いつかもう一度能登へ | Uターンおばちゃんの田舎日記

Uターンおばちゃんの田舎日記

京都から伊賀へ戻って23年になりました
連れ合いが残した畑での野菜作りと土日手作りパンの販売をやってます 3匹のニャンズと暮らして来ましたが今はメス猫はなちゃんと二人の暮らしです 70歳突入不安でしたが70代も捨てたもんじゃあないなと楽しんでいます

こんばんは
1月も後数日となりましたね

ほんと個人的な事で…恐縮です
昨年暮れに罹った風邪の様な症状は
全く味覚がわからないから
目の奥が痛みだし頭がどーんと重い
身体がだるい
これはもしかして…コロ⁉️ かも


今はお陰様で体調も戻りました…  

この間病院には行ってないので

コロ確定は出来ないのですが

昨年の12月初めから次々と体調不良だったので

色々思うことありで今年の目標は

疲れを溜めない 

睡眠をしっかりとるにしました

ブロ友さん達もどうぞ身体大事にして下さいね


なんか身体がフワフワしていた1月1日

能登半島で大きな地震が起こったというニュースは

正直なところ頭の中でしっかり捉えられなくて

しばらくニュースも見ていませんでした


少し楽になった頃

ニュースに映る地震後の能登の様子に驚きながら

10年くらい前行った能登を思い出していました

地図の路線図を見てみましたら

何と高速道路もその当時より

先の輪島にも伸びてるわけでもなく

穴水より少し先飛行場で終わったままに

見えました

当時は最後の穴水のインターを降りると地道で

単線や二車線

海岸線や山越え峠越えそれでも行く先々に

小さな集落がたくさんありました

山の集落で地震で住めなくなった方々への

支援がなかなか届かなかったのもあの道路や

道路網では難しかったのでしょう


もうその時

一番に思ったのがこの能登を復興させるには

巨額の資本がいるだろうということでした

2024年日本の国家予算約112兆円の中で

およそ64兆円が社会保障と国債関係に配分

されるそうです

社会保障費には年金介護費大きいです

私も年金貰って暮らしています

だから大きなことは言えませんが

無駄も一杯あるだろうし

丸々国家予算ではないけれど

その一番が

大阪万博やないかムカムカって憤っていました

今それを止めて能登復興に人員資材お金

全部回します

決心をしたら最近とみに人相悪くなった

(と、個人的に思ってます)大阪府知事吉村さん

そして岸田首相も国民からも世界から拍手喝采

だろうになんてずっと考えてました


今こうしてブログを書いていて

能登の思い出が色々出て来ます

初めて行った能登半島

石川県の事を余り知らずに旅行本から

見つけた羽咋(はくい)市の千里浜(ちりはま)

全長8Kも続く海浜道路

白い砂浜でバスも走るすごいとこ

たまたまか車は一台もなく私の一台

いつもの朱美ちゃんと一つだけ出ていた

イカ焼きの屋台で香ばしいイカを買って

丸かじりし 

そしてあちこちに散らばっていた

桜貝をいくつか拾いました


羽咋市の千里浜海岸 写真お借りしました




千里浜海岸で拾った桜貝

今は二つだけになってしまいました


そしてその日のお宿

九十九湾 百楽荘


百楽荘ホームページからお借りしました


リアス式海岸の高台に建つこのホテル

とても優しいお若い中居さんともうめちゃくちゃ

素晴らしい食事に帰ってから

お礼の手紙書いた様な思い出があります

特にお部屋係の中居さんが素晴らしかったのです

そして面白いお風呂…温泉ではないです

竜宮城みたいでしたよ


珠洲(すず)市に2日目行きました

日本海の海岸線に沿って走ります

たまたまお知り合いが珠洲市でカフェをしている

ので行ってみて…というお話を頂き行きましたよ

でも残念なことにオーナーの方がお産の前で

休業しておられました…ざーんねん

このお店は海の近くでしたので今も営業されて

いたらと思うと辛いです


海岸線沿いには海水を汲み上げて

塩を作っている小さい加工場もありお塩を

買いました

とても貴重で大切に頂きました


輪島に行く時間は無かったのですが

途中の輪島千枚田を見ました

海岸線沿いに海に向かって拡がっていた様な…

こんなところにあるんだ〜と驚いたものです


北陸を支援するため旅行割が発表されました

今は旅行どころではありませんが

いつかきっともう一度

この場所を訪ねようと思います

早くの復興を心から願いながら…