ベルリン・ポツダム広場から少しだけ離れた「Neue Nationalgalerie」(新ナショナルギャラリー)では20世紀史を振り返る展覧会シリーズが行われています。

一昨年から去年にかけては、20世紀前半(1945年まで)を扱った 「モダンの時代(Moderne Zeiten)」展が長期間開催されていましたが、11月についに戦後の時代へと展示が変わり、今行われているのは「引き裂かれた空(Der geteilte Himmel)」展です。

「引き裂かれた空」展は、1945年から1968年の時期を扱っており、展示の最初の空間には、戦後初期の荒廃した風景などを描いた作品も多いです。ポップアートやアンフォメルなどの部屋もあります。全体としては冷戦期の社会的テーマを強く感じさせる展示室の割り方で、現代アート史と戦後史が重なり合って体感できる展覧会となっています。

東ドイツの代表的画家のひとり、Willi Sitte のアレゴリー画(のパロディ的)もありました。これはシリーズ作品のひとつなのですが、音声ガイドをちょっと聞くと、東ドイツ当局には「難解すぎる」などの批判を浴びたという話もありました。色彩豊かで、たくさんのイメージが書き込まれており、パワフルです。
東ドイツアートは、今回の展覧会では最初のほうにちらほら、という程度で後半はほとんどありません。

ポップアートの部屋を歩くと、絵のほかにも壁紙と彫像(マオとマルクスが二つずつ)に囲まれることとなります。
毛沢東の顔の中に、よく見るとそのミニチュアが無数に見えてくる絵(アーティスト名を忘れてしまいました)。
アンディウォーホルの、「じゃがいもを数えるひとたち」が無数に連続している赤い(!)壁紙。
この部屋では、工場の大量生産様式と、イデオロギーの「大量生産」的浸透の近さが味わわされ、
そうした現象に対する恐怖もまた、当時から資本主義圏にあることがわかります。

何かが複製され、増幅されていくイメージ。

ポップアートの部屋では、アイコン(毛沢東、エルヴィス・プレスリーとか)が反復されるけど、
抽象画系の部屋へと進むと、複製や増幅という形式がアイコンなしでも執拗に繰り返され、変奏されていく、そんな作品にもいくつも出会います。
とくにあの「じゃがいも」の壁紙を見た後では、時代を代表する大量生産様式とイメージの形式的結びつきを改めて感じざるを得ません。
いろんなものが、増幅を繰り返してる。

「増幅」アートのなかで楽しめたのは、Otto Piene のLichtraum というインスタレーション。
表面を穴だらけの鏡で覆われた大きい箱が、暗い部屋にいくつか置いてあり、箱の中で光が動くという作品。
穴を通して、動き揺らめく光が放射され、部屋の壁に投影されます。
壁には、くらげのような光のオブジェが漂いつづける。動画、以下。
http://www.youtube.com/watch?v=2UClEuQf4Hc

この作品は洗練されたふんいきの空間で、ミニマリズムっぽいオブジェもオシャレ。
光を変化させ動かし続けるアイディアもオリジナルです。
それであってもやはり、自動的な操作によって複製され続けるイメージの反復という意味では、戦後の工業的なイメージ形式を踏襲しているということもできるのかもしれません。

Bernd & Hilla Becher の写真シリーズ「貯水タンク(Wassertuerme)」は、反復とヴァリエーションのイメージを、まさに工場的な物体に接近することで、捉えなおす視線を感じます。
この人たちの写真は、ドイツの美術館では結構よく見かけるのですが、コンセプトを明確にし、狙ったものを被写体にしていく執拗さがきわめて印象的。
貯水タンクが画面の中央に堂々とすわった白黒写真がずらりと並ぶと、それは水を貯めておく道具ではなく、植物図鑑で「~科」と載るのと同じような、類型カテゴリーのひとつとしての「貯水タンク」という概念へと変質する効果を持っています(音声ガイドでもmorphologischと言っていたような)。

あと一個!印象にとっても残ったのは、Lee Bontecou の「無題」。画面から大きく突出した宇宙船のような布?だけど大きな黒い穴が二つ奥に見えて・・・
人工物のような形をしつつ、けっこう天然素材だし、未来っぽくて昔っぽい。いろんな連想を誘います。おすすめです。終わり近くにあります。

