☆   歴史拾遺   ;   反社会的な、シナ倫理性問題❗  ;
    ☆      華夏の文物は、 
     華夏人らが、 
古モンゴロイドから、 
  辺境らへ、 分かれ出て、
寒さに特化しただけの亜種である、
モンゴロイドである所からして、

 超白人種の古モンゴロイドの人々、の、
 文物らを基にして、成した、
  亜流な物である、
というだけではなく、 

   唐王朝が、 滅ぼされた後の、
  5代十国の時代までに、
シナでは、 仏教系の文物らが、 
  戦乱により、廃り、 滅ぼされた事から、
  日本に保存され、 
  日本人たちの思想事らや 、 
  それらに基づく、 解釈を成された 、
 仏教系の文物らが、 シナへ輸入されて 、 
日本式の仏教系の文物らが、
  新たに、 シナで、 
仏教系の文物らを興さしめ得た様に、

   華夏の周辺の人々が成した、
  文物らの輸入を成す事を繰り返し、 
 それらの所々を保存し得ていた物をも、
  輸入して、 再興する形を成す事を、 
  繰り返して来てある物であり、 

   文字は、 東夷から伝えられた、と、
  華夏員らが、 自ら、記し伝え得ている、
  宛ての物もあるが、 

    記し得ていない宛ての物らについても、 
 相当な物事らが、 華夏の周辺の地域らや、
 それらを経て来た物らであって、

     独自に発明し得たのは、 
  その、反社会的な、 儒教型の、
 部族道徳律の規定性らに適合する度合が、
 一定以上に高い、 
  反社会的な物事ら位だろう。 


   ☆    blog   東亜備忘録    :

   @     3万年前に、 
    現世の人類員らが、 
  日本列島へ定着した時期と、
  日本語や、 基本的な文化習慣が、 
  確立した時期に、
  大陸から、 中華、 などの、
  文物らを受け入れた時期との、 
  3局面に、 分かれる訳です。

  判らないのが、 2フェイズ目で、 
  この時点で、
  中華より前の、 
 文明や文化との接触が、あり、 
 何らかの流途らが確立していた、 
  と、 考えないと、 

   なぜ、 
 ユーラシア大陸の北方の人達の言語らと、
 日本人たちの言語が、 近いのかって事が、
 説明できない❗ 。

   中華の文化って、
  後から来たんじゃん、とW。 

  【   華夏の部族らの者ら、 が   】 、
   中華文明の成立から、
  初期の中華王朝までに、  大陸に、 
 広く分布し、
  【   その文物ら、 等を   】 、
   伝搬していた印象を受けるが、
  実際には、  そう、単純じゃなく、
  別の、文化圏、や、文明圏の、
  人らが移動していた、
  と、 考えないと、 説明できない。

【   儒教式の、 価値序列の考えよう、
  における  】 、
  中華文明の優越性 、 が、
 ある種の幻想にすぎない、
  って事になるW。


   ☆      儒教の祖である、 孔子
(   BC 551 ~   BC 479年    ) 、 が、
  酢漬の人肉を好んで食べていた、
  らしいことが、
   記録に残っています。

    江戸時代の儒学者たちは、
  論語の、 
 「   子曰  (   し、のた  ) まわく、
 孔子さまが、 おっしゃることには     」 、
   と、
 彼の言葉を、
  儒教道徳の規範、金科玉条として、
 教え、 崇拝しましたが、
  実は、 孔子には、 
  漢民族員の風習として、
  人食いの習慣があったことを、 
   ひた隠しにしていました。

   注:  )
  「   ひしお 、 醢   」 、 とは、 
  なめ味噌の一種で、 
  大豆と小麦で作った麹  (  こうじ  ) 、に、 
  食塩水や、 醤油、を、
   加えたもので、
    肉や瓜、に、 ナス、
  などを漬け込む為のものです 。


  【    孔子の食べ付けていた、 醢肉、は、
   人の肉とは、 書かれていない、 から、
  必ずしも、 孔子が、 
  人の肉を食べ付けていた、
とは、 言えない、 とする、 
  主張らもあるが、

   君主、 などから、 
  罪人の肉を下げ渡される、
  などした場合ら、 などに、 

   それを食べて観せない事は、
  君主、 などのした事や、
   させた事、 への、
 非難の意思がある事を、 
  疑わせる事にもなり、

  公の人として、 
  社会交際をしていた事や、
  私人として、 
  社会交際をしていた事からも、
 人の肉を、誰彼と、共に食べる、
  事、 などが、
  孔子の幼少の頃から、 ごく普通に、 
 成されていた、 としても、 
   不思議は、 無い。

