☆      後北条氏❗   ;
      加来耕三氏     ;

       ・・ 足利将軍家の一門、で、 代々に、
  駿河の守護を務める、 今川氏にすれば、
  代々の家人ではない、 北条早雲氏    ;
  (    室町時代の中後期から、
  戦国時代にかけて活躍した、
  戦国の世の幕を切った武将。
  当時は、 伊勢姓とされる   )    、 は、
  所詮は、 余所者にすぎない。

      お家騒動に遭遇して、
   彼の活躍に感謝はしても、
  喉元を過ぎれば、熱さは、忘れるもの。

    やがて、 余所者が、 
  のうのうと暮らしている姿に、
  面白くない感情を抱く者が出るのは、
  明らかであった。

    城を持たない今川家の、
  有力な家臣もいたであろう。

     そうした者らの嫉妬を避けるには、
   今川氏の領内から外へ出る必要があった。

    これは、  伊勢新九郎氏による、
   実に良い判断であった
  、と、いえる。  グズグズしていては、
  わが身が、あぶない。

     目をつけた伊豆国の、 韮山は、
   将軍の下に、 執権 、という、 
  権力許須   ポス    ;    ポスト    ;
  、 を創った、  鎌倉幕府の、
  北条氏の流れを汲む、 城主家であり、
   当主が亡くなって、 間髪を容れず、
  どういうわけでか、 早雲氏へ、ぜひ、
  養子入りしてほしい、との、
  依頼をもたらす    ;   
 (   異説もある   ) 。

     恐らく、 早雲氏が、 日頃から、
  忍耐強く、 誼  (  よしみ  )、 を通じて、
   北条家の家臣の主だった者らを、
  懐柔していたのであろう。

   少なくとも、 年齢的には、
   六十歳の人物を養子に迎える、
  ことは、 考えにくい。

     が、この韮山城入りは、 
   早雲氏にとって、 まだまだ、
  野望の途中でしかなかった。

    彼は、 今川氏親氏の信任が厚く、
  その家中でも、 重きをなしている間に、
  〝  箱根の険  〟 、を越える、
  計画をもっていたのだ。

    そのうちに、 譜代の家臣らの中で、
   己れの存在を心よく思わぬ者が出現する、
  懸念があった。

    そんなおりに、  氏親氏
  、と、 意見の対立でもあれば、
  早雲氏は、  太田道灌氏    ;
 (    室町時代の後期の武将。  
  武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰   )
  、の、 二の舞となる。

      共通の敵がいる時に、その相手が、
  巨大であったならば、 なおさらに、
  その内側の結束力は、強いもの。

    世は、すでに、乱世であった。

    主君や重臣たちと、感情的に、
  行き違った時に、わが身をどう処するか。

   隠遁するか、主君を倒すか。

   はたまたら 斬られるにまかせるのか、   
  それとも、 別な道をきり拓くか――
   早雲氏は、 熟慮したうえで、 別の道  =
   箱根越えを計画したのであった。

    この別の道の選択は、  自らが、
   新天地を求めることで、 命ながらえ、
  一方では、 今川家の安泰をはかる❗
  、 ことにも、つながった。

    まさに、一石二鳥の妙案であった
  、と、いえる。

    延徳三年  (   一四九一  )   四月二日、
  「  関東公方  」、の、  一つな、
  ・堀越公方の足利政知氏が没し、
  長子の茶々丸が、 跡を継承した。

    そして、七月一日、に、 その彼が、
  何を思ったか、 継母を殺害し、
  継母が産んだ幼い弟をも殺す❗
  、 という、事件を引き起こす。

      早雲氏は、 この事件の報に接するや、
   すぐ、 家督を、 息子の氏綱氏に譲り、
   自らは、剃髪して、 早雲庵宗瑞
  、と称し、 隠居の宣言を発した     ;
  (   この家系員が、 北条氏を名乗るのは、
  次代の氏綱氏の代から   )  。

     その上で、  病気の療養と、
   弘法大師の霊跡を巡礼する、と、
  周囲には、吹聴しながら、 早雲氏は、
   伊豆の修善寺温泉に向けて出発し、
  しばしの逗留を決め込む。

     茶々丸は、 この偽装と、
  早雲氏の年齢に油断した。

     早雲氏は、 温泉につかりながら、
  退屈をまぎらわせるために、と称して、
  山樵  (  きこり  ) 、 を呼び、
   伊豆の四郡の地理をこまごまと尋ね、
  うわさとして伝わる、 各々の武家、
   国人の内情などを、聞き上手に徹して、
  しゃべらせ、幾人となく、 人々と接して、
   知りたい事らを聞き出すと、 そそくさと、
  駿河に引きあげていった。

