☆     山田長政氏❗  ;
  歴史拾遺    ヒロイ   ;
      ☆    Japaaan   ; 

     日本と、昔から交流のある国、タイ。
   前は、 シャム 、と呼ばれていた、
   タイで、 リゴール 、 という、
   一地方の王になる❗ 、 という、
   大出世を果たした人物が、
   江戸時代にいました。

    その者の名前は、   山田長政
  (  やまだ  ながまさ  )   、 氏で、
   タイに行く前は、  駕籠を担いで人を運ぶ、
   駕籠者をしていました。

      今回は、 タイで出世した異例の駕籠者な、
   山田長政氏の、 タイでの、
   成功物語に焦点を当ててみたい、
   と、 思います。

    アユタヤ日本人町の跡の碑/
   Wikipediaより 。

    長政氏は、  1590年に、
  駿河国で生まれました。
   沼津藩に仕えて、 駕籠者をしていた、
  長政氏は、 武士の身分ではありましたが、
  末端の身分員でした。

   長政氏は、 武士として戦に出陣し、
  出世できる機会   キエ  、 があるか、
   と思いましたが、時代は、
   徳川家が治める江戸時代。

    泰平の時代となった当時の今では、
    武士の活躍できる余地は、
   あまり、ありませんでした。

  そこで、 日本ではなくて、 海外なら、  
  武士として活躍できる機会があるのでは、
  と思った長政氏は、  1612年の、
  『  朱印船  』、 に乗り、
   タイへ向かいます❗ 。

    タイの国際都市な、 アユタヤに着くと、
  現地にいた、 日本人たちから成る、
   傭兵隊に加わります。

   当時の、 タイ王国は、  ビルマ     ;
  (  現ミャンマー  )   、 との戦の、
   真っ最中で、  多くの戦を生き抜いた、
  日本人の傭兵が、勝利への要❗ 、
  と、 なっておりました。

     ビルマの他に、 アユタヤ港を攻めてきた、
   スペインの艦隊を、2度も退けた❗ 、
   長政氏は、  日本人らの傭兵隊、への、
  指揮を任され、当時の王さまな、
   ソンタム氏から、
   重用されるようになりました。

   また、  貿易商としても活躍し、
   各国との経済戦争に打ち勝ち、
  アユタヤでの貿易を一手に引き受ける、
  くらいまで、発展させます。

     その勢いは、 世界で最大とも言われる、 
    東インド会社を撤退させてしまう❗ 、 
  くらいでした。

   このような功績が認められ、
  長政氏は、 元和  7年    ;    (  1621年  )     ;
  、 に、  日本人町の頭領になり、
   老中、な、 土井利勝氏、と、
  本多正純氏を介して、 日本とタイ     ;
  (    当時は、 シャム王国   )    、 との、
   国交に尽力しました。

      長政氏は、 ソンタム王における、
  彼へ宛てての信頼性を得ていく内に、
   寛永  5年    ;     (   1628年  )     ;      、には、
   その官位制度での第三位である、
  「  オークヤ―・セーナピモック  」 、に、
    任ぜられます     ;
    (   セーナピモック  、は、
     軍神の意味   )    。

    しかし、   翌る年には、
   ソンタム王が、 跡継ぎを決めないままで、
  崩御してしまい、 王位への継承を巡る、
  政戦に、 ソンタム王の信任を得ていた、
  長政氏は、巻き込まれてしまいます。

     長政氏は、  宮内長官である、
   シーウォラウォン氏と合力して、
   ソンタム王の子を王位に就かせますが、
   新しい王への後見人となった、
   シーウォラウォン氏が、
   長政氏を排除しよう、 と、考えます。

    そして、長政氏は、 アユタヤから、
  遥かに南にある、 リゴール 、 という、
   王国の内乱を鎮めるために、
   リゴールへ向かわされます。

     ◇     リゴールの内乱を平定した長政氏は、
   リゴール王    ;     (   六昆王   )      ;
   、 に任ぜられました。

   リゴール王となったのも、 束の間、
   寛永  7年    ;     (   1630年  )     ;     、の、
   アユタヤでは、 シーウォラウォン氏が、
   国王を殺して、国王となっていました。

     これを聞いた長政氏は、
  シーウォラウォンの暴走を止めるべく、
   アユタヤへ向かおうとしますが、
   侵入してきた隣国のパタニ軍との、
   戦の最中に、負傷してしまいます。

     傷を癒そうと塗った軟膏に、
  毒が含まれており、それが、原因で、
   長政氏は、 41歳で亡くなりました。

    長政氏の死後の日本人町は、
  シーウォラウォンによって、焼かれ、
  廃墟となってしまいました。

   駕籠者から、一国の王になる、
   出世を遂げた長政氏。
   日本とタイ王国とを繋げるために、
    老中に斡旋する姿勢は、
   日本とタイが好き、 という、
   証拠でもある、と、思ってしまいますね。

       ☆      中国の教授   ;
  「    コロナ❗、  武漢市場の近くの、
  実験室から流出   」  ;
  ⓒ 中央日報/日本語版  2020.2.17 10:3   ;

    中国だけで、  1660人以上の、
  死亡者を出した、 新型コロナウイルス感染症;     (   コロナ19   )  、が、
   中国の実験室から流出した❗ 、
   可能性を提起した論文を、
  中国の学者が発表していた。

