まずはじめに・・・ずっと黙っていてごめんなさい!

私・・・6/30に落車して7/2~7/23まで入院していました。
顎を骨折してしまい、2週間流動食まで経験しましたw

全て自分のスキルのなさと、甘さでした。

入院中、色んな事を考えました。
濃い入院生活でした。
いっぱい考え、悩み・・・私には必要な時間でした。
(怪我をしたり、入院する必要はないのですがね。)

正直、TTTに出る事も悩みました。

まさかの骨折だったし、入院なんて本人が一番ビックリでした。
骨折してるなんて思っていなかったので…。

入院するとは思っていなかったから、救急外来で診察を受けて
“自転車っていつから乗れるようになりますか?”
って医師に聞いたら、ビックリしてて・・・
“乗る前に入院しないとダメだよ!”
って言われて、私がビックリしたのを覚えてます。

退院が近づいた時にも自転車に乗って良いかを聞いたら
“サイクリングはOKだけど、激しい運動はNGねー”
医師には言われてました。

ただ、私にはどーしてもTTTが激しい運動には入らなかった。
レースがヒルクライムだったら、大人しくしていたんだけどね。

メンバー、旦那、コーチ、人生の先輩、そして両親の承諾を
得る事が出来たのもラッキーでした。

ホントは皆、心配だったと思う。
私だって逆の立場だったら素直にYESとは言えないかもしれない。
優しく見守ってくれてホントにありがとうでした!

退院後は…とにかく“やるっきゃない”の日々でした。

真面目に練習(回復走の日も入れてね)したら、元に戻す事が
出来るのは頭では理解していました。
でもね、最初の1週間強は、走れなくなってしまった自分を
受け入れるのが今振り返ると・・・やっぱり辛かった。

一番乗れていた時から乗れなくなった自分を受け入れるのは
悲しくて、苦しかった。

想像通りの事だったし、頭では理解しているんです。
でも、頭で理解してても身体がついていかない事って
あるじゃんね。

冷静なんだけど、やっぱり悲しいって思っちゃった。

だからね、最初の一週間は自分が出来なくなった部分を
見つけて受け入れる作業でした。

ペダルを踏んで回してはいけないのはわかってるけど、
踏んじゃうし、下りは怖かったし、やたらと力が入るし・・・
そんな自分を受け入れる作業でした。

あとは…この半年、サボ練で学んだ事の復習でした。
ちゃんと自分なりに考えて取り組んでいたから
現状把握が出来て、一旦受け入れちゃうと気持ち的には
楽でした。

ふと…私の初代師匠の言葉を思い出した。
“乗った分だけ強くなる!”
ホントその通りだと思った。
だから毎日、苦手なコツコツを続けました。

たまにね、ホントに鈴鹿までに間に合うかな…って
不安になる事があった。

今回の怪我を知っている人達とは約束をしていました。
“無理・無茶はしません”と…。

でも、頑張る事と無理と無茶って背中合わせな感じがして
自分と向き合う大切さを学んでいるようでした。

私が当日まで割と冷静でいられたのは、しっかりと
受け止めて支えてくれる人達がいたから、
安心して自分の現状を把握して、努力出来ました。

私は自由気ままに走って、強く見えるのかもしれませんが
ホントは凄く弱くて、自分に自信がなくて…
情けない子です。

そんな子がクロウサの司令塔だなんて…メンバーには
ホントに申し訳なくて…何一つお役に立てなくて
ごめんなさいでした。

怪我して練習には参加できない、走れない
レース一週間前の最後の練習は、新潟に遊びに行くという…
超自由人な私を受け止めてくれてホントありがとうございました。

お陰様で、レース一週間前には完璧に一番乗れていた状態に
戻す事が出来ました。

司令塔としてはサッパリでしたが、茶臼山女子部Rの支えが
私の力になりました。

クロウサ・シロウサの皆さん、ホントに支えてくれて
ありがとう!

そして、ストーカー(笑)のように、こっそりと遠くから
見守ってくれたコーチ、ありがとうです!

SD26メンバー、ネーサマ夫妻、そして…natsuko♪さん
まさひろさん、ホントにありがとう!

支えてくれた皆さんのお陰で今の私がいます。

ホントに感謝しきれません。

最大級のありがとう!を伝えます。

元に戻す事が出来て、ホントに良かったです。
感謝しきれません。

医師…ロードバイク乗る事、許してくれてありがとうです!
約束は守りましたw
転ばなかったよー!



当日の話→ちゃんと書きます。