☆ 剣豪将軍❗ 2 ;
・・ 義晴将軍が、 京都に戻ってから、
およそで、 1年半後の、 天文 5年
( 1536年 ) 、の、 3月10日、に、
南禅寺の御座所にて、 嫡男が生まれた。
これが、後に、 13代将軍となる、
義輝氏だ。 幼名は、 菊幢丸
( きくどうまる ) 。
母親は、 公家の近衛 ( このえ )、
家の出身だった。
義輝氏は、 同時代を生きた、 上杉謙信
( うえすぎ けんしん ) 公より、
6歳、 を、 年下で、
織田信長氏より、 2歳、 を、
年下である。
その翌年の正月、に、 義晴将軍は、
まだ、 生後の、1年に満たない、
菊幢丸を伴って、 御所に、 年賀の参内
( さんだい )、 をした。
赤子を政治の舞台に連れ出すことは、
歴代の将軍家らの中でも、 異例だ。
また、 天文 11年 ( 1542年 ) 、
には、 7歳の菊幢丸を、 一人で、
参内させている。
菊幢丸が、 義晴将軍への後継者である、
ことを、 内外に認めさせる、
目的があったらしい。
義晴氏には、将軍位を脅かす、
ライバルがいたのだ。
義晴氏への父である、 ➕代将軍の、
義澄 ( よしずみ )、 氏には、
2人の息子がいた。
一人は、 義晴氏で、 もう一人は、
義維 ( よしつな )、氏といって、
弟である、 という ;
( 一説に、 兄 ) 。
義晴氏への兄弟であれば、
義維氏が、 将軍位に就いても、
おかしくなく、 義晴氏は、
それを恐れていた。
足利義維氏は、 幼少な時に、
幕府の管領 ( かんれい、
将軍に次ぐ最高職 )、 を務める、
細川氏のもとで、 養育されていた。
一方の義晴氏は、 播磨 ( 現、兵庫県 )、
への、 守護の、 赤松氏のもとで、
育っている。
やがて、 細川家中で、 内紛が起こり、
義維氏を擁する、 細川晴元が敗れ、
細川高国 ( たかくに )、が、
幕府での、 実権を握った。
高国は、 義晴氏を招いて、
第12代の将軍の座に据える。
しかし、 その後に、再び、 内紛が起こり、
細川高国は、 京都から追われた。
将軍の、 義晴氏も、 この時に、
近江に逃げた。
反高国勢力は、 高国への擂伴 ライバン ;
ライバル ; 、 だった、
細川晴元と結び、
晴元が、 京都での実権を握ることになった。
晴元には、養育してきた義維氏を、
将軍にする選択肢もあったが、
将軍の義晴氏との和睦を選ぶ。
こうして、 義晴将軍は、 7年後に、
京都に戻ることができたのだが、
細川晴元が、 その気になれば、いつ、
将軍の座を追われ、義維氏に、
とって代わられるかもしれなかった。
義晴将軍が、 幼少の菊幢丸を参内させ、
懸命に将軍への後継者としての訴呈 ;
アピール ; 、 に努めたのは、
このためだ。
結局は、 この頃の足利将軍家の血筋は、
家臣たちが、 自らを正当化するための、
御輿 ( みこし )、 として、
利用されていた、と、 いえるだろう。
また、 義維氏の子の存在が、のちのちに、
菊幢丸の運命にも関わることになる。
天文 15年 ( 1546年 ) 、 の、
12月19日、に、 菊幢丸は、
11歳で、 元服する。
当初は、 義藤 ( よしふじ )、
と、 名乗っていた。
烏帽子親 ( えぼしおや )、 は、
近江の有力大名な、 六角定頼
( さだより )、 氏が務めた。
烏帽子親には、 古来、 元服する者を、
将来にわたり、 支援する意味がある。
元服式が執り行われたのは、
京都ではなく、 近江の、
日枝神社への神官の屋敷であった。
京都では、また、 細川家に内紛が起こり、
将軍義晴氏と、 義輝氏らな、 父子は、
近江に、 難を避けていた。
元服式の翌日に、 朝廷から、
勅使が派遣され、 義輝氏は、
第13代の征夷大将軍に任命された。
翌る年に、 細川家の内紛は、
細川晴元が、 再度に、 実権を握る、
ことで、 終息し、
六角定頼氏の仲立ちにより、
