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- 闘病記 多発性骨髄腫 まなび
多発性骨髄腫 9年の戦いの幕引きです。
4月13日 3:15 父 永遠の眠りにつきました。
帰りたがっていた退院叶わず、病院にて、5日の日記のときから一週間後の木曜日見舞いに行った時は
息するのが苦しいらしく、酸素チューブを鼻からしていた。
話しかけても、、、たぶん、わかっていない状態。
その後母から何度か電話。
医者からも「今週もつかどうか」てきな話は聞いていて、なんとなく覚悟はしていた。
世間でいうとおり、病院は3ヶ月以上はいられない。転院先を考えるのも、あたまのいたいこと。
母はまして、車の免許がないため、見舞いに通うのはとても大変な人。
血液の専門科のある名古屋の日赤のときは、私たちが自営のおかげで、父の病院への
送り迎えがなんとか、できていたから。
その環境もかわり、父も別病院に移ってから、母はしばらく1人で、慣れない病院通いのため、
電車とバスを乗り継ぎ間違えたりしたらしい。