Hallo!ベルリン ~Berlin JP Tour スタッフのブログ~

Hallo!ベルリン ~Berlin JP Tour スタッフのブログ~

ベルリンの見どころ・イベント・生活・素敵なお店の情報など、ベルリンの魅力をお伝えします!

Berlin JP Tourは、専用車でゆったりまわるベルリンのオーダーメイド旅行です。


限られた時間でも、ベルリンの魅力を満喫していただけるコースをご用意しています。その他、アパートメント・レンタルや、コンサートチケット手配、ガイド・通訳、・翻訳、ビジネスサポートなどのサービスを行っております。日本人常勤スタッフに何でもご相談ください。


詳しくは弊社ホームページ をご覧ください。


Berlin JP Tour スタッフ一同

Amebaでブログを始めよう!
あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

新しい年の門出を祝うため、1月1日にベルリン州立歌劇場でベートーベン、交響曲

第9番を鑑賞してきました。



第九といえば日本でも年末によくコンサートが行なわれますが、本場ドイツも同じで年末から

年始にかけて多くの都市、会場で聴くことができます。

今回のコンサートはベルリン州立歌劇場のオーケストラStaatskapelle演奏、Daniel Barenboim指揮、

ソリストには同歌劇場所属のソプラノAnna Samuil、メゾソプラノはAnna Lapkovskaja、テノールは

Johan Botha、そしてバスバリトンはやはり同歌劇場の看板歌手René Papeが歌うはずが…急病で

今年所属になったばかりのTobias Schabelが代理を急遽務めたというメンバーで行なわれました。

Pape氏は前日、同コンサートでとてもすばらしい歌声を披露したと新聞に批評が載せられていた

ほどだったのですが。

観客の失望は大きく、彼が出ないことが発表されるとどよめきのようなざわつきが長く響き渡りました。

急に歌うことになったSchnabel氏は緊張でたまらなかったのではと思います。なにせ、かの有名な

「歓喜の歌」(原題:An die Freude、シラー作詞)の第一声がバスバリトンなのですから。




さて演奏はというと、いつもとは違ってオーケストラが観客より高い位置にあるため、会場の

シラー劇場のとてもよい音響設備が実感できるものでした。Barenboim氏の指揮は以前に見た時と

同じように第3楽章がとてもスローペースで、ここで心地よく眠気に誘われる方も多いのではと思う

テンポなのですが、この指揮が楽器の一つ一つの音を際立たせていてトランペット、オーボエ、

打楽器などの普段は何気なく聴いてしまうような音がしっかりと耳に届いてきました。一つ一つの楽器と

団員が一つになってこそ交響曲が存在するのだとよくわかる演奏で、第4楽章の力強い始まりが

このテンポを変えたと思いきや再び強弱を大きくつける指揮で、急速にスピードを上げるあたりでは

若干調和が乱れたような場面がいくつかありました。しかし、それでこそ人間がこのすばらしい音楽を

奏でているのだと実感できる場面でもあるのだと思いました。



第4楽章の合唱はもう、言うことなしのインパクトで終盤に向かい徐々に気持ちも高揚して行きます。

ドイツでシラー劇場と名前のついた場所で「歓喜の歌」を聴けるのですから、興奮しないわけが

ありません。ものすごいスピードでフィニッシュした直後に沸き起こった拍手の嵐とその後に始まった

すばらしい公演に対して贈られる観客が一団となった手拍子。これが本場のベートーベンの第九です。




日本人の観客も数多く見かけました。

こんな喜びにあふれるコンサートを皆さんもベルリンでご覧になりませんか。

ベルリンJPツアーではコンサートやオペラのチケット手配も行なっております。

お気軽にお問い合わせくださいませ。


http://berlinjp.com/
                                                    カーン


ブログランキング・にほんブログ村へ

皆様、新年明けましておめでとうございます。

2013年が皆様にとって素敵な1年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

日本が、そして日本の皆様が、一刻も早く東日本大震災の傷が癒えますようお祈りいたしております。

 

日本では大晦日から元旦にかけて、家族や親戚で集まって美味しいご飯とお酒で新年を祝う、という方も多いのではないでしょうか。私の家では大掃除やお餅つき、おせち作りなどをすべて18時頃には済ませ、そこから宴が始まるという、いつもとは違う空気を子供ながら感じてそわそわする一日でした。

 

ここドイツでは、一風変わった年越しを楽しむことができます。

ドイツでは打ち上げ花火や爆竹は銃の発砲音と間違いやすいことや、大きな音を突然鳴らすとお年寄りや子供に危険ということもあり、基本的に大晦日の前3日間だけお店に並びます。(大晦日以外に打ち上げ花火や爆竹を使用したい場合は4週間前までに書面での許可証が必要となります。)

 

お店に並ぶ打ち上げ花火や爆竹の様子

  

 

 

新年をカウントダウンで迎えたら外へ出て、一般の道路で一般人が、打ち上げ花火をあげ、爆竹を鳴らします。

 

一般人の打ち上げる花火(部屋の中からの様子)

  
 
 

 

また、ブランデンブルク門ではコンサートが行われ、その様子が生中継されます。

たくさんの人が集まり、新年を迎える瞬間はいっせいに打ち上げ花火や爆竹が鳴っている様子もテレビで見ることができます。

日本でも放映される世界の新年カウントダウンの様子にも、ここベルリンのブランデンブルク門の様子が伝えられることがよくあります。

 

私は2012年の新年を迎えた時に初めて、ドイツでの年越しというものを体験しました。

その感想はというと・・・危険!