    彼の目は、後方の堀越公方をかつぐ、
  実力者の、関東管領、な、山内上杉氏
  、にも向けられており、 その動静は、
  逐一に、伝えられていた。

    この用心深い男に、
  ぬかりは、なかったろう。

     他方の合戦に出撃して、  堀越館     ;
  (  堀越御所  )、 の警固が、手薄になる
  、 のを知るや、 手勢な、 二百人と、
  今川家からの援兵な、 三百人の、
合計で、 五百人を率いて、 早雲氏は、
   堀越館を包囲すると、 火を放って、
  激しく、これを攻めたてた。

   「  われは、今川殿の代官なり  」  ;

  そう、いいつつ、 堀越公方の、
   茶々丸を追い落とした早雲氏は、
   この公方を、 韮山の願成就院
  (  がんじょうじゅいん  )、 にて、
   自害せしめている。

    伊豆の人々は、
  早雲氏の軍勢に恐れをなして、
  一斉に、逃げ隠れた。

     しかしながら、  ここでも、 早雲氏は、
   人心の鎮静化と掌握につとめ、
  他方で、  疾病に苦しむ村人には、
   手厚い救済をおこない、
  人望を高める❗
  、 ことを忘れなかった。

   徒手空挙で、ついに、
  伊豆一国を横領した早雲氏。

    この辺りで、
  己れの野望の矛をおさめても、よかった。

    今日の感覚に置きかえれば、
   八十歳を超えてなお、
  新規の事業に乗り出す、経営者がいるか、
  否か。    そのように、
  比較検討してみると、よい。

   にもかかわらず、  彼は、さらに、
  箱根の向こう側、 相模国は、
  小田原を欲する。

    なぜか、まだ、  
  安心ができなかったからだ。

   もしも、 駿河国の、 
  今川氏と戦うことになった場合に、
  伊豆の一国では、国力の差が大きすぎた。

     それを補うために、 早雲氏は、
  小田原を必要としていた。

   ◇    早雲氏が実行した、
  嫉妬を買わない方法    ;

    明応三年  (  一四九四  ) 八月二十六日、
   小田原の名将・大森式部小輔氏頼
  (   しきぶのしょううじより  )  
  、 氏が、病没した。

    氏頼氏のあとは、 その子、な、
  ・信濃守藤頼  (  ふじより  )、 氏
  、 が嗣いだが、  早雲氏は、
  しきりと、 この人物に親交を結びたい、
  旨を伝え、 若き後継者を持ち上げて、
  油断させ、 一気に、
  小田原城を乗っ取ってしまった。

    六四歳にして、 箱根を越えた早雲氏は、 その後、さらに、
   二四年間   ;   (   十七年間とも   ) 、  を生きたが、
   さすがに、 これ以上の領土の拡大は、考えなかった。

    彼は、 今風にいえば、
 〝  一人勝ち  〟 した、 と思われることを、 徹底して、避けた。

    これ以上、 何処かを攻め取れば、  
   四方の実力者たちから、 畏伏  (  いふく  )  され、 
   その恐怖は、 やがて、 早雲氏の、
   〝  一人勝ち  〟 、を許すな❗ 、との、
   大同団結を呼ぶ懸念があった。

   まさしく、 太田道灌氏の晩年のように――そうなれば、
   四面楚歌となってしまう。
  
    攻めから、守りに転じた、 早雲氏は、
   徹頭徹尾、領民をいつくしみ❗
    、
    下剋上を手伝わせた今川家や別途、
   山内と扇谷の両上杉家との交際にも、
    細心の注意を払った。

       一介の浪々の身から、  早雲氏は、 ついには、
   戦国大名の先駆けに登りつめたが、  
   その成功の秘訣は、すでにみた、
  〝  忍耐  〟 、に徹する姿に尽きたが、 その根底にあったのは、
   人間の感情の機微を察する、 苦労人の早雲氏ならでは、の、
    配慮に負う所が、 大きかった。

    「   竊  (  ひそか  )  に恐るらくは、  後の今を見むこと、
   今の古を見る猶くならむ   」    ;       『  古語拾遺  』  。 

        といったのは、
   平安時代の初期の神祇官、な、 ・斎部広成
   (   いんべ、の、 ひろなり   ) 、 氏であったが、
   人間は、  「   そういえば、あの時――   」、 と、 遅まきながらに、
    過去をふり返って、気づく生きものである。

