「蛙声」が生まれるまで | BERG(ベルク)のブログ

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日々の想いをつれづれに・・・

中原中也の制作ノートを読んでいたら
かなり何度も推敲を繰り返していた人だとわかりました。

「詩」と「ノート」との違いを改めて思います。

自分のなかで「詩」として昇華されるのを待って、
ようやく世に送り出しているような感じです。

「コトバ」って重くもあるけど軽くもある!
内側でふっと浮き上がって来るもの。

推敲を何度も重ねても上手くいかない作品は
時間ばかりかかってどうしてもダメドクロ
それでもなんとかしようともがいてみる・・

ようやく諦め、改めて書き直すと
 嘘のように呆気なく出来上がったりもする目

だからもがいた時間は無駄じゃないんですね!

もっともがいて、
そこから抜け出せるように頑張りたいと思いますp(^-^)q

もうひとつの『蛙声』について

先日shokeiさんがアップした中也の「蛙声」には、
その下敷きと思われる
もうひとつの「蛙声」があったのですね(ノートですが)


別人が書いたような詩・・(比べてみてにひひ

でもこのプロセスは共感できます!

面白いので紹介します。

「蛙声」

郊外では、
夜は沼のやうに見える野原の中に、
蛙が鳴く。

それは残酷な、
消極も積極もない夏の夜の永遠の儀式(宿命)のやうに、
毎年のことだ、今頃になると(ことだ)、)

郊外では、
毎年のことたのことだ今時分(時分)になると沼のやうな野原の中に、
蛙が鳴く。

月のある晩もない晩も、
ない晩もいちやうに厳かな儀式のやうに義務のやうに、
地平の果(に)まで、

月の中にまで、
泌々しみこめとばかり廃墟讃(歌)を月に向かって捧げる(が)如く、

     ①しみこめとばかり廃墟 (礼)讃(の歌)を捧げるが如く、
     ②しみこめとばかり廃墟礼讃の歌を捧げるが如く、(の唱歌の如く、(やうに、))



蛙が鳴く。