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- 闘病記 多発性骨髄腫 まなび
とうとう緩和ケア病院に移ってから、しばらくしてから、私は父の様子があまりよくないことを母から聞いて、
とついでからはじめて、1人でバスと電車で病院へ見舞いに行きました。
4回ほど、毎週 通った。
病院食がなんとか食べられたときの父は、とても楽しそうだった。
ところが、、すぐにもどしちゃった。本人も口の中が血だらけで、一生懸命それでも
がんばって、お腹のなかにいれたものが、ぜーんぶ、出てしまったことに、がっかりして、
「もういい」とふせてしまう。
どんだけ虚しい気持ちだったろう。
声かけるのも、どうしていいのやら。でも、見舞いにきたからには、なるべく明るく接して帰ろう。
と毎回思ったのです。
悔しくて悲しくて、、トイレで泣いて、そして、笑うのです。