☆    古文な人ら❗   ;
   歴史拾遺   ヒロイ    ;

http://www.worldtimes.co.jp/col/siten2/kp111018.html :       根途記事➕論弁群   ;

     ・・   ☆    赤染女史    :     
    八月   ハツキ   の廿日ごろ、 
  月くまなかりける夜      ;
  ≒      欠けの無い月の夜     ≒    満月の夜      ;
  、 むしのこゑ、 いとあはれなりければ、 : 

  ☆     有明の         月は、袂に      なかれつつ
              悲しきころの          虫の声かな 。 
  (  続 ショク 古今  )  【  通釈  】  :
    有明の月の光は、 涙で濡れた私の袂に、
   流れ流れして、  聞くにつけ、
   切ない頃合いの、虫の声であることよ。  : 

  【  語釈  】 :
    ◇    なかれつつ     :      泣かれつつ    ;    
  、に、  「  (   月の光が、    涙で濡れた、
  袂に映って   ) 、    流れつつ    」     ;
    、の意を掛ける。 
     ☆     清少納言    : 
   清原元輔さんのお嬢さん。 
 『  赤染衛門集   』、 には、
   父の元輔氏の荒れた旧居に住む、
  清少納言に触れた、歌があり、
  晩年の暮らしぶりが窺われる。 

    没年も不明だが、   キリスト教暦での、
  第千20年、 でもある、
    寛仁4年頃 、 とする説や、 
   千27年の万寿4年頃とする説等がある。 : 

     アッバース朝の解体期で、
   唐から、五代十国に、宋の頃の、
  平安時代の日本     : 
     2014.10.27      : 

    淳仁天皇への父で、 天武天皇の子である、 
   舎人親王   トネタ・シンノウ   、 を、
   先祖として、天皇家から別れた、 
   皇別氏族でもある、 
   中堅の貴族の清原氏の一員で、 
    平安時代の中期の、 清少納言の兄である、
   と共に、 36歌仙の1人の、 肥後守の、
   清原元輔氏の子でもある、   清原致信 
   キヨハラのムネノブ    氏は、 
   9州は、 大宰府の第3等官の、 
  大宰少監、  などを務め、
   和泉式部の夫の、 藤原保昌氏、 への、
  郎党としても行動し、殺されるに至った。 

    主君の保昌氏が、
   大和の国内の利権を巡り、
 保昌氏の甥でもある、源頼親氏、
 と、競い合った際に、
   大和の在地領主で、   源頼親氏、への、
  郎党でもあった、 当麻為頼氏を殺した❗ 、
   事に関与した、 と、観られた為に、
    1017年の、 長和6年、の、
  3月8日の夕刻に、 
  京の、 六角は、富小路の邸宅で、 
   騎兵らと歩兵らの20余名に襲われて、
  殺された❗ 、 と、
   藤原道長氏の記した、
 『  御堂  関白記  』 の、  同じ年の、
3月11日の条    クダリ   にある。 : 

    致信氏を殺したのは、 
  今の奈良県の辺りの、   大和国 、
  を、 本拠としていた、   軍事貴族、の、
   源頼親   ミナモト・の・ヨリチカ   氏の、
  手の者らで、  都の治安を担当した、 
  検非違使   ケビイシ   、 が取り調べた所では、 
   理由な事は、 清原致信氏が、
  大和での権益をめぐり、
 頼親氏の従者を殺したか、殺させた、
  と、観られ、 事実か、否かは、
  明らかではないが、 
  その殺人事件への犯人となった、
  事への報復だった、 
  と、犯人側は、主張し、 
   源頼親氏からの指示な事を、
  犯人らが実現した物、とも、判った。 

     殺された清原致信氏の妹の、清少納言は、 
  966年頃?  、 に生まれ、 
  1025年頃? 、 に死んだ、と、され、
  『  春は、曙   』 、 で始まる、 枕草子、は、 
  今も、日本中の学校らで読まれる、
  彼女の著した、古典だが、 
   約千年前に、 一条天皇の中宮の、
  藤原定子   テイシ   妃に仕え、 
   その父の、 元輔氏が、 60歳に近い時に、
  出来た子供だった。 : 

