幸せって人それぞれでいいと思うのです。
だって、一人一人顔が違うように考え方だって違うから。
少し前までは
進学校→有名大学→一流企業→30歳前に結婚→子供がいて、その子供も同じコースを辿るのが幸せ
ってされていました。
みんな同じ。受けている教育の内容は横並び。
理解度も受け止め方も違うのに、競争して一番を目指さなきゃいけない。
競争はレベルが上がるほど激しくなり、上に上るまでのハードルも高くなります。
運良く結婚して親になっても、子供の成長だとか、ダンナの職業や収入だとか、自分の仕事や見た目、自己実現の充実度だとかで周りのママより私の方が上じゃなきゃ…
どこまで行っても競走、競走、競走…
私はどちらかと言うと「負け組」チームに所属していて、ついて行けませんでした。
私の親の世代はもろこの考え方を叩き込まれて育っていて、今でもその考え方が骨の髄まで染み付いています。
でも、世の中は動いています。
一昔前ならぜんぜん相手にされなかったグループの人でも日の目を浴びるようになってきた。
肌の色も
国籍も
勉強の出来も
住んでいる場所も
器用か不器用か
お金のあるなし
生まれの善し悪しも関係ない
引きこもりや路上生活経験あっても…
今は自分のカラーを出す人がチャンスを掴む時代になってきました。
要は自分らしく、いかに活き活きとして過ごすか。
アレルギーが酷くても、好き嫌いが多くても、人との付き合いが上手くいかなくても、たとえ失業中でも、あなたの人生を生きれるのはあなたしか居ない。
つまり、あなただから、今までもその人生の大変なハードルをいくつもいくつも乗り越えてこれたのだから。
もちろん、今までの価値観で上手くいく人はその路線でいいと思います。
だからって、全ての人が世の中で言うような価値観に従わなくていい。
競走社会で生きている人は、そのグループをぬけた人に競走の大切さを説教したり、もしくは見下げた態度をとるかもしれない。
でも、それはその人の考え方であり、「一個人的な意見」に過ぎません。いちいちついて行かなくて大丈夫です。
自分らしく堂々と、誰も歩んだことの無いところに人生の道をつけていくこと、それが自分が生きる意味だし、その方がずっと楽しい。
私はそっちの路線で生きていきます(^-^)V