展覧会全体のプロモーションビデオは以下。

http://www.art-in-berlin.de/incbmeldvideo.php?id=2288

タイトル「引き裂かれた空」は、クリスタ・ヴォルフの小説にちなんでいます。
12月2日に亡くなったばかりの、東ドイツを代表する作家の主要作のひとつ。
東と西に分かれた空、という意味で冷戦時代(とりわけドイツの)を象徴する言葉なのですね。
追悼オマージュとしてこのタイトルをつけたのかとも一瞬思いましたが、展覧会は11月からやっているから、もともとこのタイトルだったのですね。

<み>
お正月の神戸港、「震災メモリアルパーク」。

おだやかで、晴れた海。

ベルリン記念碑遠足の会

傾いた外灯が残されています。


ベルリン記念碑遠足の会

それ以外は、高速道路もきれいだし、周辺の景色からは震災の傷跡が見えなくなっています。


ベルリン記念碑遠足の会

この公園の一角には、震災後の神戸の年表や、神戸港復興計画と地図などが展示されています。

また、陸側に少し歩くと、「鯉川筋のイペ」という案内が掲げられた小さな広場があり、イペという黄色っぽい木が佇んでいました。
解説によると、これは中南米の植物で、2008年、ブラジル移民の神戸港出発100周年を記念して植えられたということで、「記念碑」としての木のようですね。



<み>


<み>は今さらですが、シュタージ博物館を訪問しました。
地下鉄U5 のMagalenenstr.から徒歩すぐ。プラッテンバウでいっぱいの地区です。

http://www.stasimuseum.de/

もっと早くに行っておけば・・・とちょっと悔やまれるのは、シュタージ博物館のもともとの建物は現在改装中(2011年末までかかる予定らしい)であり、展示が別の棟に移されているからです。

<移転期間中は、エーリッヒ・ミールケの本物のオフィスが見られないが、家具は移転先にももってきたから「オフィス再現コーナーはある」と> といったことが、わざわざホームページに書かれています。
ミールケのオフィスの本物を見ることがそんなに重要なのか、というと、微妙なのですが・・・
シュタージの歴史の中で最重要人物のひとりなのは確かなのですが。
ミールケは、28年もシュタージ(国家保安省)の大臣をつとめた人物で、いわば<秘密警察のボス>というイメージをまとっており、彼のオフィス(の再現)も、電話機が並んでいることに注意を促す言葉が添えられていたりして、情報と権力を操るコワイ機関をシンボリックに体現するものとして展示されています。

オフィス再現の家具よりも、1990年代になってからの、ミールケのその後に関する新聞記事のスクラップ・ファイルが面白かったです。
ミールケがどんな上司かだったを元・秘書が匿名で語ったインタビュー記事などです。

常設展示は、シュタージの歴史と、東ドイツにおけるイデオロギー教育の紹介(青少年用の歌とか、旗とか、スポーツ活動の勲章とか・・・)。
シュタージが用いていた盗聴用具や隠しカメラの類は、品数が多かったです。
隠しカメラをはめ込んでるカバンや小物、すごいなあとも思うけど、スマートフォンやiPad のような小さくてすごい端末がある現在からみると、なんとなく原始的なものにも見えてきます。
シュタージの歴史に関する紹介内容は、ブランデンブルク門から少し南にあるStasi-Ausstellungと大差ない印象ですが、こちらのほうがやや詳しいように思います。

企画展(Sonderausstellung)も、ものすごく小さい部屋で行われていて、東ドイツにおいて体制とソリがあわなかった「エホバの証人」についての紹介でした。

<み>
またもや<み>です。
またもやドイツ歴史博物館に行きました。

2月末に終了した『ヒトラーとドイツ人たち』展の次の特別展がさっそく開幕。
こんどはドキュメンタリー写真の展示でした。

<20世紀の人々、場所、時代。ドイツ歴史博物館写真コレクション>
2011年2月25日~10月3日

http://www.dhm.de/ausstellungen/menschen-orte-zeiten/index.html

博物館・別館 のうち、地上階のみを使ったこぢんまりとした展示でした。
ヒトラー展をはじめ、企画展はたいてい地階と地下1階の二つのフロアにまたがってますので、会場面積だけでいうと約半分。
ですが、ドイツ歴史博物館が20年間収集したという写真の数は多く、順番に見てくと時間がかかりました。
普段の歴史展示ではあまり注意を払われない、写真家についての紹介がところどころ添えられてるのは新鮮です。
ナチス体制や東独のプロパガンダ方針に沿うような撮影を行った写真家についての解説もひと言あり、それを鑑みて見ると撮影における演出が分かるところもありました。

