緩和ケア病棟に入院したというと、

普通の神経の方は、
「ええっ そんなに悪いの?」
 
と、驚いてくれます滝汗
 
実際は顔に出したりはせず、
「そうなんだ…」「大変なんだね」
とつぶやいたり、どうしていいかわからないリアクションになります。
 
 
私も5月末からいったん婦人科の病棟に入院しましたが、結局は7日目から新しく出来た緩和ケア病棟に移りました。
 
 
それは、主治医のFドクターから回答を迫られたことからスタートしました。
 
「腫瘍があるから腫瘍熱は出る。
それは仕方ないし、いつも言うけど下げないといけないものでもない。
このままだと腫瘍が大きくなり、水も溜まり、苦しくなる。
抗がん剤治療をするかしないか、それを自分で決めて下さい。
あっ、でもいいよいいよ、ゆっくり考えて。」
 

で、次の朝になるとまた部屋に来て、どう?決まった?って聞くんですよ。
まだ…って言うと、あ、いいのいいの、ゆっくり決めていいからね。
と帰るんだけど、また次の朝同じことを聞きに来るわけですびっくり
 
 
 
 
4月初めに入院して点滴したハイカムチンにより、かつてない骨髄抑制の副作用に何週間も苦しみ、今は体力が戻らず入院している状態なので、これから治療についてはどうするのか、まだ結論が出せる段階ではないのです。
 
でも、自分の身体の状態はというと、胸水・腹水が溜まり腫瘍のある下腹部の痛みと腫れで歩くのもつらく、毎日熱が出て、いくら下げなくてもいい熱だと言われても、39度あれば身体中の痛みは我慢できず体力の消耗は激しく眠れるわけもありません。
 
 
抗がん剤治療を今後再開するかどうかは、というと・・・
 
 
正直言ってもうこれ以上は、したくありません。
 
4月から使えるようになった新薬オラパリブも、主治医はあれから勧めてきません。
予想以上に副作用が顕著で、飲むことが辛く、苦しんでいる方が多いようです。
たぶん私には向いていないと判断されていると思います。
 
 
 
 
これまでいくつかの抗がん剤を身体に入れてきました。
その澱のようにたまった、ダメージ。
ドクターも「あなたは人よりいつもひどいねえ」と言ってくれたので、副作用のレベルはかなり高かったんでしょう。
経口薬ラステットSだけは、脱毛以外さほど外見の副作用はなかったけれど。
 
でも、抜けた髪は生えても、黒ずんだ爪は新しく伸びても、味覚異常・脚のしびれ・痛み・仕事にも行けない重い倦怠感が楽になっても、細胞レベルにしみ込んだ抗がん剤のダメージは消えることはないのだと最近やっとわかりました。
身体には力が湧きあがらず、もともとない体力が20歳くらい年を取ったくらいにしかない感じですね。
 
 
もちろん、いろんな方のいろんなケースがあって、幼い子供たちのために一日でも長く命をつなぎたい方や、最後まで抗がん剤をやめずに、副作用と闘っている方のブログを拝見すると、私なんかとは辛さのレベルが全然違うと思います。
 
 
 
 
私は仕事をこなしている自分が好きで、長年かけて得たこのポジションを離れるのが一番つらいと思っていました。
子供たちは独立して、もう10年もひとり暮らしだし、やっと自由を手に入れて気ままに暮らしてきたのです。
仕事さえ順調に回っていけば、言うことなし。
 
 
それでもここから先の漠然とした不安は、いつもありました。
60歳になったらどうしたらいいんだろう。
年金だけでは生活は成り立たないよね。
仕事ができなくなったら、毎日どんなことをして過ごしたらいいのだろう。
その不安はいつも頭のどこかにありましたが、なんとかなるさと考えないようにして、逃げてきました。
 
 
2年半前、下腹部に突然見つかった卵巣腫瘍によって、逃げてきた不安を一気に呼び戻しただけでなく、いったい私はここから先、生きられるのかどうかすら、わからない状態になりました。
生きるのか死ぬのか。
みんな、がん告知を受けた時、そうなりますよね・・・
 
 
結論から言うと、ちょっとした運で開腹手術ができましたが、開けたとたん悪性であるとわかり、腫瘍をできるだけ取り除いた後は閉じて、お決まりの抗がん剤治療が始まりました。
そこからは、以前にも書いたとおり抗がん剤治療との闘い(ほぼ負けてるけど)となり、絶対にもう一度仕事に復帰するんだという強い気持ちで乗り切り、8か月後にフルタイム勤務に復帰したのです。
 
