「ナラタージュ」が教えてくれたこと | 嵐ごと時々息子ちゃん&自分ごと

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今夜はFNS歌謡祭ですが、その前にずっと下書きしたままアップするタイミングを逃していた記事をアップします。

ちょっと暗いというか、重めの私の人生のこと、映画を観て気付いたことを書いていますので、ご興味ある方だけ先へとおすすみくださいm(__)m

自分自身へのメモ的記事なので、全然読まなくてOKです!

 

***

 

今年は、嵐さんが出演する映画が3本もあったもので、息子ちゃんが生まれてから初めて映画館に足を運びました。

 

「忍びの国」を2回、「ナラタージュ」を2回、「ラストレシピ」も2回。

そして、近くにオープンしたイオンシネマで「神様のカルテ」のワンコイン上映があったので、「神様のカルテ」「神様のカルテ2」と合計8回。

 

8年ぶりの映画館はより快適になり、スケジュールもネットで簡単に確認でき、座席だって選んで予約できちゃう進化を遂げていました。

 

そんな映画の世界を経験して、舞台挨拶のライブビューイングなんてものがあることも知ったし、上映が続いていくうちにだんだんと夕方から夜の上映になり、上映が終わっていくことも知りました。

 

まだ「ナラタージュ」も「ラストレシピ」も上映中ですが、夕方や夜の上映なので、映画館に足を運ぶことはできません。これで私の2017年の映画館での映画鑑賞はおしまいのようです。

 

そんないろんな新しいことを教えてくれた嵐さんたちの映画ですが、私が離婚をしてからずーーーーーーっとモヤモヤとしていたことの「こたえ」を「ナラタージュ」が教えてくれました。

 

***

 

その「こたえ」は、2度目にナラタージュを観終わったときに、自分の心にストンと落ちてきた感じです。

 

1回目はストーリーと葉山先生の演技を追いかけるのが精一杯だったけれど、その1回目を観終わってしばらく自分の中で反芻したり、熟させたりしてから観た2回目は、1回目には気付かなかったことがたくさん観えました。

 

スクリーンの真ん中よりちょっと上の位置にくるJ列から、少し見下ろすようにして観た2回目のナラタージュ。

 

あっ、ここからネタバレっていうほどのストーリーじゃないけれど、結論みたいなことが書いてあるので、ネタバレ回避がまだ必要な方はここでおわりにしていただけたらと思います。

 

 

 

 

 

2度目に観て、改めて感じ、改めて気付いたんです。

 

葉山先生の弱さ

泉ちゃんの苛立ちや強さ

葉山先生がなぜあんなに謝っているのか

この恋愛に助けられていたのは実は葉山先生の方だったんだ

 

とかとか。

 

エンディングで職場の同僚である宮沢さん懐中時計に刻まれた文字のことを教えられ、そして止まっていた時(時計)が動き出したシーンから、泉ちゃんの気持ちが前に向かって動き出したと私は解釈しています。だからこそ、どうして最後に泉ちゃんは前に進めたのだろう?って、すごく考えたんですよね。

 

なぜなら、私はいまだに元旦那さんとの離婚を乗り越えられていないから。

いや、乗り越えているのかもしれないけれど、いまだに元旦那さんを許すことができずに、息子ちゃんの面会や学校行事で顔を合わせなくてはいけないことが本当に辛いから。

 

葉山先生と泉ちゃんのような激しい恋愛ではなかったけれど、出会った瞬間にこの人と結婚するかも!と感じ、遠距離恋愛を経て結婚した旦那さん、一生続けると思っていた東京でのキャリアを捨ててまで海なし県にやってきて結婚をするほどに好きだった人なのに、いまだに許すことができなくて、顔を見れば怒りなのかなんなのか自分でもわからない感情がこみあげてきます。

 

息子ちゃんを一人で育てる毎日。

 