   人食いを非難する、 という、 
  倫理的に、 あるべき行為を、 
  孔子らは、 成して居らず、

  公の役目についた者として、 
 それを差し止める行為も、 成していない、
 事は、 それに、 賛同していた度合いを、
  公に、 成すものでも、あり、

   人食いの仲間であった事には、 
  変わりが、 無い。

    諸子百家の内の、 
  人食いを非難していない者らも、 そうだが、 
 非難していない者ら、の、多さ、と、
  歴史記録らに、 罪人とされた、
  人々を殺した場合ら、などにおいて、
  その肉を、 殺した側の勢力の者ら、が、
  食べ合う宴   ウタゲ  を開いた様   サマ   、
  ら 、などや、 
  籠城戦らにおいて、 城塞都市にこもった、
  華夏員ら、が、 互いを食べ合う事が、 
  繰り返されていた事とか、
  儒教型の、 部族道徳律において、
  より、 序列を、 低く、 
  観宛てられてある側の、
  人々が、 自ら進んで、 序列の高い人へ、
 自らを食べさせる行為に類する、
  行為らを成す事が、 美談として、 
  褒めあげられて来てある、
  事、 などの、 
 甚だ、 夥   オビタダ   しい記述らがある、
  事から、観ても、

   華夏員らにおいては、 
 その部族の内外における、 序列の、 
  より、 高い者ら、が、 
  より、 序列の低い人々を、食べる事の、
  そのもの、 は、 
 その部族倫理性から、 
  肯定され得て来てある 、事である、
  と、 観て取られ得る事であり、

   自らが、 より、 
  序列の高い者である事を、
 自他に、より、 認めさせ得る行為としても、
  強姦 、 などと、 同じく、 人食い行為ら、
 が、 在り来たって、 ある事、なども、 
  うかがわせ得るものがある 。

     シナ朝鮮人らが、
  ベトナムで、 味方に付いてくれた、
 ベトナム人たちを、 その油断をついて、
 集団で、 強姦し、 なぶり殺しにする、
  などの類の事を、
 繰り返したり、
  日本人たちへ対して、 
 不意打ちをかけて、 対馬、 などで、
 集団により、 強姦と、なぶり殺しに、 
 ての平へ、 穴を開けて、
   船縁へ吊り下げる、などして、 
  連れ去る、 拉致行為ら、などを、
 何度も、 繰り返して来てある事や、

   合法に、 シナの内外に住まいしていた、
日本人たち、などの所々へ、 集団で、
 押し掛けて、 強姦と、 虐殺に、 拉致する、
行為ら、を、 繰り返し、
通州事件ら、などを、 
  多く、 成して来てある、
 事などの基には、

  その、 儒教型の、 
  序列化差別性を成す事からも、 
 成り立ってある、 
反社会性を極めてもある、 部族道徳律の、
価値序列の観念体系ら、 と、
  それに適合する、 感体系ら、とが、
 その行動原理の体系として機能すべくも、
 華夏員らの一般に、 代々のものとして、
 受け継がれ得て来てある事が、 ある 、

   という事などは、 
 華夏員ら、の、 現状らへ至る、 歴史事らや、
 現代においても、 成したり、 成さないで、
 済ましたり、 してある事ら、の、
  より、 多くを、 観、 
  思い分けて観る事から、 
 より、 明らかに、 
  観て取り得る宛ての事である    】 。

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切断頭骨121個 、 中国で見つかる ;
西日本新聞 ;

【 北京 ; 4日傍示文昭 】 ;

中国の北西部の甘粛省は、
天祝チベット族自治区で、

まゆの部分から、 上部が切断された、
頭骨ばかりが、 121個が、 発見された。

頭骨を調べた専門家が、
「 すべて、 人骨とみられる 」 、と、
指摘したことから、
警察当局は、 刑事事件に発展する、
可能性もある、 と, みて、
DNAらへの鑑定を行って調べている。

中国紙の新京報が、伝えた。

 同紙によると、
頭骨は、 3月27日、に、 
袋に入れられ、放置された状態で、
見つかった。

当初は、 サルの頭骨 、 との、 
見方が、 有力だったが、
地元の蘭州大教授が調べた結果にて、
人骨の可能性が高いことが、分かった。

 同教授の鑑定によると、
頭骨の年齢や性別、死亡時期などは、
さまざまで、
骨らは、 のこぎりで、 切断されていた。

また、 のこぎりで、 切断した、 痕跡らが、
鮮明なことから、
切断してから、 それほどは、 
時間が経過しておらず、 いずれも、
死因と骨への切断とは、 無関係 、 という。
 
