました。それも小学生の作文のように味気ない会話ではありますが。。。
しかし、それも幻想でした。外国人の方にお会いする際に、無意識の内に「予め用意をしていたり」、「質問をして相手にしゃべらせたり」、「わからなければ話題を変えて」いたのです。
先生から、咄嗟に質問されたら、全て詰まってしまいました。(笑)
しかし、まだまだこれからです。怖じ気づいてはいけません。
現に、会話のテープを聞いた時に、全然文意が掴めない会話であったものが、先生に解説していただいて、自分で口慣らしをしてから、再び聞くと、答えを知っているとは言え、細かいところまで聞き取れることがわかりました。
かねて文章が付いているテープを聞いた時には、答えがわかっていてもそんなことが無かったので、驚きです。^^
いずれにいたしましても、大学受験とか定期試験のようにゴールがある訳ではありませんので、じっくりと楽しみながらゆっくり上達していきたいと感じています。
また折に触れて、英語学習被れのブログもあるかと存じますが、上記の修行中に免じて、何卒ご寛恕くださいませ。
どうもありがとうございました。
雪風拝