ママ友が実家や旦那さんに子どもを預けて夜集まるときに声をかけられても私は行けません。そのたびに、息子ちゃんを父親のところに泊めればいい、みたいなことを言われます。でも、朝から夜までの面会はなんとか許す気になれても、息子ちゃんを父親の家に泊めるのは絶対に無理な私。そうすると、もう離婚してから何年も経つし、いい加減に許していい友だちに戻らないとしんどいよ、みたいなことも言われます。

 

まあ、周囲の人の言い分もわかるし、私も努力をしてはきたんです。でも、どうしてもできなかった。そして、その理由がわかりませんでした。もう何年も悶々と悩んできたこと。

 

それが「ナラタージュ」を観終わったときに、「あ~、これが理由だ」って思ったんです。

 

その理由は、「元旦那さんは私に一度も「ごめん」と言ってないから」

 

離婚の原因は両者にあるものだし、中には考え方や価値観の違いもあるから、何もかも元旦那さんが悪くて、謝って欲しいわけではありません。

 

でも、離婚を決めて、ある日曜日の朝突然、発達障がいの疑いがあり専門医の診断を受ける日を目前にした息子ちゃんと、その診断を前に不安でいっぱいの私を置いて家を出て行った元旦那さん。「ごめんなさい」と謝らなくてはいけないことがゼロではないと思うんです。

 

私は元旦那さんに伝えました。「結婚生活がうまくいかなくてごめんなさい」「いい奥さんになれなくてごめんなさい」「幸せにしてあげられなくてごめんなさい」とか、私がいつも息子ちゃんに思っていることは「たった2人きりの家庭になってしまってごめんなさい」「お父さんのいない家になってしまってごめんなさい」とか。

 

この中の1つでもいい、元旦那さんが謝ってくれたら、私の気持ちも楽になる気がします。でも、元旦那さんは絶対に謝らない人。だから、「あ~、私は一生元旦那さんを許すことはないんだろうな」って。元旦那さんの中では「自分は悪くない。私が僕が思っているような奥さんではなかった」という結論なんだと思います。

 

「ナラタージュ」を観るまでは、「息子ちゃんのために息子ちゃんの父親である元旦那さんを許さなくちゃいけない。でも、なぜだか許せない。どうして?」と悩んでいましたが、観終わって「許したいけれど、元旦那さんは絶対に1つも謝らない人だから、私が許すことは無理なんだ」という考え方になり、そうしたら気持ちが少し楽になりました。

 

息子ちゃんのためには、元旦那さんを許して、もっと両親として一緒に支えてあげたいけれど、東京で仕事をしていた私が仕事を辞めてこの海なし県に来て、里帰りもせず出産し、障がいを疑い出して不安な私を息子ちゃんと二人置き去りにしたこと、私は許すことができずにいます。

 

だからこそ、そんなことに対して、「幸せにしてあげられなくてごめん」って言葉が聞きたいんだろうな、私は。

 

そして、その言葉が元旦那さんの口から出ることは絶対にないから、私は一生許せないまま過ごしていくことになるんだ・・・と、映画の中で「ごめん」を繰り返す葉山先生の「ごめん」の意味を考えながら観ていたら思いました。

 

私が一生聞くことのない「ごめん」

 

「ごめん」を連発する葉山先生の「ごめん」は、弱い自分で「ごめん」、泉ちゃんに甘えていて「ごめん」みたいな、自分の弱さに対する「ごめん」な気がして、そんな「ごめん」が聞きたいな~って思いました。

 

解釈が間違っているかもしれないけれど、葉山先生の「ごめん」を聞いていたら、そんなことを思ったある月曜日の午前中(そんな時間からナラタージュ観てました)でした。

 

***

 

完全にプライベートなことだし、離婚に絡んだ重い話題でごめんなさいm(__)m

 

でも「君の名は」を観終わったときには、ここまで重くなくてもいいけれど、何かこんな感じの「こたえ」が残らなかったけれど、ナラタージュは私に1つの「こたえ」をくれた。

 

そんなことを残しておきたいと思って書いてみました。

 

最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございましたm(__)m