「西洋に学べ。」



これは明治維新以降、日本の暗黙のスローガンでした。
西洋化、近代化と心得、文明開花を旗印に西洋に追い付き追い越せと、
今日までひた走りに走ってきたのです。

かくて人は、日本文化とは固有の文化ではなく、
東洋文化と西洋文化を模倣したモノマネでは
ないかとみなすようになりました。

海外の一部の掲示板では、
「日本の甲冑は中国や朝鮮半島から伝わったものだ」
「イギリスの建造文化をまるぱくりしたから日本は軍艦が作れた」
「奈良・京都は中国の文化からできている」
などの書き込みがみられます、、、

ですが、日本は西洋から見ると、最も遠い極東の国です。

西洋文化が到達するのも最後になっても仕方がない位置であるにもかかわらず、
なぜ日本のみ非西欧諸国の中でいち早く近代化できたのでしょうか?


事実、中国人がポルトガル人の鉄砲を見たのは
種子島に伝来する35年も前であったのに、
なぜ彼らはこれを真似ようとしなかったのか...

なぜインド人や東南アジアの人々が西洋文化に接したのは、
日本より半世紀も早いのに、遅れをとったのだろうか...


なぜ極東の小国・日本のみが西洋文明輸入に先駆け、
ひとり近代化し、有色人種の中で植民地にならずにすんだのか...


以上の歴史を見るに日本は西洋とも東洋の他国と違うことが明らかだが、
一体なにが違うのでしょうか…?

 

1つ目・・・世界で一番早く本を読める日本人

横文字しか見かけない海外から成田空港に帰ってきた日本の旅人は、

漢字表記の看板や標識を目にして、確かに日本に帰ってきたとの安堵と安らぎを覚えます。

ですが、これはただ慣れ親しんだ文字だからという理由ではありません。

 

日本語の漢字表記は意味内容が直感的に理解されますが、カナに相当するローマ字表記は、看板でも駅名でもすぐには理解できないのです。

 

例えば、英語で山は「Mountain」で8文字ですが、

漢字なら「山」の1文字で表すことができます。

 

さらには、風が止まるのを「凪」、身を美しくするのが「躾」といったように字を見て

事柄がすぐに連想できます。

そして、国語は名詞や重要な事柄はすべて漢字で表現するので、

付属の助詞を無視しても充分意味が通じます。

 

例えば「昨日、私は公園で財布を拾った」のように上の漢字をみれば

次にくる助詞が自然に出てきて、助詞に注目せずともすらすら読めます。

 

だから、雑誌、新聞などの見出しの文字を見ただけで何が書いてあるのかすぐ分かり、

本も漢字の拾い読みで斜めに読むことが可能です。

 

この漢字自体は中国の産物ですが、同じ漢字を使う中国人は文字を読むのが

圧倒的に日本人より遅いと言われています。

 

なぜでしょうか…?

 

それは、日本人は愚直に中国から漢字をとりいれたわけではなく、

元からあった大和言葉を新たに漢字表記することによって、一気語彙を広げたからです。

 

例えば、「て」「手」という漢字と置き換えることで、手段、挙手、選手…

といった熟語をいくらでも生み出せます。

漢字の組み合わせで新しい言語が次々に生まれ、その言葉から逆に

新たな思想や概念を創造できたのです。

さらに外国語が翻訳できないときは、アメリカ合衆国を「米国」に、

ユナイテッド・キングダムを「英国」といった新文字を発明したのも明治の知恵でした。

いよいよ訳せないときには、エネルギー、ラジオ、アイスクリームのように

そのまま片仮名で示す事ができます。

これが仮名と漢字の利点が融合した新しい日本語の特性です。

 

ところが、漢字しかない中国では、自転車は「汽車」に、タクシーは「的士」に、

マルクスは「馬克思」といったようにその音で漢字を表すので、

日本語のように漢字だけで意味内容をイメージすることが難しくなります。

 

この日本が中国から漢字という文化を取り入れて、

日本独自の言語に発展させたことについて、

 

広島大学の鈴木修次教授は

「日本の急速な近代化を成功させた要因の1つはヨーロッパの近代文化を消化するために自前の言葉を日本人が共通でもっていたからだ。」と語っています。

 