     愛情や信頼は、 ほんのわずかな感情の行き違いで、
  瞬時にして、 憎しみや怒りにかわるもの。

    かの清少納言も、いっている。

 「    世の中に、なほ、いと心憂きものは、
  人に、にくまれんことこそあるべけれ   」   ;    『  枕草子  』  。

    早雲氏の警戒は、
  徹底したものであったろう。

   その証左に、彼は、占領地の民に慕われ、
   飛躍する端緒ともなった今川家の人々にも、
  心の底から、信頼されつづけた。

    信義を貫くためには、七十を超えても、
     早雲氏は、 関東の合戦へ、
  付き合いで、出撃している。

   ≒
 【     自らの側の将兵らを、 より、 能く、観察し得て、
  その、向き、と、不向き、などを、 自らの側が、 よく、知り得る、
    機会とし、  彼らへ、
     よく、 軍事での経験知らを付けさせて、  自らの側の、
   火急の時々にも、 より、役立つ能力性らを身に付け得るように、
    鍛練もする、 意味もあったろう。
      
        時々は、 合戦に、 自らの将兵らを参加させないと、
    より、 なまくらな者らが、 淘汰されず、に、
   その軍事的な質が、 より、 低くなる向きへ、
    余計な、圧力がかかってしまう、
     が、
     自分から、戦を仕掛け続けて、 
   自らの側の、 将兵らも、いため続ける、事は、
      その遺族ら、などや、  より、
    その犠牲者に成り得る人々をして、  自らへの、余計な、
    不平不満、 を、 呼び起こし付ける、 事にもなる。

        しかし、 
     自分からの事では、なくて、
    他者ら、との、 合理的な、付き合い、 などによる、
    派兵であれば、  
    そうした、 あり得る、 怨嗟らを、 より、
   自らへ宛てさせないで済む事になる     】
       。

     この律儀さの演出こそが、
  嫉妬をかわす、秘訣であり、
  この人物を長生きさせて、 その名を、
  後世に伝える源となった
   、 と、 考えるべきでは、あるまいか。

    現代を生きる我々も、嫉妬を買わない
  、工夫については、熟慮すべきである。

     最も良い説得方法の一つは、
  相手に気に入られる事だ。

    うまく気に入られるためには、
  交渉家は、 気持ちのよいことを話すように、
   努力し、また、耳障りな     ;
 (   聞いていやな感じがする   )、 話も、
   言いまわしや、語調や、
  表情や身振りをえらんで、
  やわらかく聞こえるように、
  つとめなければならない。
 (   カリエール氏   ;   『  外交談判法  』  ) 。 


     ☆      国賊な、   二階氏ら❗ 
   、と、 プロレスな対立性らを演ずる、
    反日員ら❗    ;

          7月22日にスタートする、  観光への需要への喚起策、な、
  「   Go To  トラベル・キャンペーン   」     ;    (   以下、  Go To   )。

   この事業を、 千895億円で受託したのは、
   「   ツーリズム産業共同提案体   」     ;    (   以下、 共同提案体   )
   、 なる団体だ。

     この、「  共同提案体  」、 に名を連ねる、 観光に関連の、
   14団体から、
   自民党の幹事長、な、二階俊博氏をはじめ、
    自民党の議員、な、 37名に対し、   少なくとも、
  約  4千2百万円  、 の献金が行われていることが、
   「  週刊  文春  」、 の取材で、 分かった❗ 。

   「  共同  提案体  」、 は、
   全国旅行業協会  (  ANTA  )  、  日本旅行業協会  (  JATA  ) 、
   日本観光振興協会 、 という、  3つの社団法人と、
   JTB 、 などな、 大手の旅行会社、な、 4社で構成される。

        加えて、  全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会、
   日本旅館協会といった、 宿泊業の関連団体が、
   協力団体として、 総計で、 14団体が参加している。

   Go To   、の実現のために、奔走した、 二階氏は、
   1992年から、 30年近くを、
   ANTA 、 の会長をつとめている❗ 。

   「    ANTA 、は、 全国で、   5千5百社の旅行業者を傘下に収める、
    組織で、   そこのトップである、 二階氏は、 いわば、
   "  観光族議員  " 、 のドン❗ 。
    3月2日に、 ANTA  、をはじめとする、 業界の関係者が、
    自民党の、  『  観光立国調査会  』、 で、
    観光業者の経営への支援や、 観光への需要の喚起策などを要望した、
    のですが、
    これに、  調査会の最高顧問を務める、 二階氏が、
  『    政府に対して、 ほとんど、命令に近い形で、 要望したい    』
   、 と応じた❗ 。
    ここから、  Go To   構想が始まったのです    」    ;
    自民党の関係者    )
https://bunshun-jp.cdn.ampproject.org/c/s/bunshun.jp/articles/amp/39127

    62:    ID:PmfRyzfA0    ;
利権でばら撒いた税金は、 献金として、政治家に還元されるんだな❗ 、
  知らなかった    (´・ω・`)

