前の記事に書いたように色々思う所があり、前の前の記事にも共通するところがあって、それは、自分ではないか、と気がついたことです。


ピータが亡くなりシクシクしてるのは、見てる方、聞いてる方はツライ、嫌な言い方をすると面倒くさい、あとは、困る、あとは、相手の心を、自分の言葉で、どこかに着地させてあげたい。きっと、それらが入り交じり、言ってくれた言葉たち。


母が亡くなった後、父がよく、最近眠れなくてなあ、とか、シンミリとしたことを言い出すのが苦手で、「お昼寝やめたら夜に眠れるんと違う?」とか、すぐにポジティブや解決策を言ってしまう自分に気がついてて、でも


それは何故だろう。友達だったら寄り添えるだろうか。面倒くさいのだろうか。どれも何となく違うくて


私と会ったら元気になったと思ってほしいし、実際元気になって欲しいし、お前の言葉で元気になれたと思われたかったのかな、と考えた。


でも、ピータが死んだ時、ピータが亡くなって悲しい、悲しいが続いてることを言ってはいけないのかな、ストレスで円形脱毛になってることを黙ってないといけないのかな、


父は悲しいを言ってはいけないのかな、眠れないから眠れないと言ってはいけないのかな


解決作を教えて欲しいんじゃない、言葉が欲しいわけでもない、


悲しいから悲しい、眠れないから眠れない、 

ただ、そうなんだね、受け止めるだけでいい


…って本などで何度も読んだ文章ではないか。


分かってるのと知ってるのと 

本当にそれが出来てるのかは全然違う。


自分と相手がいて、相手に感じることは、それは自分だ。わたしは少しずつ、父にかける言葉が違ってきてる。良い変化だと思っています。



娘からも連絡があって、自分で考え、決めたようです。私も、間違ってたとしても、自分の考えは伝えるコミュニケーションを家族としていこう、娘と星の話で盛り上がることが多かったのですが、娘自身の未来を選択する時に、星の話が混乱を招いていると反省したので、星を入れずに話そうと改めて思いました。私が変わらないといけません。