    敏達天皇を、 自らへの先祖員とし、 
  天皇家から別れた、皇別氏族でもあり、
   中級の貴族でもある、  橘則光 
  タチバナ・の・ノリミツ  氏       ;
  ≒     965年?  〜  ?年       ;       、と、
   981年の、 天元4年頃に、結婚し、
   息子の、 橘則長氏を授かっている。 

    則光氏に、 若い妻が出来た事もあり、
   離婚したが、 夫とは、兄と妹の様な、
  仲の良い状態が続く中で、宮仕えへ出、
   40代で、再婚して、  娘の、
  小馬命婦   コマ・の・ミョウブ  、 を設け、 
  60歳前後で、亡くなったらしい。 

     橘則光氏の事は、
  『  今昔物語集   』 、 で、
  取り上げられており、   それは、  彼が、
  若い女の所へ通うさに      ;
  ≒     通う途中で     ;       、 
  襲ってきた夜盗を斬り殺した、
   武勇伝であり、 

   『    兵   ツワモノ   、   の家に非ねども、 
   心、極て太くて、   思量賢く、 
   身の力  、 などぞ、 極て強かりける       ;
    ≒        武者の家の出ではないが、 
   極めて豪胆で、思慮深く、腕力などは、
  極めて強かった    』    ;
     (    巻23の15     )       、
   と、 評されている。 

    彼女が、53歳頃に、 兄は、殺されたが、
   犯人側の親玉の、 源氏員は、
   藤原道長氏の手先でもあった事もあり、
   幾つかの官職らを、 朝廷から、
   取り上げられはしたが、   数年後には、
   別の官職を授かる、などし、
   大した処罰は、受けず、  その息子が、
   有力な荘園領主でもあった、
  寺の僧兵らと戦い、 殺す、
   などの事をして、
   その寺より、 朝廷、への、
  強硬な抗議らがあってから、 ようやく、
  親子で、島流しにされる在り様で、 

      自分らの極楽行きを念願する、余りに、 
   その差し障りに成りそうな、
  殺生に関わる事を忌み嫌い、避け様として、 
   社会の一般の治安の水準、への、
  維持と向上とを返り観る事をしないで、 
      2百年以上も、 
   死刑を廃したままにしていた、
  身勝手な、 朝廷の貴族らは、 自ら進んで、
   人殺しをし合う者らに、 自らと、
  身内員ら、 等を守らせつつ、 
   国々の利権らを掠  カス   め取り合う、
  事に、 ふけり、  より、 
   武士的な存在機能ら、 
  等を備え得ていった人々が、 
  朝廷の官職と位階のある者ら、 等が、より、
  手を引いて行った、 
  社会の治安を維持する事において、
  主導性を成してゆく、 と共に、 
   社会のあらゆる方面の物事らに、
   関与してゆく度合をも、
   高めて行きつつある、 というのが、
   清少納言の活躍し得た、 時代の、
   全体な、状況でもあった。 

    清少納言の兄への殺害行為は、 そうした、
   自律性の高い分、 
   自らの社会倫理観にそぐわない、
   不作為型や、作為型の、
  悪徳行為らを成す者らに対しては、
   厳しい措置を取る事により、 
  彼らから観て、 より、望ましい形で、
  社会秩序を構築してゆく事らに、
  段々と、 慣れ親しみ、熟達もし得てゆく、
   段階らを踏まえつつある、
   立場にある側の人々ではあったが、 
  犯人側の主張しか記されていないので、 
   被害者側に、本当に、非があったのかは、
  不明のままだ。 
     藤原道長氏の、家司の、藤原保昌氏と、 
   その保昌氏の甥で、 同じく、
   道長氏の手先を務めていた、
   源氏員、 との、 利権争いなので、
    道長氏の意向にもよる、  プロレス      ;
   ≒      演戦     ;          、の犠牲者へ、
    実際には、何の事件にも関与していない、
   清原致信氏が、 選ばれ、
  何らかの、  反社会的な情報を得ていた、
   と、仕え先の者らに観られたが故に、 
   口封じに殺された、
  可能性などの存在も、考えられる。 