地元では、
「 墓地を盗掘して、 頭骨を掘り出し、
切断した 」 、
「 工芸品にしようとしたのでは 」 、
など、 との、 憶測らが、 飛び交っているが、
すべては、 謎のまま。

警察当局は 、
「 DNA 鑑定で、 人骨 、 と、 確定すれば、
刑事事件になる 」 、 としている。 =
2006/ 4/4 付 、 西日本新聞、の、 夕刊 =

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「 墓地を盗掘して、頭骨を、切断した 」、
「 工芸品にしようとしたのでは 」 。
噴飯です。 お前ら、 食ったんだろ?

例えば、 日本国内では、 既に、廃刊となった、
「 食人宴席 」 、 という、 本がある。

文化大革命の時に、 中国の各地で、
階級闘争を大義名分に、
「 走資家 」 、や、 「 四類分子 」 、 と、
呼ばれた、 無辜の民や、 党の実務者達が、

恨みや妬みをもって、 糾弾会で、
吊るし上げられ、 生きたまま、
腹を割かれ、 扇動者が、 
心臓や、 肝臓、を、 鷲掴みにする。

その後に、 数百の民衆員らが、
奇声を挙げて、 殺到し、
皮や、 全ての臓器らを、 自宅に持って帰り、
  煮て、 焼いて、 食べる。

  反革命分子の人肉を食らうことが、
共産党への、 最大の忠誠心の表れ。

   但し、 心臓と肝臓と性器を食えるのは、
その糾弾会の主宰者の特権だった、 という。

 文革の時に、食われた、 中国人民は、
数万人とも、 数十万人とも、 数百万とも、
言われます。
総死者数は、 数千万 、 ともいう。
死傷者数は、 億ともいう。


  ◇    食人宴席―抹殺された中国現代史 
2004年 7月20日 ;

  鄭義 ツェン・イー  氏の、
 『  食人  宴席  』 ;

シナ、の、 文化人、知識人、金持ちたちが、
階級闘争の名のもとに、 リンチされたり、
虐殺されたりした。

裁判も法律も、さらには、 理由なども、
関係なく、 目をつけられた者は、

   狂ったように興奮する群集に、
 「  殺せ❗  」 、 と、 言い立てられて、
  咎  トガ  なくして、 死んでいった。

  広西では、 それが、 虐殺に終わらず、
  人肉を食べる大宴会になった。

  中国の広西省では、 文化大革命の時に、
 無実の罪で、 虐殺された人間は、
  9万人にのぼる 、 という。

   文化大革命は、 
  1966年から、 
 十年も続かなかったのだから、 
  毎日毎日、 何十人も、
  殺されていたのではないか。

  鄭義氏は、 食人の3段階を記している。

  まず、 処刑された死体を、 夜に、
こっそり、 解体して、 肝を盗んで、
 持って帰る、 こそこそ段階、

   高潮期には、 集会を開いて、
ライブで、 処刑、 その場で、 解体し、
おおっぴらに、 人食いができた。

   第3段階に入ると、 食人大衆運動期で、
人肉が、 目的であるかのように、
糾弾集会らが、 開かれ、
言い掛かりをつけて、 多くの人間を殺し、
いや、 まだ、 生きていても、
その肉を削がれていった。

手際のよい解体方法まで、 普及した。

  胸のところを、 
 『  人  』 、 の、 字の形に、 切り裂いて、

   下腹部を、 ドンと踏むと、

   肝臓と心臓   (  おいしい部分  ) 、が、
  ピョンと、 出てくるのだ。

  群集は、 毎日、 文字通り、 
『  度胆を抜く  』 、 リンチで、
  大宴会をひらいていたのだ❗ 。


   ◇    日本の四国へ入り込んでいた、
 中国人が、 日本人の男性を殺した際にも、

『   この、 人 、 という、 字の形、に、
その胸を切り裂いて、 心臓を取り出す   』、
  という事をやってあるが、 

   今は、 その事件についての、 裁判中 、
  という事を、 口実として、
 四国の、 愛媛新聞だかへ、 電話で、
   当方が、取材をした際に、
 そこの記者でもある、 その新聞社員が、
  その、 シナ人の、 名前なども、 
 教えられない、 と、 ほざいていた。 