企画展メイン・タイトルでは直接触れられていませんが、ドイツ歴史博物館なので(?)、「ドイツ史」に関する題材の写真ばかりでした。
全体的には時系列の展示スタイルで、これまた企画展の題名からはうかがいしれないことに、なんと19世紀後半の写真からスタート。

写真の撮影地がわからないものも稀にありましたが、戦前オストプロイセンの人々の写真や、あるいは、プロイセン軍が闘いにでかけた先の外国の戦場のものなども含まれています。

各時代のコーナーの中では、小さくテーマごとに写真が分類されていて、たとえばナチス期のエリアには、「スポーツ」という小見出しのもとに1936年ベルリンオリンピックの写真が並んでいる壁があったりします。
戦場の写真、あるいは移民・被追放民の写真といった、歴史的大事件を象徴するような写真が一番多かったですが。
戦後の工業地帯の風景(東西ドイツどっちも)や、大衆文化(戦前の一般市民の家族旅行アルバムの例、東独のファッション雑誌「ジビル」、etc)のトピックもありました。
人物ポートレートは、政治史上の人物(ヴィルヘルム皇帝、ヒトラー、アデナウアー、ブラント、その他)も、文化史上の人物も(アインシュタイン、トマス・マン、ケーテ・コルヴィッツ…)。

入り口から写真が時系列の順で並べられてるので、全体的にはあたかも「ドイツ」という擬人化された主人公がいて、「こういう時代もあった、ああいう時代もあった」というふうに色んな時代を「経験」してきたアルバムのような、伝記のような、そんな感じがしないことも、ないです。
ドイツ歴史博物館のコレクションなので、アルバムスタイル以外の選択肢はあまりないのかもしれないですが。

おもしろかった展示は、最初のほうに、<Kaiserpanorama「皇帝パノラマ装置」> で見るための写真がたくさんあったことです。

※Kaiserpanoramaは、1900年頃の3D写真装置。二枚の、ほぼ同じ内容だが少~しだけ角度をずらして撮影された風景などの写真を横に並べ、左右の視界を別々にする双眼鏡をとおして見ると、像が立体的にみえちゃう。これ、小ぶりな双眼鏡で見てもいいっぽいんですが、Kaiserpanoramaというのは、タンスのような木箱の壁面に双眼鏡が埋め込んであるもので、さらにタンスが環状に連なってて、見学者たちがそれをぐるりと囲んでのぞくという。Wikiドイツ語版に図がのってます。ドイツ歴史博物館「本館」の常設展内にも、Kaiserpanoramaがあります。

この、パノラマ装置に入れる用の、二枚綴りの写真は企画展にたくさんあったけど、それを立体的に見る装置はなくて、それはちょこっと残念でした。

本館にはKaiserpanorama装置があることについての案内もみあたらず。解説はちょっと簡素すぎかも。
アインシュタインの写真には生没年の記載が添えられてるけど、その横のトマス・マンは生没年ナシだったりとか。

ヒトラー展と比べれば、明らかに、力をいれていない企画展でした。
部屋は地味な配色で統一。
係員さんも少人数、見学客も少なめ。
でもそんな、静かでひっそりした展示室の雰囲気は、落ち着いていてとてもステキ。
混雑していないので、心ゆくまで見学してもあんまり疲れないし、個人的には気に入りました。

<み>です。前回の投稿記事に、丁寧な感想メールをいくつか頂戴しております。まだ返信できていないのですが、、ありがとうございます。

1月下旬、Deutsches Historisches Museum (ドイツ歴史博物館@ベルリン)へと遠足しました。

特別展  Hitler und die Deutschen (ヒトラーとドイツ人)
2010年10月15日~2011年2月27日

を見学しましたので、記録を兼ね投稿します。

現代史の展示は数多くあるベルリンですが、『わが闘争』が発売禁止のここドイツ連邦共和国では、「ヒトラー」が含まれるタイトルはちょびっと新鮮に映る感じもあり(ますよね?)、
「難しいテーマだけど、どういうふうに展示されてるんだろう?」という興味がかきたてられます。
わたしたちもそんなことを話しながら展示室に向かいました。