    いずれにせよ、 一定度合以上に、自ら、
  私兵らを駆使し得ぬ貴族らは、 
   大貴族らに、生かすも殺すも、
  好き勝手にされる状況にあった訳だ。 


   @       大和国は、 都からも近く、
   土地も豊かで、政治的にも、経済的にも、
   凄く重要な国なので、 等級も、
  最上級の大国だ。 
     その事は、 有力貴族らに仕える、
  武士等の受領   ズリョウ   貴族らにとっては、 
   都で、 何かがあった際に、
  取って返せる距離で、 大国ならば、
  国司への実入りも多く、  それによる、
    摂関家の藤原道長氏ら、  への、
   奉仕によっては、
   次の受領への道も開かれ、
    畿内の任国内に、 私領を持ったり、 
   在地豪族らをして、自ら、への、
  郎党と化する事により、   
    武士団としての、  自らの勢力を、
   拡充し得る機会らを得易い国だったが、 
      
      大和には、 東大寺に、興福寺や、
  春日大社、 などの、力強いな寺社勢らが、
   多く、   公営田や、私営田は、もとより、 
   有力な寺社領らに、 摂関家領らが、
   複雑に入り乱れて、 度々に、 所領争いや、
  徴税問題などが頻発し、 国司にとって、
   ひどく、治め難い国でもあった。

     朝廷としても、有力な寺社らの台頭には、
  業を煮やしてはいたが、 摂関家にとって、 
  興福寺は、氏寺であり、
   春日大社は、氏社なので、 
  争いを起こしたくは、なかった。

    しかし、  ヤマトの大荘園らからの、
  徴税での収入は、大きな財源なので、
  放置を出来る問題では、無い。 

    多少は、 寺社勢らと争ってでも、
  朝廷の力を確かな物にして、
   徴税をがっちり出来る様にと、 
  武士勢らを持つ、 受領層員らを、
   朝廷は、 大和守に補任した。 

   
     ☆      不細工は、 昼寝を禁止❗?    ;
   「  春はあけぼの  」、 だけじゃない、
  『  枕草子  』 、 で、 垣間見える、
   清少納言の痛快な視点    ;
      chiaki   記者   ;

   日本の三大随筆の一つな、『  枕草子  』、
  は、  今で言う所の人気な務録    ブロク    ;
  ブログ    ;     、   と、
   吐汰    ツイタ    ;     ツイッター     ;     、の、
   裏アカウントのような側面を併せ持った、
   随筆です。

    心の琴線に触れる、美しい描写から、
  人の悪口まで、 色々な内容の事が、
  書かれていて、 現代の私たちと、
  何ら変わりない日常が描かれている、
  ことにも、驚かされます。

   そんな、 読み応えが抜群な枕草子から、
  思わず笑ってしまうような面白い話や、
   裏アカウント的な、 腹黒さが、
   垣間見える部分をピックアップしました。
   古典文学への入口として、 どうぞ、
  お気軽にお読みください❗。

     @     枕草子・清少納言について    ;

  『  枕草子  』、  は、  『  方丈記  』、
  『  徒然草  』、  と並ぶ、
  日本の三大随筆の一つで、 作者の、
  清少納言は、  中宮    ;   (  天皇の奥様  )   ;
  、  定子に仕えていました。

   才女として有名で、 年下の紫式部とは、
  ライバル関係にあったとか。


    清少納言、 父の清原元輔氏、
  紫式部、  3人とも、
  百人一首の歌人に選ばれています

    清少納言の父は、  三十六歌仙の一人、な、
  清原元輔  (  きよはらのもとすけ   )  氏、
  です。
   清少納言には、 娘が一人いましたが、
  詳しいことは、よく、わかっていません。

    国立国会図書館   デジタルコレクション   、
    より  ;      [   枕草子   ]    5巻.     [   1   ]     ;

    春は、 あけぼの。     なんて、
  エレガントに始まる枕草子ですが、
  平安時代や、 清少納言、 が、
  身近に感じられる内容も、 沢山が、
  書かれています。

   原文とともに、 現代語訳を掲載しますが、
   訳には、 読みやすくするための、
  意訳も、多少は、 含まれていますので、
  ご了承ください。

    @     清少納言は、 不細工に厳しかった   ;

  清少納言は、 自身の容姿に、
  コンプレックスを持っていた、
  と、 言われており、  その裏返しからか、
   他人であっても、 不細工については、
  厳しく非難していました。

    第百三十四段~   取り柄のないもの~   ;  

