久しぶりに人が多く集う場所に出かけたら、私の目には以前よりも「色々と見えること」が増えていることに気づき、それが「今の世の中が荒れているからこそ起こった事象」なのか、はたまた「私にとっての、見える、ということに対する精度が高まったからこそ起こった事象」なのか、そういったことをぐるぐると考え込むきっかけになりました。
で、外出から帰宅した後、
しばらくレムリアの皆とあれこれと話をした結果、どうやら「私の見える精度が上がっている」と考えたほうがしっくりくるかなあという結論にはなったのですが、私としてはどれだけ「見えるなあ」と感じたとしても、その対象である御本人が「知りたい」とおっしゃることがない限り私の方からお伝えすることは出来ませんし、だから「ああ、少し心配かも」と感じるようなモノが見えるかたに遭遇した場合は、その姿を眺めながら「どうかお気をつけて」と願い祈るしか出来ないのですが。
そういうことを考えた時、ふと「しかし、他のかたがお持ちになっている光やオーラ等は見ることが出来るのに、私自身のことは全然見えないのは何でなんだろう?」ということを考えつつ、同時に「いや、やっぱり見えないほうが幸せかもしれないなあ」ということも考えるに至った次第です。
私がどうしてこういう考え方に至ったのかといえば、その理由としては「自分以外の現世地球人のかたと接触するのは時と場合によるし、つまりは常に一緒という状況ではない場合も多いけれど、自分自身に限ってはどんなときもずっと一緒に生きていることになる」というのが、その主たる理由になるのかな、と考えているのですが、
やはり私は「少しばかり不思議な力に恵まれてはいるけれど、現世地球人であることにも変わりはない」ため、どうしても「現世地球人的な一般論」は己の思考から抜けきりませんし、そういった感覚は今も持ち続けている。
ありのままの自分を受け入れつつ、
それでも、一人の現世地球人として、そして妻として母としての「己の立場」ということに対する考慮。
その影響が、今の自分にもあり続けているのだな、と。
そういうことにも気付いたし、また新たな気付きを得たことはありがたいことだなあと思いました。
ちなみに、
私が持つこの「見える力」のことは夫も知っていて、一定の理解もしてくれているのですが。
(だから私は、たまに夫の方から「この人どう思う?」とか「この人何か見える?」等という、職場の人間関係の相談を受けたりもします)
夫の話だと「でもさ、今ほどの精度では無かったかもしれないけど、ベルタンは昔から人や場所に対して直感的な感想を言う事って多かったよね。ちょっと怖いから近寄れない〜とかあったでしょ」ということなのですが、
そ、そうだったっけ???
(というか、私の力うんぬんよりも子どもが不思議くんだったから、そちらの対応に必死で自分のことはあまり見つめたり考えたりする余裕が無かった💦)