わたしたち5人は、博物館員の方による解説ツアー(4ユーロ)に参加しました。
担当の方が7~8箇所のポイントので関連知識を講釈してくださり、それに参加者(全部で20数人?)がゾロゾロついていくという方式で、1時間15分ほど。
ツアー参加者はなぜか中高年の方が多めに見えました。
辺りを見回したところ、オーデォオガイド(3ユーロ)を利用している見学者は老若を問わず多いようでした。

展示物はだいたい時系列に沿って配置されています。
・ヒトラーの肖像画複数、ヒトラーや側近の彫像
・ヒトラー自筆の絵やメモ
・ヒトラーが登場するプロパガンダ映像
・ナチス制服(多数)、勲章など
・ヒトラーユーゲントのポスター
・プロテスタント教会と人々が体制に協力する様子を描いたタペストリー
・強制労働の概要についての簡単な解説コーナー(アウシュヴィッツの近くの、化学物質ブナ工場の写真等も)
・T4作戦(優性思想による障害者の集団殺害)の解説コーナー
・ヒトラー暗殺をもくろんだ人物たちの紹介
・戦況や作戦が書き込まれた1940年代の地図など
・収容所に関する展示の小部屋 (ここだけ部屋の壁がダークグレーで隔離)
・誰がユダヤ人とされたか、の解説
・その他。全部は見きれませんでした・・・

ドイツ歴史博物館の所蔵品に加え、各地のアーカイブ等からも展示品が集められており、豊富で充実した展示室になっていました。
人々が動員されていった過程に関連するグッズ(募金箱とか)の展示や、ユダヤ人殺害について一般の人々はどれほど知っていたのかという問題の提示もあり、目配りもきいています。
その半面、企画の焦点はやや拡散しているような印象もすこし残りました。
ホロコースト展示のような残虐な写真類は除かれており、かといって、映画(たとえば「ヒトラー最後の12日間」とか)のような人物描写の迫力もそこまで追求されていなかった感じです。

ヒトラーの人物描写に集中するのではなく、テーマ設定が「ヒトラーとドイツ人」になっているのは、ヒトラーの偶像化を連想させる路線は避けなければならないという社会的前提からなのでしょうかね。
リーダーひとりに責任を負わせてすませてはならない、ふつうの人々も彼を選んだり、ナチス体制や戦争に参加したり差別に加担したりしたし、産業界もそれを支援した、それを軽視してはならない・・・ そういう、「過去の克服」的な「教え」に、この企画展は沿っていると思います。
結果として、ヒトラーの本や自筆原稿等を陳列品に加えた以外は、ベルリンのあちこちにあるような現代史展示の路線を踏襲、再構成した感じになっている部分もいくらか生じているような。
しかし、そもそも、ナチスの研究や議論はいまに始まったことではなく、目新しい企画展を打つのはどんどん難しくなっていそうだし、もし、すごく目新しい企画じゃなきゃ特別展など開催しない(+見ない)・・・ということになったら、過去は風化してしまうに違いない。学校で一度習ったことだって、ときどき記憶更新しなけれ遠のいていくし。
そうかんがえると。壁崩壊や統一20周年関連のイベントがすっかり終わったいまの時期、すこしだけでも新味を加えて、首都ベルリンでナチス関連展を開くというのは、ナチスの過去との取り組みの<継続>こそを確認し、示す、という文化政策上の意志表明の意味が大きいのかもしれません。
そして実際に、展示が大盛況となり混雑するということは、驚くべき現象のような気がします。
この特別展開始からまもない11月ごろは、混雑して入り口に行列までできてる、という話をほうぼうより聞いていました。
わたしたちが訪れた際は、行列はありませんでしたが、それでも会場には午前中から人が結構いて、地図の展示などは、前の人が見終わるのを待ったりしなければなりませんでした。

特別展のカタログは二種類で、しっかりチェックせずに帰ってしまいましたが、薄めの冊子は8ユーロ、分厚い本格カタログは25ユーロ、どちらもカラー印刷だったと思います。
分厚いほうには、イアン・カーショーやハンス・モムゼンといった歴史研究者たちの文章も収録されているようでした。

この展覧会で印象に残ったひとつは、展示室の壁の色が、ところどころ変えてあることです。
赤っぽいエリアと、カーキ色エリア、そして灰色の小部屋があって(ほかにも見逃しているかもしれない)、緊張感が演出されていて、飽きないような雰囲気作りとしても工夫されているのかな?、と思ったりしました。