空には至る所で打ち上げられる花火が美しく輝きます。

その一方で、美しさをひっくり返してしまうような、耳をつんざく花火や爆竹の轟音。

ドイツの年越しスタイルに慣れていない人は、命の危険を感じる程です。

 

普段、生活音など雑音にはとてもうるさいドイツ人ですが、大晦日の時はここぞとばかりに豪快な音を鳴らします。

 

 

また、日本では年越しの瞬間に食べられる年越しそばですが、ベルリンでは揚げパンのような、ドーナツのような、『Pfannkuchen(プファンクーヘン)』を年越しの瞬間にいただきます。

 

年越しPfannkuchen(プファンクーヘン)

  

 

これはベルリン以外の地域では『Berliner(ベルリーナー)』と呼ばれているそうです。と言っても、この名付け方もドイツ人によって多種あるそうです。


Pfannkuchen
はふたつの単語から構成されていて、ひとつは『Pfanne(プファンネ):フライパン』、ふたつめは『Kuchen(クーヘン):ケーキ』となっていることから、ホットケーキを意味するんだ!と主張する人もいます。
またバイエルン州やオーストリアでは、Berlinerを『Krapfen(クラプフェン)』という名で呼ぶそうです。

さて、このBerliner、中はイチゴのソースで満たされていてとても美味しいです。

※1/3付 訂正がございます。
ベルリン、またベルリン近郊の都市では、『Pfannkuchen(プファンクーヘン)』と呼び、それ以外の多くの都市では『Berliner(ベルリーナー)』と呼ばれるそうです(記事訂正済)。
大変失礼いたしました。

 

ドイツでは大晦日と元旦のみ、祝日になっています。

今日1月2日はすべてお店も開き、仕事も始まります。

 

本日のベルリンはあいにくの雨ですが、観光客がたくさん訪れていて賑わっています。

皆様もぜひ次の大晦日は、ドイツ・ベルリンで美しい花火を見ながら新年を迎えませんか。

各種オプショナルツアーもご好評いただいております。

ぜひ皆様、Berlin JP Tourホームページをご覧ください。 http://berlinjp.com/

 

それでは本年もBerlin JP Tourをどうぞよろしくお願いいたします。

 

Berlin JP Tour スタッフ鈴木

 







ブログランキング・にほんブログ村へ

Merry Christmas!

日本のクリスマスは商業化されているとはいえ、やはり一年に一度、人々に喜びや楽しみをもたらす時ですね。私もクリスマスの季節が大好きです。

ところでみなさん、クリスマスには必ず歌うといってもいい『きよしこの夜』はどこで、どのように生まれたかご存知ですか?

私はこの夏休暇で過ごしたオーストリアのチロル地方チラー渓谷(Zillar Tal)で、たまたま訪れた町の小さなミュージアムでそのストーリーを知ることになりました。それはそれは心温まる物語ですので、みなさんにご紹介したいと思います。

1818年のクリスマス直前、ザルツブルクから程近い小さな村オーバーンドルフの教会のオルガンが故障してしまいました。オーバーンドルフは谷間を流れる川で舟こぎを生業とする人たちが多く住む集落でした。この貧しい村の小さな教会には、クリスマスまでにオルガンを修繕する費用などありませんでした。そこでオルガニストのFranz Xaver Gruber神父のJoseph Mohrが、クリスマスの礼拝にみなで歌えるように、急きょクリスマスの歌を作詞作曲し、当時教会の礼拝では使われることのなかったギターでの伴奏で歌うことになりました。これがその後世界中で歌われるようになった『きよしこの夜Stille Nacht』の誕生秘話です。

では、そんな小さな村の教会で生まれたこの曲が、どのようにして世界に広まることとなったのでしょう。

1820年、チラー渓谷のフューゲンという町に住むオルガン技工士Carl Mauracherが、オーバーンドルフのオルガンを修繕に訪れました。その際、『きよしこの夜』に出会ったのです。曲の美しさに感銘を受けた彼は楽譜を持ち帰りました。そして地元で手袋製造を営んでいるシュトラッサー家の兄弟姉妹によるコーラスグループがこの歌を演奏するようになりました。

1831
年ころ、彼らが商売のために訪れたドイツのライプチヒでこの曲を披露したところチロル民謡としてよい評判を受け、その評判がベルリンにいる皇帝フリードリッヒ・ウィルヘルム4世の耳まで届いたのです。当時は誰によって作曲されたものかも知られることがなかった曲が、まさしくここベルリンからも広まったということになります。

世界300カ国語以上に訳されるほど世の人々に愛される曲となったこの『きよしこの夜』の始まりが、小さな村の貧しい村人たちがクリスマスの喜びを分かち合うために作られた、というささやかものであったということを知ると、この曲の持つ温かさがさらに伝わってくるような気がしませんか。

きよし この夜 星は光り

救いの御子(みこ)は 馬槽(まぶね)の中に

眠り給う いと安く

 

きよし この夜 御告(みつ)げ受けし

牧人達は 御子の御前(みまえ)

ぬかずきぬ かしこみて

 

きよし この夜 御子の笑みに

恵みの御代(みよ)の 朝(あした)の光

輝けり ほがらかに

 (ドイツ語原詩は6番まであります。)

 
ブランデンブルク門 12月22日撮影

みなさん、素敵なクリスマスをお過ごしください。     BY YMS

★ベルリンの旅なら Berlin JP Tour




ブログランキング・にほんブログ村へ