 
嬉しかった・・・
腫瘍マーカーは一桁をキープし、もうこれで治ったんだ、とさえ思いました。
毎日きらきらの朝陽を受けて出勤する自分の身体に、神様に、すべてのことに感謝しました。
ところがわずか1年後に、にっくき腫瘍はまた顔を出してきたんです。
 
 
これも経験した方にはわかると思いますが 再発した時って、初発の時よりショックは何倍も大きいです。
そこからまた抗がん剤治療が始まり、お決まりの「副作用は辛いが効き目はない」状態に陥り、たまたま合った薬も耐性ができるのが早くて使えなくなり、たちまちがんサバイバーに。
 
 
★ 主治医は悪くなれば治療するのが仕事ですから、(本人がそう思っているのだから)次に使える抗がん剤探しをするわけで、4月認可のオラパリブも含め、どうします?どうします?と迫ってくるんです。
 
抗がん剤の副作用に苦しんできた私を見ている家族・・・特に長男は、抗がん剤治療には反対。
でも基本的には、私が選択し、決めた方向で行くことをいつもサポートしてくれました。
 
抗がん剤は「毒」であることを自分の身体で証明した私自身が、今回は主治医に「抗がん剤はしません」と、答えました。
 
そうすると、その瞬間から婦人科の一般病棟にいた私は「入院診療計画書」に署名を求められ、新しくできた別の階の「緩和ケア病棟」へ移ることになったんです。
 
 
緩和ケア病棟のスタンスは大体次の通りです。
 
積極的治療や単に命を長引かせるだけの延命治療は行わないが、本人が一般病棟への転棟や新たに治療を希望した場合は、最大限に尊重する。痛みや症状が軽減し苦痛が緩和することを目標として、主治医が退院可能と判断すれば退院はもちろん、外泊等もできる。
 
患者の訴える不快な症状(痛みや息苦しさ、だるさ、吐き気など)をやわらげるために動いてくれることがまず一番なので、廊下には癒される美しいパネル写真がたくさん飾られていたり、家族がゆっくり作業できるような大きなキッチンと冷凍冷蔵庫のあるスペースや、小さいけど図書室があり、マッサージチェアも置いてあります。
そして、これまで主治医だったドクターのほかに、緩和ケア病棟での主治医もつき、他にたくさんのスタッフが交代で担当してくれます。
★ これについては、一般の治療をしている病棟にいる時には、説明さえありません。
 
 
 
 
私はこの緩和ケア病棟で、約1か月過ごしました。
 
そして、これはとてもいい選択だったと思いました。
 
今後、抗がん剤治療を再開するにしてもしないにしても、この期間にふれた病棟の主治医や看護師さんとの対話は、これからどうしたらいいかわからなくなっている自分にとてもいい影響を与えてくれたと思います。
痛みや熱は薬でコントロールできるよう調整し、お風呂もきちんと湯船にお湯を張って用意してくれます。
 
いったん退院する方向に決まった時、ケアマネージャー・介護用品会社の方・訪問看護師・ヘルパーさんたちと、在宅看護のKドクターが病院に集まり、カンファレンスを開いてくれました。
具体的にどんなふうに毎日過ごしていくか、そのサポートを具体的にどのようにできるか、等々書類にして残してくれます。
 
ケアマネージャーを通して、自治体に出していた介護認定も無事通り、自己負担も1割で非常に助かります。
かなり安い料金で、緩和ケア病棟と同じレベルの処置が受けられます。
 
 
 
私が問題にしたいのは、★ とマーカーをつけたところです。
 
長い間、がん治療を受けて来て、この部分については病院側からきちんとした説明がなかったんです。
主治医に至っては、抗がん剤治療をやめれば2か月、3か月後には緩和ケアしか行けなくなります、といつも言っていました。
それは「もう見放しますよ」ということに聞こえました。
 
 
緩和ケアとは、がんの経過中に起こってくる痛みや息苦しさや吐き気、だるさなどの,辛い症状を和らげるケアのこと。
病気の時期や積極的治療の有無にかかわらず、最初からおこなわれるべきものなんです。
 
 
私がこの1か月過ごした緩和ケア病棟について、少しでも理解をいただけたら、そして今がんの闘病中の方には辛い思いを我慢しないで、病院、主治医にきちんと緩和ケアについて説明を求めて欲しいのです。
 
長くなりましたが、これを書くまでは、これからの私の闘病生活のリアルをわかってもらうことができないと思っていました。
 
おつきあいありがとうございました。
 
 
 


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