塗り絵19枚目


20枚目


水浴び後、羽を整えるピータ


無理と我慢のことを書いたあと、日課の漢字ドリルをしていたら、  

道理の反対語、とあり 

道理の反対語って考えたことなかったなと思い
(ほんとは漢字ドリル3巡目だから、ただ忘れてるだけなんだけど)

うーん、なんだったっけ?

ちらっと答えを見たら

無理、でした。 
ビックリしたのと繋がったのと。
 
我慢は必要だけど
無理は必要ない

ということと 

無理の反対語は道理ってことと

確か、どこかで
道理に反することをしないこと
って読んだなあ、と

繋がって

道理に反することをしなければいいって
つまりは無理するなってことだったのか

無理をしないことは
道理にかなってるってことなのか、と

グルグルしながらも発見でした。



母のことを肯定的に思い出せるようになったり、
父と楽しく会話ができるようになったり
30代の時には考えられなかったことでした。

そうなったらいいな、と思う気持ちを、50歳で感じられて、あの頃の自分に、よく頑張ってくれた、と言ってあげたいです。

思春期に親とぶつかることから逃げたツケを、子どもが生まれてから気が付き、遅めの反抗期、

人間関係で失敗も沢山したけど、自分の心を見つめることからは逃げなかったことが、

しんどいけど、遠回りのようで、これは近道だったのかもしれないと思うようになりました。

思春期のことを思い返しても、あの状態ではぶつかれなかっただろう、ぶつからないことを選んだ自分も肯定できるようになりました。

ぶつからなくても、自分の意見を伝えることはできたかもしれないし、その方法を考えることから逃げた、そのツケだな、と思いました。

母の納骨も終わり、食事の席で、母とのエピソードで私が体験したことを、たまたま喋ったら皆が大笑いしてて、

30歳の悲劇が、50歳で喜劇に変わりました。
大真面目に喋ってるのに、真面目な時ほど大笑いされるから、いつも不思議だけど

話すと離れるのは本当だなと、感じました。