我が子の友人が亡くなり、急遽、我が子が一人で暮らしている関西へ来ております。
最初に我が子が私に電話でそれを知らせて来たとき、我が子本人は「覚悟はしていたから大丈夫」と私に言っていましたが、
でも、母親である私からしたら「ああ、この子がこういう声の音で大丈夫という時は、本当は大丈夫ではないんだよなあ」とすぐに気付きましたし、だから「お母さん、今からそっちに行くから」と告げ、そのまま身支度をして駅に向かい、電車に飛び乗って関西へ向かいました。
(ちなみに、我が子との電話を切った後すぐ夫にも連絡をしたのですが、そしたら夫は「わかった」とすぐに応じてくれて、私が身支度をする間に電車の手配や最短時間で関西に行ける方法を調べてくれました。こういう時、私にとって夫はまさに「最高の戦友」でして、私が苦手な部分は夫が補ってくれるので、本当に感謝しています)
相変わらず、自分が今住んでいる地域から関西に行くのは遠かったけれど(一度東京まで特急で向かい、そこからまた新幹線)、
こういうとき、私は「子供を一人で悲しませたくない」と考えてしまう。
それが正しいのか否か、それは未だにわからないし、
単純に「母親としての自己満足でしかない」のかもしれませんが、
私が会いに来たことで我が子は少し気持ちが解放されたようですので、今は「よかった」と考えておくことにします。
これは我が子にも許可をもらったことなので、この場に書きますが、
今回亡くなった、我が子の友人は、ロシア国籍の人なんです。
我が子が2019年夏に、ヨーロッパのある国に留学していた時、同じように留学生として知り合ったのが、彼でした。
(今思えばその年の冬には日本もコロナの影響が出始まったので、海外へ行くチャンスとしては本当にギリギリでした)
その学校自体が様々な国から留学生を受け入れていたことや、全寮制だったこともあり、学内には多国籍の価値観や生徒がたくさん存在していて、それは我が子にとっても大きな学びとなったようです。
そんな中で、同じクラスになったのが、そのロシアの子で、しかも寮では部屋がお隣同士。
更に「お互いルービックキューブが好き」ということで意気投合し、一緒に街に出かけてファーストフードを食べたり、お互いの部屋を行き来してお互いの国のことを語り合ったりして、
それぞれが留学を終えて帰国した後も、二人の交流は続いていました。
そんな経緯があった後、ロシアでは戦争が始まり、二人の連絡もつきにくくなって。
そして昨年夏、我が子の元に、彼から「自分も戦地に行くことになった」という連絡が。
それは留学時に所属していたクラスのグループラインでも共有され、今はそれぞれの国に戻ったクラスメイトたちからは「なんとか行かないで済む方法はないの?」「どうしてもあなたが行かないとだめなの?」と問いかけた人もいたらしいのですが、、、
「ありがとう。でも父も兄も、もう戦地に行っているから」という返答を最後に、彼の連絡は途絶えてしまったそうです。
「その後何度かこちらから連絡してみたけど、返答はなかった」
「そしたら、◯◯先生(留学時に所属していたクラスの担任の先生)がみんなに連絡をくれて、彼が亡くなったと御家族から連絡がありましたって教えてくれた」
彼がどの場所で、どのような形で命を落としたのか。
その詳細はわからない。
でも、「彼はもうこの世にいないのだ」ということは、確かな現実なのだ、と。
それを我が子と一緒に共有しながら、私は心の底から「ああ、戦争も、それによって起こる悲しい出来事も、決して他人事ではないのだ」と胸を痛めるばかりでした。
「いつか日本に来て、そしたら一緒に東京にあるルービックキューブの専門店に行こう〜って話していたのに」
「彼はラーメンも好きだから、それも一緒に行きたかったのに」
我が子が口にした「彼と約束した、未来への楽しみ」も、もう叶うことはありません。
我が家では一番穏やかで、普段は絶対に人に対して乱暴な言葉を使わないあの子が「そんなに戦争したいなら、おまえが最前線で戦えよ」と当該国の大統領を名指しで批判するような言葉を発したこと。
それは、この子の成長をずっと見てきた私にとっても酷く切なく、その発言をするに至った我が子の心情を思うと、本当に苦しかったです。
本当にね。
今までの人類の歴史を見直しても、先に犠牲になるのは「戦争をする」と決めた人間ではなく、それまで普通に生活をしていた一般人ということばかり。
そんなこんなで、私も今まで以上に考え込む時間が増えておりますが、
レムリアの皆や今まで言葉を交わした精霊の皆さんたちが心配したり寄り添ってくれたりしているので、今の私はそのことにとても救われています。