   原文:    取りどころなきもの。
  容貌憎さげに、心悪しき人。

   訳:     何のとりえのないもの 。
  見た目が不細工で、しかも、性格が悪い人。

    この段では、こんな率直で、
  不愉快な発言をしてしまった事について、
  「    人に見られると思っていなかったから、
  ありのままに書いちゃった    」、 
   と、釈明しています。

   あんまり、 釈明になっていない上に、
  見られる前提で書かれていることは、
  明白です。

    第百四段~  見苦しいもの   ~   ;

  原文:     見苦しきもの。  (  中略  )  ;
   夏、 昼寝して起きたるは、よき人こそ、
   いま、すこし、 をかしかなれ。
   えせ容貌は、つやめき、寝腫れて、
  ようせずば、頬ゆがみもしぬべし。
   かたみにうち見かはしたらむほどの、
  生けるかひなさや。

   訳:     見苦しいもの。
    夏に昼寝するのは、  高貴な人なら、
  風情があるが、  不細工の場合、
  顔は、 脂ぎるわ、 
  パンパンにむくんでいるわ、  なんなら、
  顔、な、 そのものが、 歪んですら、
  いるようだ。
   不細工同士が、 昼寝をして、 互いに、
  顔を見合わせてしまった時なんか、
  生きている意味すら、わからないほどだ。

    昼寝から起きた顔の様子が、 すごく、
   履在    リア    ;      リアル     ;     、 に、
  描かれています。

    彼女の美の基準には、  
  身分の上下も、 関係がありました。

   昼寝くらいは、 好きにさせてほしいですが、
   美意識の高い清少納言にとって、
  昼寝明けの醜い顔を晒すくらいなら、
 「  死んだ方が、マシ  」、 だそうです。

     @     結婚・育児に関する描写    ;

    千年以上もたてば、
  結婚や育児の在り方も、 大きく、
  変わっているのだろう、 と思いますが、
   実は、 現代と、 あまり変わらない、
  ことも、 多々あることが、
  枕草子から、 わかります。
   清少納言にも、 子どもがいて、
  一度は、離婚も経験しています。

   第七十一段~   滅多にないもの   ~    ;

  原文:    ありがたきもの。
   舅にほめらるる婿。  また、
  姑におもはるる嫁の君。

   訳:    滅多にないもの。
   舅に褒められる婿と、
  姑にかわいがられる、お嫁さん。 

    嫁姑問題は、 今に始まったことでは、
  なかったようですね。   ここまで、
  先祖代々受け継がれているとなると、
   もはや、 自然の摂理として、
  諦めがつくのでは、ないでしょうか。

   第百二十段~  みっともないもの   ~   ;

   原文:    無徳なるもの。   (  中略  )   ;
   人の妻、  などの、  
   すずろなるものを怨じ、などして、
  隠れたらむ、 を、
「   必ず、訪ね騒がむものぞ   」、
  と、 思ひたるに、  さしもあらず、
  ねたげに、 もてなしたるに、さては、
  得旅だちゐたらねば、  心と出で来たる。

   訳:     みっともないもの。
   夫の浮気に嫉妬して、 家出をした妻、
   などが、
 「    今頃は、 きっと、 大騒ぎして、
  探しているに違いない    」、
  と、  思っていたものの、
  憎らしいことに、  夫は、  特に、
   探すことなく、 平然としていて、
  いつまでも、 家を開けるわけには行かず、
  自分から、 帰ってくること。

   平安時代、  夫へのあてつけに、
  他人の家に泊まることを、
  「  旅だちてゐる  」、  と、 言いました。

  「  もう知らない❗  」、 と、 威勢よく、
  出て行って、 友達の家に泊まったのに、
  夫が探しにもきてくれなかったら、
  それは、もう、気まずいですよね。

    平安時代は、 
   【    帝らが、   母方の実家で、
  養育され得てから、  
   母方の祖父などと共に、
   朝廷での政治を成し行い得ていた、
   時代には、   日本では、 
  男らは、  女性の実家へ通って、
  結婚生活を成し付ける、
   妻訪い婚が、 成されていた、
  が、
    この枕草子の記述な事らを観ても、
   ある家族員らが、 自分の家へ、
    嫁を迎え取る形になる事も、 
      あったようであり、
      父母の両系のいずれをも、
    継いで成る主として、
    自らを感じ宛てる事へ、
    余計な、 障りらの構え立てられる、
   事が、 一般に、無い、
   本来の、 日本人たちが、
     そのように成り来り得てある、
   もとには、 こうした、
   日本人たちの、暮らしようら、
   の、 あり得た事にも、 関連性がある、 
   が     】、
    