   16日に、 明報や蘋果日報などの、
   香港メディアによると、中国は、
  広東省な、 広州の、 華南理工大学生物科学、
  と、 工程学院の肖波涛教授は、
   今月6日に、  グローバル学術サイトな、
 「  ResearchGate
 (  リサーチ・ゲート  ) 、に論文を発表した。

     論文は、 新型コロナが、
   コウモリから、中間宿主を経て、
  人に伝染した、 可能性よりも、
   湖北省は、 武漢の実験室な、
  2カ所から流出した❗ 、
   可能性を提起した。

     肖教授は、  武漢ウイルス研究所よりも、
   武漢疾病予防管理センターが、
  震源地である、 可能性が高い、
  と、みられる、 と主張した。

   武漢ウイルス研究所は、
  新型コロナが、 集中的に検出された、
  華南水産市場から、 12キロメートル程度、
  を離れているのに対し、
   武漢疾病対策予防管理センターは、
  わずかに、 280メートルの距離にある、
 ためだ。

   肖教授は、 実験室からの流出とみている、
  理由について、新型コロナの、
   天然宿主な、「  キクガシラコウモリ  」、
  は、  武漢から、  9百  キロ・メートル  、
  を離れた、 雲南省・浙江省などに、
  棲息していて、  食用としては、
  特に使われていない❗ 、 点を挙げた。

    また、  武漢市政府の報告書や、
   武漢市員ら、の証言らを綜合すると、
    華南水産市場で、 このような、
   コウモリは、 扱われていなかった❗ 、
   という。

   反面で、  武漢疾病予防管理センターは、
   2017年と2019年、に、
   実験用に、多くのコウモリらを捕まえた。

   2017年には、  湖北省・浙江省などで、
  約   6百匹のコウモリらを捕まえたが、
   この中には、   重症急性呼吸器症候群     ;
 (  SARS  ) 、 ウイルスを持つ、  
   キクガシラコウモリも含まれていた。

   当時にては、 同センターの研究員は、
  勤務中に、 コウモリに噛まれたり、  
  尿をかけられたりした、 と話した。

    同センターは、 コウモリの細胞組織を、
   分離させて、   その、


       ◇◆    『  DNA  』     ;     
  ≒      【    タンパク質、からも成る、
   染色体 、 に含み込まれてある、
   タンパク質では、ない、  遺伝子、
  の、 本体である、
   『  デオキシリボ   核酸  』    】    ;
       、  
   と、
      ◇◆    『   RNA  』    ;
  【     色々な、 アミノ酸 、たちから、
   特定の、 タンパク質 、を成す、に至る、
   過程の事として、
   遺伝子、 な、 DNA 、  を構成する、
   塩基の、 3つごとの成す、
   一つごとの、 並びようへの、
   対になる、 塩基らの並びよう、 を、
     自らに、成し、        
   その、 塩基、の、 3つごとによる、
  一つごとな、 並びよう、 により、
  『  デオキシリボ  核酸  』、 な、
    『  遺伝子  』 、らの、
  遺伝情報らのどれ彼、を、
  自らの側に、 塩基らでの配列として、
   その対のありようらを逆転させる形で、
  写し取る、 能力性を帯びてあったり、
    その、塩基らでの配列へ対して、
   一つごとの、 アミノ酸、 を、
   宛てさせる、 能力性を帯びてあったり、
   などする、
    準遺伝子、 とでも言うべき、
    『  リボ   核酸  』    】    ;
           、 
     における、
    配列、 などの研究を行ったが、
  ここで出た、 汚染された、 ゴミが、
   ウイルスの温床になった❗ 、
   というのが、 肖教授の主張だ。

    初期に、 新型コロナに感染した、
  患者が訪れた場所として知られている、
  協和がん病院は、
  武漢疾病対策センターとは、 通りの、
  一つを挟んだところにあった、   
  と、 論文は、伝えた。

   こうした中で、   科学技術部の、
  呉遠彬局長は、  15日に、
 「   実験室で、 ウイルスを研究する際に、
   安全にさらに注意を傾ける内容の、
  指導意見を発表した   」 、
  と、 明らかにした。

   現在にては、  肖教授とは、連絡が取れず、
   該当の論文は、 サイトから、
  削除された状態だ。

      共産党の理論紙な、「  求是  」、 は、
   習近平首席が、先月7日の、
   政治局常務委員会会議で、
   ウイルス事態を予防・統制するために、
  努力するよう、 指示した、と、
  16日に、公開した。
    今回の公開で、 習主席が、 新型コロナを、
  初期に把握していただけでなく、
   対処の指揮さえしていた、
 と、 認めるようなもので、
   習主席の対応での失敗への、
   責任論が強まっている❗ 、と、
   ニューヨーク・タイムズ (  NYT  )、
  は、 報じた。

  一方で、   台湾で、 
  新型コロナの感染によって初めて、
  死亡者が出た❗ 、と、
   中国の現地のメディアが、  16日に、
  伝えた。
  この患者は、  B型肝炎と糖尿にも、
  罹患していた。
  中国の本土を除く地域で、
  死亡者が出てきたのは、
  これで、 5例目となる。 

      ・・  続きは、  ブログ   ;
 『    夜桜や    夢に紛れて    降る、寝酒    』
 、で❗  。