また、学習院大学の大野晋教授は

「日本が東南アジアや中近東の国々に比べて、どうしてこれほど早く

ヨーロッパ文明を受け入れることができたのか。

それは明治時代に異質文化を日本が受け入れるに至った時、

ヨーロッパ語を1度濾過する漢字という媒体があったからだ。

いきなり言語をそのまま使うことは、音節構造の関係から長すぎる結果となり、

使いきれない。

また、大和言葉だけで訳そうとすれば、一語が長すぎて無理だった。

それが漢字二文字を一語として日本語の中に組み込めたからだ。」と語っています。

 

つまり、日本はただ文化を模倣したのではなく、独自に改良することによって、

急速な近代化を成し遂げたのです。

2つ目・・・ 神が労働をしている唯一の宗教

あなたはご存知でしょうか?

本の宗教の神だけが世界で唯一労働をしていることを、、、

 

日本でよく神とされている天照大御神は機織りを、男神たちは田畑の耕作をし、

お稲荷様は稲の束をかついで運んでいる姿が描かれています。

また、最高の神官である天皇様は、国民を代表して田植えと稲刈りを、

皇后様は「おかいこ」さんを飼っているという説があります。

 

つまり、日本の神々は労働をしており、働くことは生きる喜びの1つとして教えられてきました。

 

では、一方海外の神様はというと、、労働をしている様子が一切語られることがありません。

 

なぜか?

 

それは、海外の神話では労働が卑しい行為で苦役、懲罰とみなされているということです。

その発端は海外で信仰の数が多いキリスト教で、

人間の始祖アダムとイブが神との誓いを破って禁断の木の実を食べたために、

天国のエデンの園から追い出され、地上で労働を強いられることになったと説いてあります。

 

働くことが懲罰とする神を信仰する海外と、

働くことを幸せと説く神を信仰してきた日本では、

少なからず労働時間に影響を及ぼします。

日本民族が世界経済で突出するようになったのは、

この宗教からくる"労働観"の違いが絡んでいるとは思いませんか…?

 

3つ目・・・奴隷制を知らない唯一の国が日本

古代から近代に至るまでの長い間、奴隷は

社会・経済を発展させるための資産というのが世界の常識でした。

今日のように機械が発達する前は、国の労働力が国の生産性に直結していたので、

安くて大量に人手を賄える奴隷はただの便利な人たちではなく、資産そのものだったのです。

 

そんな世界の中、唯一奴隷制を知らない国がありました。それが日本です。

 

なぜ日本だけが奴隷制を知らなかったのでしょうか?

それは、日本が北ヨーロッパから生まれた欧米の狩猟放牧文化とは違い、

太古から農業を生産の中心としてきた民族で農耕文化の国だったからです。

農耕と牧畜に分かれた原因は、民族を取り囲む自然環境、風土の違いにあります。

 

北米では、冬が長く、日照時間が短く、雨もあまり降りません。

さらに、土地は広大ですが、地面は硬質な岩盤でできていて、

牧草しか生えなかったので、日本のように人間が直接食べられる穀物が育ちませんでした。

なので、動物に牧草を食べさせて、動物を屠殺して食べることを選ばざるを得ませんでした。

 

日常のすべてを動物に頼る肉食民族と、

日本人のようにすべてを植物に頼る草食民族とでは、

生活様式、思想、文化に決定的な違いを生みました、、、

 

欧米人は肉を主食とするため、動物を殺して毎日血を見て平気で暮らしています。

そして羊や牛の毛皮をむしりとったりして、それを服や靴やカバンに加工して

身に纏ってきました。

なので、狩猟では動物を罠や囮を仕掛けて騙して捕まえるので、

残虐性や謀略性は自然に培われます。

そんな欧米人の動物を中心とした発想から、労働を牛馬にまかせ、

異民族を戦利品として強制連行してきて、

牛馬の労働を強いる奴隷制度が編み出されました。

 

 一方、日本人は麦や野菜を育てて食べ、木綿や絹を着物にしたり、

草木を加工して草鞋や下駄にして暮らしてきました。

日本にはいかなる人間をも牛馬のように人家畜のように奴隷にする習慣は持たず、

奴隷という言葉もありませんでした。

日本にも階級制度こそありましたが、下働きの召使いであっても、どこまでも人間であって、

牛馬と同じ家畜とみなしてむごく扱うことはありません。

 