     男性が、 
  複数の女性と結婚することは、
  認められていましたが、
   それに対して、 対抗措置を講じる、
  女性も多くいました。

    代表的なのは、  『  源氏物語  』、の、
   雲居雁ですね。
   雲居雁は、   夫    ;    (   光源氏の息子   )   ;
  、 の、 浮気に怒り、 実家に帰っていた、
   期間があります。

   第九十一段~   イライラするもの   ~   ;

   原文:   かたはらいたきもの。  (  中略  )  ;
    憎げなる乳子を、  おのが心ちの、
   愛しきままに、 うつくしみ、 かなしがり、
   これが声のままに、いひたる言、
  など、 語りたる。

   訳:    イライラするもの。
   不細工な赤ちゃんを大事に可愛がって、
   その子の声真似などをして、
   しゃべったことを人に話している母親。

     清少納言の性格の悪さが、
  垣間見えてしまう段です。
   赤ちゃんのしゃべったことを真似する、
  お母さんの姿は、 今も昔も、
  ほほえましいものではないでしょうか。
   この様な、 現代なら、炎上しそうな事を、
  平気で、書き連ねていました。

     @     今と変わらぬ気まずいシーン    ;

   つい、うっかり、口が滑ってしまったり、
  わざとじゃないけれど、 人に、
  不愉快な思いをさせてしまったり。
   そんな、ちょっと、気まずい場面も、
   今の私たちと、 変わらないことが、
  枕草子から、わかります。

    第百二十二段~   気まずいこと    ~    ;

   原文:    はしたなきもの。  他人を呼ぶに、
  「  わがぞ  」 、と、 さし出でたる。
   物など取らする、をりは、いとど。
    おのづから、人のうへ、など、
  うち、いひ、そしりたるに、 幼き子どもの、
  聞き取りて、  その人のあるに、
   いひ出でたる。

   訳:      気まずいこと。
   他の人が、 呼ばれたのに、
  自分だ、と思って、 出て行ったこと。
  それが、  物を頂く時ならば、  なおさら、
  気まずい。
    人の噂話や悪口を言っているのを、
   小さな子どもが聞いていて、 それを、
    本人がいる時に、 話してしまうこと。

   この気まずさは、 まさに、
  今そこにいるかのように、 ひしひしと、
  感じられます。
   また、 清少納言が、 文章だけでなく、
  口頭でも、 人の悪口を言っている、
  ことが、 わかりました。

    @     紫式部との諍いを生んだ段    ;

   清少納言は、  『  源氏物語   』、の、
  作者な、 紫式部の夫、への、
  悪口を書にしたためました。
   これが、  紫式部、との、
  諍いを生む原因となっています。
  
   第百十四段~   しみじみする話   ~    ;

  原文:    衛門佐宣孝といひたる人は、
  (  中略  )   ;        紫のいと濃き、
  指貫・白き襖・山吹の、 いみじう、
   おどろおどろしき、 など着て、
   隆光が主殿助なるには、
  青色の襖・紅の衣・摺りもどろかしたる、
  水干といふ、 袴着せて、うちつづき、
   詣でたりけるを、還る人も、いま詣づるも、
    めづらしうあやしきことに、
  「   すべて、 昔より、  この山に、
  かかる姿の人見えざりつ    」 、   と、
   あさましがりしを   (  中略   )   ;
   これは、 あはれなることにはあらねど、
   御嶽のついでなり。

   訳:    衛門佐宣孝氏   (   紫式部の夫    ) 、
  は、   紫と白と山吹色、  その息子は、
 青と紅と、 まだら模様の、派手な服を着て、
  連れだって、 参拝していた。
   みんなが、 珍しがって、
 「   この山で、 こんな奇妙な格好をした人は、
  見たことがない    」、   と、 驚き呆れた。
     この話は、  全然、
 「   しみじみと感じられる話   」、  とは、
   関係ないが、  ついでに、書いただけ。

    この内容を、 紫式部の夫が亡くなった後に、
  書き残しています。
   紫式部は、 これを読んで激怒し、
  清少納言本人を攻撃する日記を残しています。

    亡くなった夫の悪口を言われたら、
   それは、もう、 悔しいはずです。
   紫式部、な、本人ではなく、
  夫の悪口を言うあたり、  性格の悪さ、が、
  よく、わかります。

