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気が向いた時だけ書くブログ

更新は亀のようにのろいと思います。
なにせ「気が向いた時だけ書くブログ」なので…
それでもよろしかったらのぞいてね♫

現代の科学は、そんなふうにいうことが多い。

しかし、違う。





何でもわかるはずの人間にも、わからないことがある。

それが、言葉だ。





言葉はどのようにしてできたのか、言葉なんてものがどうしてあるのか、

そのことは、日々こうして言葉を使って生きているにもかかわらず、人間には、絶対にわからない謎なのだ。

絶対にわからないもののことを、「神」という名で呼ぶのは、その意味では間違っていない。





事実、その言葉の意味が存在するからこそ、その物やその事が存在するのだから、

言葉とは万物を創造する神様に似たものと言っていい。言葉の力とは、まさしく、創造する力なのだ。





昔の人は、このことを、事実としてよく認識していた。

だからこそ、言葉を敬い、言葉を畏れた。「言霊」という表現に、それは端的に表れている。

言葉で言うとそれは存在する、と彼らは考えたのだ。





言葉には、ものごとを創造する力があるからだ。

小さい頃、母親の膝の上で絵本を読んでもらったとき、実際にはいないはずの人物や動物が、

語られる言葉の中に、まるで目に見えるかのようにありありと出現したのと同じだ。

言葉の力というのは、魔法のようなものなのだ。





ところが、現代人は、この恐るべき言葉の魔法を、

ほとんど忘れてしまっている。





忘れて、逆に、言葉は人間が自ら作り出し、勝手に使える道具なのだ、と思うようになっている。

自分の思いや考えを他人に伝えるための道具、言葉は、コミュニケーションの道具の一つというわけだ。

あるレベルでは、それは間違ってはいない。





「水をください。」と言えば、そこに水がなくてもその意図を伝えることはできるのだから、

言葉は確かに便利な道具だ。







けれども、ここで先の聖書の言葉も思い出して、もう一度考えて欲しい。

そもそも、ある物をある名で言うと決めたのは、誰だったろうか。

それは、決して人間ではなかったのだった。





ましてや、今回こっきり生まれてきただけのこの自分であるわけがない。





水を「水」と言うことに決めたのは、水を「水」と言うことで在らしめた「神様」だ。





それなら、神様であるところのその言葉を、それによって創られたところの人間が、

どうして道具として使うことなんてできるだろうか。





人間が言葉を話しているのではない。言葉が人間によって話しているのだ。

生涯に一度でも、この逆転した視点から、自分と宇宙を眺めてみるといい。

人生とは言葉そのものなのだと、人は必ず気がつくはずなのだ。




ところが、言葉を単なる道具と思って。大事に扱うことをしない現代人は、

当然のこと、言葉からのしっぺ返しをくうことになっている。それがまさしく、現代社会の光景だ。





「人生なんてつまらない。」といつも、口にしている人が、

自分の人生をつまらないものにしているのは、言葉も自分も大事にしていないからだ。





「しょせんは言葉だ。現実は厳しい。」と言う人は、言葉が現実を創っていることを知らない。

現実的に生きることができないのだから、現実が厳しいのは当然だ。





「言葉は、言葉、本心は別。」という言い方をする人もいる。

言葉がうそをつくための道具というわけだが、うそをつくことによってだまされているのは、実は、人ではない。

他人は、その人の行いを見て、うそをついているとわかるからだ。





だまされていると気づかないのは、うそをついている本人だ。

うそをついている本人は、うそをつくことが自分にとって良いことだと思うから、うそをつく。

しかし、自分で自分にうそをつき、自分のことをだますことが、自分にとってよいことであるわけがないではないか。

言葉を信じていない人は、自分のことをも信じていない。

しかし、自分を信じていない人生を生きるのは、とても苦しくて大変だ。

言葉では、ああ言ったけれども、本当は、そうは思っていない。

そんなふうにしか生きられない人生は不幸だ。言葉と自分が一致していない人生は不幸だ。



だから、本当の自分はどこにいるのかを、人はあちこちに探し求めることになる。



しかし、本当の自分とは、本当の言葉を語る自分でしかない。

本当の言葉においてこそ、人は自分と一致する。

言葉は、道具なんかではない。言葉は、自分そのものなのだ。

だからこそ、言葉は大事にしなければならないのだ。





言葉を大事にするということが、自分を大事にするということなのだ。





自分の語る一語一句が、自分の人格を、自分の人生を、確実に創っているのだと、

自覚しながら語ることだ。そのようにして、生きることだ。



言葉には、万物を創造する力がある。言葉は魔法の杖なのだ。

人は、魔法の杖を使って、どんな人生を創ることもできる。

それは、その杖をもつ人の、この自分自身の、心の構え一つなのだ。










池田晶子さんの文章です。

中学3年生の国語の教科書に掲載されています。


全文、紹介しようと思いました。

でも、ブログは4000字以内でないとダメなようで、できませんでした。


ですから、私が1番心に響いた最後の部分のみを紹介させていただきます。


もし、機会がありましたら、全文を読んでいただきたいと思います。





言葉の力


言葉を信じていない人は、自分のことをも信じていない。


しかし、自分を信じていない人生を生きるのは、とても苦しくて大変だ。


言葉では、ああ言ったけれども、本当は、そうは思っていない。


そんなふうにしか生きられない人生は不幸だ。言葉と自分が一致していない人生は不幸だ。


だから、本当の自分はどこにいるのかを、人はあちこちに探し求めることになる。




しかし、本当の自分とは、本当の言葉を語る自分でしかない。


本当の言葉においてこそ、人は自分と一致する。


言葉は、道具なんかではない。言葉は、自分そのものなのだ。


だからこそ、言葉は大事にしなければならないのだ。





言葉を大事にするということが、自分を大事にするということなのだ。





自分の語る一語一句が、自分の人格を、自分の人生を、確実に創っているのだと、


自覚しながら語ることだ。そのようにして、生きることだ。





言葉には、万物を創造する力がある。言葉は魔法の杖なのだ。


人は、魔法の杖を使って、どんな人生を創ることもできる。


それは、その杖をもつ人の、この自分自身の、心の構え一つなのだ。






とても考えさせられました。

一言では、まとめきれません。

でも、大切なことだと思いました。

何だか、胸に突き刺さるように感じました。