晴元と、 義輝将軍、 が、和睦することで、
将軍と細川家の対立も、解消。
天文 17年 ( 1548年 )、に、
義輝将軍は、 京都に帰ることができた。
が、またもや、 細川家で内紛が起こる。
細川晴元への重臣の、 三好長慶
( みよし ながよし ) 、が台頭し、
これを快く思わない晴元と対立、 ついに、
合戦に及んだが、
三好長慶が勝った❗ 。
晴元は、 京都を追われ、晴元とともに、
義輝将軍も、都に戻って、 わずかに、
1年で、 近江に落ちる。
義輝将軍とともに、 近江に落ちた、
その父な、 義晴氏は、 ほどなく、
病の床についた。
14歳の義輝将軍は、細川晴元や、
六角定頼氏と協力して、
三好長慶への反撃の準備を進める。
天文 19年 ( 1550年 ) 、の、 2月には、
東山の上に、 中尾城を、
同い年の、 4月には、 北白川 ;
( 現、京都市は、左京区 )、 にも、
城を築いて、 三好との戦いに備えた。
が、 同い年、の、 5月に、
三好との戦いを待たずに、
父な、義晴氏が病没してしまう。
京都への帰還を果たさぬまま、
近江での客死であった。
享年は、 40 。
食べ物ら次第で、 もっと、
健康で、 長生きが、できたろう。
義晴氏の死から、 2ヵ月後の、 7月に、
三好長慶が、義輝将軍らが築いた城に、
攻め寄せ、
これに対し、 細川晴元、と、
六角定頼氏らが、 迎え撃つ、
が、 細川勢の士気が、 振るわない。
三好勢が、 大軍を動員したことに、
細川勢は、 圧倒され、 細川晴元は、
陣を捨てて、 越前 ; ( 現、福井県 ) 、
へ逃げてしまう。
これでは、 義輝方も、 防ぎようがなく、
11月に、 三好勢、な、 4万が攻勢に出ると、
義輝将軍は、 城を捨てて、 琵琶湖の北西な、
朽木谷 ( くつきだに、 現、高島市 ) 、
に、 身を潜めざるを得なかった。
さらに、 近江へ落ちた直後に、
追い打ちをかけるように、
義輝将軍への重臣である、 伊勢貞孝
( いせ さだたか )、 が、裏切り、
京都の三好のもとに走った。
天文 21年 ; ( 1552年 )、に、
義輝将軍、への、 烏帽子親で、
京を追われるたびに匿 ( かくま )
ってくれた、 近江の六角定頼氏が没する。
跡を継いだ息子の六角義賢( よしかた )
、氏は、 義輝将軍、と、
三好長慶、との、 和睦を仲介し、
義輝将軍は、 同年に、 京都に帰った。
が、 すぐに、長慶と対立し、 敗れて、
再び、 近江は、 朽木谷に、
舞い戻るはめになる。
朽木谷時代の義輝将軍に従っていた、
近臣は、 40人ほど、と、 されるが、
それが、誰彼らであったか、は、
正確には、わからない。
この頃から、 義輝将軍は、
諸国の大名らの間の紛争、への、
調停、や、 和睦へ、
積極的に関与していく。
弘治 2年 ; ( 1556年 ) 、には、
加賀 ; ( 現、石川県 )、 の、
一向宗徒らへの元締めである、
大坂の石山本願寺と、
越前の、 朝倉氏を和睦させ、
翌年には、 信濃 ; ( 現、長野県 ) ;
、 をめぐる、 武田晴信
( たけだ はるのぶ )、氏と、
長尾景虎( ながお かげとら )、氏、との、
争いを調停した。
また、 豊後 ; ( 現、大分県 )、の、
大友義鎮 ( おおとも よししげ、
後の宗麟 )、 氏からの要請に応え、
肥前 ; ( 現、佐賀県、長崎県 )、
への、 守護に任命している。
将軍による紛争への調停は、
当事者たちにとっては、
戦いを止める、 口実となり、
ありがたいものだった。
また、 守護への任免は、将軍の特権だ。
義輝将軍は、 諸国の大名に、
将軍が重要な存在であることを、
再認識させて、 支持をとりつけ、
それによって、 京都の三好らからも、
容易に手出しができぬようにした。
☆ 陛下や将軍家による、
調停を受け入れないと、
武家員らは、 自分の側か、