69:    ID:bFrEGeGg0    ;
すげえ、文春 
goto   、に対して、 最高のタイミングで公開しやがったww。

   74:    ID:6DDqAtC30    ;
   4千2百万円を出したら、
    ➖兆円以上を、 税金を注ぎ込んでくれるんだから、 
   旅行業界からすりゃ、 リターンが、大きいわな。


     ◆     絶やし去るべき、 反日員らによる、 ブログ    ;       
   カイカイ反応通信❗   ;

         韓国人ら;    「    朝鮮時代が腐っていた❗ 、 ということを示す絵…、
   この国は、日本がなければ、どうなっていたのか    」   ;
             2020/    7/25   19:55     コメント248     ;

          韓国のネット掲示板な、 イルベに、
   「   朝鮮時代が腐っていた、 という事を示す絵   」 、 という、
   スレッドが立っていたのでご紹介。

    1.    韓国人  (  スレ主  ) ;
     ソンビなのか、両班なのか、毎日に、女遊びをして、仕事もしないww。
    価値のない人生だ。
     日本が、いなかったら、 どうなっていたのか?   ;
     自国民を奴隷にした、全世界で、唯一の国、朝鮮❗
   翻訳元:https://www.ilbe.com/view/11273840668

       その、 論弁欄への、  日本語での、 露弁   ローベン   、ら ❗    ;

    37.     2020年   7月25日   20:14   ;
   日本の賤民として扱われた人々は、 奴隷じゃないわ❗ 。
  ただ、  居住区や就業での自由が、 なかっただけ。

      日本での奴隷制度は、それこそ、
   卑弥呼の時代までで、 終わっている❗ 。

     併合時代、 両班が、 小作の農民にたいして、
   平気で、暴力を振るうのを見かねて、
   日本人が、止めたことが、よく、あったそうだ。

      日本では、 江戸時代でも、 庄屋が、
   自分の農地の小作人に暴力を振るうなんてことは、
   許されなかった❗ 。

     そればかりか、  庄屋は、
   村の灌漑事業を行ったり、  貧農員への面倒を見たり、
   地域をまとめて、面倒を見る、責任があった。

     日本人は、 たとえ、 特権階級員であっても、
   それなりに、 勤勉であることが、 求められた。

    朝鮮人と日本人とでは、 昔から、
  根本的に、人生に対する姿勢が違う❗ 。
   それが、すべてなんだろう、 と思う。


    169.     日本も、  大名が、 民を奴隷にして、
  ポルトガルに売ってましたけどネ。

    191. >>169    ;         それに激怒して、
   【     豊臣秀吉氏らが     】、
   キリシタンを狩ってたろ。
 
      225.    >>191    ;        秀吉太閤が、
   出来る限り、 買い戻しただろ❗ 。
    そのあとに、 鎖国❗ 。
   それでも、 機会を狙ってきたから、 ブチギレた秀吉太閤が、
    ヨーロッパのキリスト教の布教を殲滅するために、
   明に出撃❗ 。
    明に向かうために、 朝鮮への出兵が起きた。


       医者とか、 薬剤師 、などな、 かなり、 社会的な地位が高い人も、
    『  非人  』  
    、に分類されている❗ 。

     特に、 地位の高い医者では、
   武家と養子縁組みをして、 士分である場合もあったが。

     とにかく、  非人には、 税金、年貢など、なく、 また、
   行政からの管理を受けない、 自由員でもあった❗ 。

     もちろん、 差別され、 職にしばられたもの達も、いたが、
   忍者とか、 特別な荘園で、
    幕府や藩の支配を受けない、 自由農員らもいた。

     167.   >31. 韓国人   ;       日本も、
  明治維新前までは、似たようなものだったし、
  いや、 全世界が、みんなそうだった    ;

     お伊勢参りとかを知らないんだろうな…。
    庶民が、 小判を、 襟元に縫い付けて、 毎年に、
  全人口の、  ➖  /  6   、  が、  参拝に行き、
    参拝に行け無い人は、  代りに、
    犬にお金を持たせていた❗ 。

      日本では、  犬に食事を与えたり、
   金銭が減っている、 と、 補填したり、
   見知らぬ人での助け合いで、   
    犬でも、安全に、参拝出来ていたなんて、
     絶対に、信じないだろうな。

     166.    確かに、今でも、 北の喜び組なんかは、
   奴生扱いだし、
  労働党の幹部、 以外は、 奴隷みたいなもんだろう。
   現代の両班に当たる幹部達は、南北の統一など、
  絶対に、嫌だろうね。
 
     ・・ 続きは、 務録    ブロク     ;
 『    夜桜や    夢に紛れて    降る、寝酒    』
 、で❗ 。