◇ シナの手の     カネのまみれを      はね退けて            
  ブルキナファソは         友の手を得り    ;
        17/   1/27    4:24   ;

    ☆     中国が、 台湾と外交関係のある、 
       西アフリカの北の内陸の、 
    ブルキナファソに対し、
   5百億ドル      ;    (   5兆66百億円   ) 
  、 の供与を条件に、  台湾との断交と、
   中国との復交を持ちかけていたことが、
  1月26日に、 分かった。

  米ブルームバーグ通信や、 
  台湾紙が報じた。 

   中国は、 台湾で、 昨年の5月に発足した、
  独立志向の民主進歩党    ;
   (  民進党  ) 、の、蔡英文政権に対し、
      外交的に孤立させる戦略で、
    圧力をかけているが、
   “  金銭外交  ”   、の、一端が露呈するのは、 
   珍しい。 

       同通信によると、
   バリー外務・協力・、
  在外ブルキナファソ人相が、
この問題を明らかにし、
「   台湾は、 われわれの友であり、
 (   金銭の供与で   )、
   外交関係を見直すことは、
  ない   」 、 と語った。 

     台湾の外務省の報道官は、 
   バリー氏の外交姿勢を歓迎し、
「   台湾との関係は、
   一貫して安定している   」、
  と、 強調した。

      台湾は、 職業訓練や衛生、
  太陽光発電などの、
 26項目での支援を進めている。 

    中国は、 中台は、不可分の領土とする、
「   一つの中国   」 、 との、
  原則を受け入れない、
  蔡政権に不満を強めている。 

http://www.sankei.com/world/news/170126/wor1701260028-n1.html

    @     見透かした、 というのも、 
   大事だけど、  しっかり突っぱねた、 
  というのは、 外交的に、
   金ではえられない信用を、
  大きく勝ち得た、と思う。
     2017年  1月26日  23:22 。

     @    世界のヴァチカン     ≒ 
  イタリアに包まれてある、 
  ローマ教皇を戴く国     ;      、 が、 
   台湾を認めていますから。
    小細工をしたところで、
   国の正当性を、自ら落とすだけ。
    哀れな盗賊国家。

    @    ブルキナファソ、 イケメン❗ 。
  でも、 初めて聞く国名だな。 

    @    ブルキナファソは、 日本のJICAが、
    野球の普及活動をしている、
   動画を見て知った。  当時、
 小学生だった子が、日本でテストを受けて、
 独立リーグでプレーしてたりする。

   @   ブルキナファソへ行った事あるけど、
  いい国だぞ、 あそこ。
  もっと、 知られてもいい 。 

   ☆   ブルキナファソ   Burkina  Faso  、は、
  西アフリカに位置する、 共和制国家。

    北に、 マリ、 東に、 ニジェール、
  南東に、 ベナン、トーゴ、
 南に、 ガーナ、 南西に、 
  コートジボワールと、 
  国境を接する内陸国。

  首都は、 ワガドゥグー。

 第二次世界大戦の後の、 1960年に、
オートボルタ  Haute-Volta  ,  上ボルタ 、 
 共和国として独立した。
独立後は、 フランスから離れて、 
非同盟路線を歩み、 東側諸国と、
 友好関係を築いたが、
1987年以降は、 フランスとの、
  関係を最も重視している。
   
  フランス語・英語による正式な国名は、 
  Burkina  Faso  。 
  ブルキナ共和国   Republic  of  Burkina  
  、 と表記する場合もある。

    国名の、 ブルキナは、 モシ語で、
「  高潔な人  」、
  ファソは、 ジュラ語で、 
「  祖国  」、 を意味する。

   @     11世紀に、 ワガドゥグーに、
    モシ人の都市王国の、 ワガドゥグー王国 
   Ouagadougou   、 が成立し、 その後は、
  分裂、独立を繰り返した。

     日本では、 室町幕府の、
  第6代の征夷大将軍の、足利義教氏が、
   赤松氏の屋敷における、 
   宴会の最中に暗殺された、 
  嘉吉の変が成された、
    1441年、 に、  モシ王国が成立して、 
  その首都となり、 19世紀の末まで、 
  国家として残った。

   ☆     1884年から85年にかけて開催された、
  ベルリン会議     ;
  (     アフリカへの分割の成しようを、
  話し合った    )     ;     、  で、 
   ヨーロッパ列強諸国が、 
   アフリカ分割の動きを強めると、 
   西アフリカには、 フランスが進出し、
   1896年に、 ワガドゥグーにあった、 
  モシ王国が、 フランスの保護領にされた。

   1898年には、 現在の、
  ブルキナファソに相当する領域の全体が、
   フランスの保護下に入り、
  1904年に、 周辺の諸国と共に、
 セネガルのダカールを中心とする、 
   広大な、 フランス領西アフリカの、
   一部として、
 フランス植民地帝国を構成した。

    ☆    第二次世界大戦後の1958年に、
   フランス共和国の自治共和国となり、
「  アフリカの年  」、こと、 1960年に、

    オートボルタ共和国
  République de Haute-Volta 
  、 として独立した。

  オート・ボルタとは、 ボルタ川の上流、 
  という意味だ。

     初代の大統領は、 
  モーリス・ヤメオゴ氏であった。

    1961年に、 フランス共同体から離脱し、
  1966年に、 サンゴール・ラミザナ氏による、 
  クーデターが発生し、 
   ヤメオゴ氏は、 失脚、
  ラミザナ氏は、 1980年に、
  セイェ・ゼルボ氏のクーデターで、
  打倒されるまで、大統領を務めた。

     1983年に、 
  ブレーズ・コンパオレ氏による、
  オートボルタ時代で、
  最後のクーデターが起こり、
ジャン=バプティスト、
 ・ウエドラオゴ大統領は、失脚、
  かつて、 首相でありながらも、
  失脚していた、トーマス・サンカラ氏が、
   大統領に就任した。

   サンカラ大統領は、 
 革命的民主主義を掲げて、
   社会主義路線を推進し、
  ブルジョワジーや、 伝統的首長、
   イスラームのマラブー     ;
  (   聖人   ) 、 と対抗しながら、
    女性の地位の向上、 識字運動、 
  福祉の向上などを図り、
   旧宗主国のフランスや、
   領土問題を抱えていた、 隣国の、 
   マリ共和国と対立する一方で、
     キューバ、リビア、アンゴラ、
  モザンビーク、 北朝鮮、ベナンなどの、 
  社会主義国と、 友好関係を築いた。

    1984年の8月に、 サンカラ大統領は、
  革命事業の一環として、 国名を、
「  オート・ボルタ共和国  」、から、 
  現在の、 「   ブルキナ・ファソ   」  ;
(   「  清廉潔白な人たちの国   」 、の意    ) ;
  、 に変更し、 自ら、 新国歌の、
  「  ある一夜  」、 の作詞もした。
    サンカラ大統領への支持は、 
  国民からも高く、
  「   アフリカのチェ・ゲバラ   」 
  、 の異名を取った、
  カリスマ的な政治家だった。

    ◇     坪野鉱泉肝試し失踪事件 ;
  行方不明の2人は、遺骨で発見
     2020/   3/4   22:30     ;

        ・・ 続きは、  務録     ブロク      ;
  『    夜桜や    夢に紛れて    降る、寝酒    』
 、 で❗ 。