そんな日本は近代文明国の中で奴隷制度を知らない唯一の国です。

この日本人は集団農耕生活から常に仲間や他人を意識し、

他があって自分がいるという思想が生まれ、人権より国権を、

闘争より共生で生きようと考えるようになりました。

だから、他国のどんな文化であっても否定をせずに

うまく吸収して成長することができたのです。

日本にあって、世界にない文化

紹介した3つは日本が持つ独自の文化によって発展してきた証拠の

ほんの一部でしかありません。

 

今ままで日本はただ西洋文化を取り入れてきたから発展してきたと思われていましたが、、、

ただ取り入れるだけではなく、入ってきたモノは全て取捨選択し

良いところだけを吸収するという日本人固有の文化があったからです。

 

この日本人固有の文化のおかげで、ただの模倣国家にはならずに、

日本が日本として存在できたのです。

 

もし、明治維新の際に愚直に英語を吸収していたら、今の日本の姿はなかったでしょうし、

もし、支那から取り入れた漢文を公用語にしていたら、

そもそも俳句、歌など日本固有のものは生まれなかったかもしれません

 

明治維新の副作用

ですが、ある時期を境にこの日本固有の文化は失われることになりました。

そのある時期とは、、明治維新です。

 

日本は古代から中国を先生として漢字、仏教、儒教、律令制など、

よい所を学び吸収してこれを和風化し、日本独自の文明を築いてきました。

近代になると、今度は先生を西洋に切り替えて西洋文明を夢中になって吸収し、

西洋化即近代化と心得、文明開花を旗印に西洋に追い付き追い越せと、

今日までひた走りに走ってきました。

 

しかし、近代化に成功したその一方で副作用がありました。

それは、西欧の思想が入ってきたモノは全て取捨選択し

良いところだけを吸収するという日本文化を上塗りしていまったことです。

 

だから、明治維新以降では時間が経つ毎に

日本固有の精神を語れる人が減ってきましたし、、、

過去の資料や本を運良く手に取れてもそれを読み解くことが難しくなりました、、、

その結果、日本が培ってきた文化は、

「よくわからないもの」「昔の考え方」と捉える人が増えて、

 

日本の天皇制、神道、元号、日本語、家族制度、祖先崇拝、

忠孝一如の精神などの世界に誇るべき日本民族の独特の文化は

皇国主義、軍国主義、右翼的などと

すべてマイナスのイメージ化され、触ることさえ、憚られてきました。

 

そのせいで、「日本の考え方=古い,西洋の考え方=正解」という図式が勝手になりたち、

日本は1990年代半ば頃から「グローバルスタンダード」を掲げて、

「西欧の考え方こそ、柔軟で先進的だ!」と勝手に決めつけては

西欧の価値観への変革に拍車がかかることになっています。

 

その結果、現在の日本では、「グローバル化の時代だから英語が大切だ」とか

「自己主張ができるようになることが重要だ」などという理由で

小学校からの英語教育ディベート教育強制されています。

ですが、日本の特質に合わない盲目的な西欧基準の変革は、

失敗していると判断せざるを得ません。

 

その証拠に、変革が始まる前の90年代半ばまでは

日本の国際競争力は世界でも最上位にありましたが、

それ以降は著しく低下し、GDPもほぼ横ばいを続け、

世界における日本の経済面での存在感は低下する一方です。

 

ですが、明治維新の副作用で西欧文化の波が日本に押し寄せた時に、

西欧の考え方一色に染まらず、

どうすれば、「西欧の考え方を取り入れつつ、日本人にあった考え方」が

できるようになるのかを考え抜いた人物が四人いました。

 

その四人の人物がどのように、西洋思想と格闘して

日本固有の文化精神を守り抜いたのかを研究したのが、

国士舘大学客員教授の小浜逸郎先生と共同開発した

「日本ナショナリズム入門

明治近代とともに湧き出た西洋追随主義と格闘した日本の思想家たち」です。

 

第1  「日本倫理学の父"和辻哲郎"」

デカルト・ハイデガーの否定から誕生した「善悪の基準」

 

第2 「小林秀雄が見抜いた近代合理主義の弱点」

実在哲学に守られてきた日本人の精神史

 

第3 「日本・四大文法の発明者"山田孝雄"」

西洋からの文法の波に対抗した研究者の偉業
 

第4 時枝誠記 VS 近代言語学の父"ソシュール"

手段としての言葉の否定 日本語に宿る精神