  必ず、 こうした、 
 かばい立てをする者らも、 
 厳しく罰してやるべき、 必要性がある。

  この犯人は、 心臓を取り出す、 やり方を、
  実践し得てある所から観ても、
人民解放軍にいて、 
  こうした手際を習い得た、のではないか、 
と、 
 元刑事の、 板東氏が、 述べている。


   ☆    「5次請け」の殺し屋、
  報酬が安すぎで、 手抜きし、
  事件が発覚❗   ;      中国    ;

   中国は、南寧市の裁判所で、
  殺人未遂の罪で有罪判決を受けた、
   6人の男    ;
 (   2019年  10月17日に、 撮影、
   10月23日に公開    )。
  【  AFP=時事  】    ;

   中国で、次々と、 殺人の仕事を、
  下請けに出して、 結局は、
  遂行しなかった、 「  殺し屋   」、な、
  5人が、 依頼者とともに、
  有罪判決を言い渡され、収監された。

 殺人を実行してくれることを期待して、
  下請けに回された仕事は、 そのたびに、
   マージン 、を抜き取られ、
  別の殺し屋に、  次々と、
  手渡されていった。

 ところが、 最後となる、
  5次請けとなった殺し屋の男は、
  暗殺をでっち上げることにし、
  なんと、 標的となっていた人物に、
  合力   ゴーリキ    、 を仰いだ。

 すると、  ターゲットの男性は、
  あっさりと、 警察に通報し、
  茶番と化した企ては、丸潰れとなった。

 同国の南部の南寧の裁判所で開かれた、
  公判で、 明らかになった所によると、
  2013年に、  『  魏   ウェイ  』、  という、
   名字の実業家が、
   不動産への開発業者の、
  覃  佑輝  受刑者  、 を相手取り、
  訴訟を起こした事から、 話は始まった。

 裁判所によると、 時間と金がかかる、
   法廷闘争が、 不利益となる、
  こと恐れた、 覃  受刑者は、
  魏さんを、 「  抹殺  」、 するべく、
   2百万元    ;   (   約   3千万円   )    ;
  、 を払い、   殺し屋として、
  奚  広安  受刑者  、 を雇った。

 だが、自分の手を汚したくなかった、
  奚  受刑者は、  莫  天祥  受刑者に、
  自身の報酬の半分の金額で、
  仕事を請け負わせた。

 今度は、 莫  受刑者が、    77万元     ;
 (   約   千2百万円   )     ;       、で、
    楊  康生  受刑者に。   

   簡単に、金がもうけられる、 と考えた、
   楊  康生  受刑者は、   70万元     ;
  (   千百万円   )    ;       、で、
  楊  広生  受刑者へ、 
  この仕事を下請けに出した。

 そして、  楊  広生  受刑者は、
  5人目の殺し屋となる、
  淩  顕四  、 に声を掛け、
  凌  受刑者は、  元請けの契約金の、
  5  %  、 に当たる、  わずか、  ➕万元    ;
  (   約   百50万円   )、 で、
  仕事をこなすことに、 同意した。

 ところが、  凌  受刑者は、
  捕まったなら、 終身刑を受ける、
   可損   カゾ   ;    リスク    ;     
 、 を冒すのに、 この額は、見合わない、
  と、 考え、
  殺人をでっち上げることに決め、
  標的だった魏さんに接触した。

 裁判で、  魏さんは、    香戸  カヘ    ;
  カフェ    ;     、 で、   凌  受刑者と会い、
  縛られて、 猿ぐつわをかませられた、
  状態で、 写真を撮ることに同意した、
  と、証言❗ 。

   そして、  撮影が終わるやいなや、
  警察署に駆け込んだ、  と、話した。

 殺し屋、な、 5人と依頼者は、
  懲役   2年   7ヶ月  ~   5年の、
  判決を受け、  今月に収監された。 


@ 長崎事件 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6 : 
1886年(明治19年)8月1日、清国海軍の北洋艦隊のうち、 
定遠、鎮遠、済遠、威遠の四隻の軍艦が、長崎港に、艦艇の修理のためと称して入港した。 : 
8月13日、500人からなる清国水兵らが、勝手に上陸を開始。 遊廓で、 登楼の順番をめぐる、行き違いから、 備品を壊したり暴行を働く、などのトラブルが起こり、 長崎市内をのし回り、 商店に押し入って、金品を強奪。 : 
泥酔の上、市内で、暴れまわり、婦女子を追いかけまわす、等、乱暴狼藉の限りを尽くす。 : 
    ・・続きは、   ブログ   ;
 『    夜桜や     夢に紛れて     降る、寝酒    』
 、で❗。