相手の側が、 戦えなくなるまで、
戦う、 向きへ、 圧力をかけられる、
事になり、
それらによる戦いら、には、
参加をせずにある、その周辺の、
武家員らへ、 漁夫の利を得させる、
向きへも、余計な、圧力がかけられる、
事になり、
より、 損害性を小さくし、
あり得る、 攻撃性らへの、
防衛性を、 より、 低めない為にも、
一定の度合い以上に、
権威性を帯び得てある主による、
調停を受け入れるべき、
必要性が、 武家員らにも、あった。
逆に、
ローマ教皇、の、 神の代理員としての、
権威性、 を、 より、 全く、 否定し、
その側の者らによる、 あり得る、
調停の効力をも、 無 ナ みしてしまった、
新教の、 キリスト教の諸派の者らは、
互いへの、 殺し合い、 を、
より、 止めようのない、
状況らを、 自らの内外に、
作り出してしまい、
その宗教戦争らによる、 損害性ら、を、
互いに、 甚大なものにした。
☆ フランスでの、
「 ウイスキー人気 」、に火をつけたのは、
“日本流の飲み方”だった |
日本産だけでなく、
国産のウイスキーも大ヒット❗ ;
ブームから定番へ、フランスで、
ウイスキーは、
躍進と変化の過渡期にある。
専門家たちが、唯一に恐れているのは、
この人気に乗じて、
「 価格が爆発すること 」、だ、という。
☆ 2019年 10月25日 7時 ;
トイレの後に、 手を洗わない❗ 、
ことが、 生の鶏肉よりも、
主要な、大腸菌での感染源となっている
by Curology ;
生の鶏肉を、 洗う、などする事で、
水滴らと共に、
鶏肉から、 細菌たちが、 飛び散り、
日本でも、 中学生の少女が、
それらの感染により、
死亡する事故が起こったり、
九州、 などで、
生の鶏肉を食べて、
ギラン・バレー症候群を発症する、
などする、 例らが、 成されて来てある、
が、
そうした事らに劣らず、
『 トイレの後に、 手を洗わない❗ 、
事が、
危険な大腸菌に感染する、
主要な原因である❗ 』、
と、
新たに、 イースト・アングリア大学の、
研究チームが行った調査により、
判明しました。
Extended-spectrum β-lactamase-producing Escherichia coli in human-derived and foodchain-derived samples from England, Wales, and Scotland: an epidemiological surveillance and typing study - The Lancet Infectious Diseases
https://www.thelancet.com/journals/laninf/article/PIIS1473-3099(19)30273-7/fulltext
Not washing your hands after pooping worse than eating raw meat
https://nypost.com/2019/10/23/not-washing-your-hands-after-pooping-worse-than-eating-raw-meat/
Bathroom hygiene: how to ensure you never spread E coli | Society | The Guardian
https://www.theguardian.com/world/shortcuts/2019/oct/23/bathroom-hygiene-spread-e-coli-infections
ESBL産生菌は、 抗生物質を分解する、
タンパク質な、 酵素 コウソ 、 な。
β-ラクタマーゼ 、 を産生する、
薬剤耐性菌の一種であり、
大腸菌たちの中にも、
ESBL産生菌が存在する、
と、 判明しています。
