金曜日、一日葬で母を見送った。
釧路から連れてきたのが令和元年。
母は江別で幸せだったろうか…。
我が家で一緒に住んだのはわずか1ヶ月。
我が家は、段差のある建物で…、母は我が家に来て1月で、段差に引っ掛かって転んで手首を骨折。
入院、リハビリのために老健。歩行器歩行になったため、フラットな建物でないと住めない、という診断により、我が家には帰ってこられないということに。
その後、ケアハウスに行き、少し認知症入ってきて、ケアハウスを出て、老健へ。
そして、特養へ。
我が家から車で15分の特養、それも母の年金で入れる特養だったので、ここで長くいれたら…と願っていたが…。
2月末にコロナのクラスター発生で数名が罹患したが、母は重症化してしまい、病院へ入院した。
後遺症で、味覚障害になったようで、物が食べられなくなった。
中心静脈栄養をすることになり、カテーテルを入れて栄養を摂っていた。
それも、5/30に、母が自分でカテーテル抜く、ということがおき…、自分の命綱だったのにね…。
その後は水分だけの点滴へ。
血管もボロボロなので、6/19に、血管に注射針が刺さらなくなり、6/21看取りに近づきます、と聞いた。
6/24の朝、前日から酸素吸入始まった、遠くの親戚来てもらってください、とのこと。
三重県にいる兄に知らせた。すぐに飛行機を取る、と言ってくれたが…。
11:30病院から連絡きて、血圧落ちてきた、すぐ来てくださいと。
駆けつけると、呼吸があらい。
酸素は130という数値だった。
椅子に座って話しかけると、返事をする。どうやら、意識は落ちてない…「ひろだよ」と声を掛けると、返事をする。呼吸があらい…。だんだん酸素の数値が落ちていく…。これはまずい、とナースコールしたが、そうこうしてるうちに酸素の数値は0になり、呼吸が止まった。呼吸が止まってしまった!
兄に「呼吸が止まってしまった」と連絡。間に合わなかった…
間に合ったのは私だけだった…。
それからは、怒涛のように時間が早く過ぎていく。
葬儀会社を決め、、お迎えしてもらい、我が家へ連れて行く。
水曜日に亡くなって、金曜日に一日葬ができて、火葬場の予約もできた。
そして、無事全て終わった…。
母の介護生活もこれにて、終了。
香典返しを郵送するとか、市役所で手続きするのもこれから…。
最後にもうひと頑張りしなくては!