   「   しみじみ感じる話   」、と、
  関係がないならば、わざわざ、
  書かねば良かっただけなのでは・・、
  と、 思いますが。

    @     感性の豊かな天才 ;    清少納言    ;

   清少納言の底意地の悪さが見える、
   部分ばかりをご紹介してきましたが、
  枕草子に描かれたのは、 もちろん、
  そればかりでは、ありません。
   豊かな感性を持つ清少納言は、
  鋭い視点で、 色々なものごとを観察し、
  まるで、今に、 その場所にいるかのような、
   生き生きとした文章を残しています。

    清少納言の感性の鋭さを感じられる、
  部分には、  「  春は、あけぼの  」、
  から始まる、 有名な冒頭文があります。

  「  春と言えば、何?  」、  と、 聞かれて、
  「  夜明け  」、 と、 答えられる人が、
  どれほどいるでしょうか。
    春と言えば、 「  桜  」、 など、
  ありきたりなことしか思いつかない、
    人が、 ほとんどでしょう。

    清少納言が、 感性の豊かな天才であった、
  ことは、 間違いありませんが、
   性格の悪さが垣間見えるところに、
  かえって、 
  親しみも感じずにはいられません。


    ☆      清少納言は、
   その気に成れば、  軍事貴族員ら、
  と、つるんで、 いくらでも、
  人々への加害性らを成す、代わりに、
   利権性のある物ら、を、
  自らの側の人々に付け加え得て、
  やれる、 身分的な立場にあり、
    人々を巧みに誘導も動員もして、
   目的な事らを達成する、のに、
  十分な、 分析型の能力性も、
  自らに帯びていたが、
   それを、人々へ対して、
    悪用した形跡らが観られず、
     悪さを成したにしても、  せいぜいが、 
   主観的な事実ら、や、  
   事実らしい事らを指摘した、
   記述や、言いようら、が、
   誰彼や何彼らを、悪し様に、
   表現したようにも、 取られ得る、
  ものらを成した位な事でしかない。

    その、やり得たであろう事ら、 を、
  あえて、やらずにすまし得ていた、
    精神性も、貴重なものだろう。
  
 ・・藤原道長氏による、『  御堂  関白記  』 、
  によると、  千4年、の、 寛弘元年、の、
   2月7日の条   クダリ   には、 
   藤原景斉氏が、大和守だった、
  とする記述がある。

   963年、な、  応和3年、の、
    9月13日、か、   966年、な、
  康保3年、 の、  9月13日に、 
    源頼親氏は、 生まれ、  康保四年に、 
   同じ母     ;       藤原南家流の、
  藤原致忠氏の娘     ;      、から、
  弟の頼信氏が生まれた。 

   985年、な、寛和元年の、4月22日、  に、  母方の叔父の、藤原斉明が、
  強盗の罪にて、都で、梟せられた      ;
 ≒    さらし首にされた   。  
   @     藤原文信    ノリアキラ      ;
  ≒    生没年は、詳 ツマビ らかではない     ;
  、は、 藤原北家流の、中宮亮の、
   藤原忠幹の子だ。 
   981年、な、天元4年、に、 
   筑後守に任ぜられ、 989年、な、
  永延3年の4月1日に、 
  高野山より帰るさに、 安倍正国氏に襲われ、      頭の2箇所を斬られたが、 
   これは、 文信が、 筑後守に在任中に、
    正国氏の父母と兄弟に、 姉妹を、
  皆殺しにしたからだ、という。 

   文信が暴漢に襲われ、 暴漢が逃げた報せは、 
   4月4日には、京に届き、 同日の、
   藤原実資氏の日記の、「  小右記  」、にも、
   文信が襲われ、頭にケガをし、 まだ、
  平安京に戻っていない事が記述されている。

   文信を襲った安倍正国氏の正体については、     記録が足りず、判らない。 

    ある日に、 いきなり、小右記に述べられ、
   全ての指らを切り落とされ、
   脚を折られていた、 との記述を最後に、
   資料から、 姿を消す❗ 。

      ・・続きは、   ブログ   ;
 『     夜桜や       夢に紛れて        降る、寝酒     』
 、 で❗。