ESBL産生大腸菌が、 原因で、
菌血症を発症する事例は、
イギリス国内でも、 年間に、
5千件ほどは、 あるそうです。
ESBL産生大腸菌によって引き起こされた、
菌血症は、 治療が困難であり、
通常の大腸菌が引き起こした、
菌血症らによる、 よりも、
死亡率が、 2倍も高い❗ 、 とのこと。
イースト・アングリア大学の、
David Livermore 教授が率いる、
研究チームは、 効率的な、
戦略的介入ポイントを発見するため、
ESBL産生大腸菌の、
主要な感染源を特定する調査を行いました。
研究チームは、 小売店で売られている、
牛・豚・鶏の肉と、
菌血症な患者の、血液、
・イギリスの下水、
・糞便といった、 サンプルから、
ESBL産生大腸菌を採取し、
それぞれの、 ESBL産生大腸菌の、
遺伝子らの各々における、
塩基らの、 配列を特定。
異なるサンプル源から採取された、
ESBL産生大腸菌が、それぞれで、
どの程度の遺伝的つながりがあるのか、
を分析しました。
分析の結果にて、 人間に由来の、
サンプルで発見された、
ESBL産生大腸菌の、
遺伝的系統らは、 類似しているものの、
動物の肉から発見された、
ESBL産生大腸菌らでは、
人間から発見された、
ESBL産生大腸菌らの多くと、
その、 遺伝的系統が、 大きく離れている、
ことが、 判明しました。
つまり、 人間に感染する、
ESBL産生大腸菌の多くは、
動物の肉に由来ではなく、
人間同士で、 感染していた❗ 、
と、 Livermore 氏は、 指摘しています。
今回の研究の結果を受けて、
Livermore 氏は、 「 不快なことですが、
ESBL産生大腸菌の主要な感染ルートは、
人間から、 人間であり、
糞便の粒子が、 口に入ることでした 」、
と、 露弁 ローベン ; コメント 。
全ての、 ESBL産生大腸菌たちが、
菌血症を引き起こすわけでは、ない、
ものの、
トイレに行った後には、
手を洗う❗ 、 ことが、
ESBL産生大腸菌の感染を防ぐために、
重要だ、 と、
Livermore 氏は、 主張しています。
ロンドン公衆衛生・熱帯医学大学院の、
Sally Bloomfield 教授は、
「 石けんで、 手を洗うと、 微生物は、
手から、 離れますが、まだ、
微生物は、 生きたままです❗ 」、
「 重要なのは、 その後で、
手をすすぐことです。
これによって、 手から、
微生物たちが、 取り除かれます❗ 」、
と、 手洗いのコツについて、
述べています。
トイレの後で、 手を洗う時には、
多量の石けんを使い、少なくとも、
15秒間は、 手のひら同士、手の甲、
指をこすり、すすいだ手を乾かして、
残った微生物らを取り除く❗ 、
ことも、重要だ、 とのこと。
また、 石けんや流水が使えない、
時のために、 外出時は、
抗菌のハンドジェル、 などを、
持ち歩くことも推奨できる、 と、
Bloomfield 氏は、 主張しています。
☆ あるべき、代謝員ら、への、
確率的な親和力ら、での、不足性ら、
を、 より、 埋め余し得る、 度合いら、での、
飲み食いなどによる摂取らで、
その、 免疫性の度合いを、
一定以上に、 高いままに、
成し付け得る、 人々ならば、
そうし付ける事で、
感染症ら、を、 より、 未然化し続けたり、
より、 軽くすまして、完治し得たり、
するが、
日本の病院ら、などで、
炭水化物な、糖質ら、を、
食べさせられるなどする事からも、
その、 免疫性を低下する、向きへ、
余計な、圧力らを掛けられる、
筋合いにある、 人々などにとっては、
その生き死にを制するレベルで、
その本人らや、
その周辺の人々などが、
手洗いをきちんと成し付ける、
事にも、 重要性が、ある事になる。
・・ 続きは、 ブログ ;
『 夜桜や 夢に紛れて 降る、寝酒 』
、で❗。