☆ 古地図に残された「謎の文字」 ;
☆ 根途記事➕論弁群❗ ;
先日に、 1930年代に、シナで発行された、
古い中国地図を入手した。
のんびり眺めていたら、
奇妙なことに気がついた。
透かし文字で、 「亜細亜洲」、
「欧羅巴洲」、 と、
記されているではないか。
さらに、目を近づけてみると、小さく、
「 中国本部 」、 という、
見慣れない文字がある。 辞書を引くと、
英語の、 「 チャイナ・プロパー ;
China Proper 」、 という言葉の、
日本語訳に、 「 中国 本土 」、
「 支那 」、「 支那 本部 」、
などがある、 とされ、どうやら、
戦前の日本で用いられていた、
言葉のようだ。
シナで最初に、 「 支那本部 」、 という、
言葉を用いたのは、 「 中国の父 」、
と尊敬される、 孫文氏らしい。
清朝の末期の、 1900年、に、
革命を志していた孫文氏は、
日本の支援者団体な、 「 東邦 協会 」、
に委託して、 「 支那 現勢 地図 」、
を作製しており、そこに、
「 支那 本部 」、 という文字が残っている。
しかも、 孫文氏は、その同じ地図を、
「 新輯中国十八省全図 」、 として、
香港で、出版している。
ということは、私が入手した、
1930年代に、 シナで流通していた、
中国地図も、実は、 日本製、
なのではないかと、疑問がわいた。
なぜ、そんな事態が起きたのか。
あれこれと考えているうちに、
疑問は、 さらに深まり、私は、
同時代に、日本で作られた、
中国地図と突き合わせてみることにした。
最初に比べたのは、 大日本雄弁会講談社 ;
( 現在の講談社 )、 から出版された、
雑誌な、 『 キング 』、 の付録の、
「 最新 大亜細亜 地図 」 ;
( 1937年 1月1日 発行 )、 だった。
1924年の11月に創刊した、 『 キング 』、
は、 日本の出版史上で初めて、
発行部数が、 百万部を突破し、
国民的雑誌として、もてはやされたせいか、
この大判の、 柄 カラ ;
カラー 、 地図も、 ぜいたくな作りだ。
私の手元にある、 シナの古地図と同じ、
ボンヌ図法を採用し、
描画範囲も、 ほぼ、同じ。
「支那本部」、「亜細亜洲」、「欧羅巴洲」、
という文字もある。
「製図・彫刻 森芳雄」、
と、 記されているが、
手がかりは、 掴 ツカ めなかった。
1937年、 といえば、 7月7日に、
共産主義者らにより、
盧溝橋事件が起こり、
日中が、 全面戦争に突入した年だ。
「 最新大亜細亜地図 」、 には、
日本が、 赤色で示されているほか、に、
統治していた韓国と台湾も、赤色だ。
名目上は、 独立国家とした、
「 満州国 」、 は、 白紅 ビャク ;
ピンク 、 色で、
シナの本土の黄色、 と、識別されている。
だが、 戦争への前夜の、
不穏な時代を反映しているにも関わらず、
この地図は、 妙に美しかった。
色合いが柔らかく、文字に、嫌味がなく、
端正で、品格すら感じるのだ。
さらなる情報を求めて、
講談社の資料室を訪れると、そこには、
旆婁 ハイル ; ファイル 、
名 ; 「 戦前の満州亜細亜大地図
支那地図1-3 ( 約50葉 ) 」、 という、
新聞用の媒朶 バイダ ;
バインダー 、 で綴じられた大地図が、
三束、合計で、 50枚が保管されていた。
雑誌; 『 キング 』の付録には、
「最新世界地図」、「最新日本地図」、
「最新大亜細亜地図」、
「最新支那詳細大地図」、
「最新支那明細大地図/
満蒙・ソ連国境大地図」、などの、
11種類の柄刷りな、 大地図があり、
それ以外にも、 大阪毎日新聞社、
東京日日新聞社、駸々堂、
陸軍省の発行のもの、 等があり、まさに、
戦前の大地図の、 凝倶 コリグ ;
コレクション 、 として、 圧巻だった。
だが、 私の手元にある、
中国の古地図と、
完全に一致するものは、なかった。
@ 新たな瀕知 ;
私は、 知人の紹介を頼りに、
平凡社地図出版を訪れることにした。
そして、 幸運にも、
地図界の重鎮と呼ばれる、
水谷一彦氏の話から、
新たな手がかりを得ることができた。
「 明治時代、 日本の陸軍には、
それまで導入していた、 フランス式の、
製図技術を、 ドイツ式に替えたばかりの、
陸地測量部 ( 陸測部 )、がありました。
そこで学んだ、 木崎盛政
( きさき しげまさ ) 、氏は、
退官した後、 三角測量による製図法を、
民間に普及させました。
しかし、 それ以前に、 清国では、
フランス人を招いて、
三角測量技術を会得して、 地図を作製し、
琉球も、 その技術を入手して、
高精度の地図を作っているのです。
伊能図 ( 伊能忠敬氏の測量図 )、より、
約 百年も前のことです。
ドイツ式が、 日本に入ったのは、
明治十年代で、 日本陸軍は、 後に、
中国東部や満州を測量しています 」、
と、水谷氏は、
地図の歴史を紹介してくれた。
木崎盛政氏は、
日本の民間地図の開祖、 ともいうべき、
人物で、 厳密な製図法を考案したのだ、
という。
陸測部の作図法が、 測量した値を、
そのまま描く、 「 基本図 」、
なのに対して、
木崎流の作図は、
厳密な製図技術を駆使して、
使用目的に即した、 「 編集図 」 ;
( 応用図 )、 であり、
芸術性が高く、 現地の印象を、
力強く表現することが、 特徴だ。
例えば、 「 河川の走らせ方は、
山中をうねる。 上流は、
細く、ギザギザに、
下流は、 太く、 なだらかに 」 。
「 砂浜は、 スラーッと、
岩場は、 ゴツゴツ 」、 と描き、
地図を縮小しても、 特徴を掴んで、
「 総描する 」、 ので、 分かりやすい。
文字も、 厳密に決められている。
航路などを描くとき以外、は、
ほとんどで、 定規を使わず、
山裾や断層線、段丘線、 など、
斜面の勾配が、 急に変わる、
「 傾斜変換線 」、 なども、
みなについて、 地形を読み取り、
人の手で、 描く。
だから、 100人がいれば、
100通りの地図が描かれる。
「 地図には、 『美』と『科学』、と、
『主張』が、 備わっていないと、
いけないのです 」、 と、
楽しげに口にする、 水谷氏の言葉が、
印象的だった。
@ 孫弟子の証言 ;
水谷氏から、 木崎盛政氏の孫弟子にあたる、
人物が、 健在だと聞き、さっそく、
連絡を取った。 現在にては、
85歳になる、 辻野民雄氏だ。
「 木崎の弟子は、 私も含めて、
数百人に及んでいます。
森芳雄も、 そのひとりで、
彫刻家 ( 銅版に彫刻する専門家 )です。
特に、 小中高校で使われている、
地理教科書にある地図は、ほとんど、
木崎一門が描いたものだ、 と言っても、
過言では、ありません 」 。
かくしゃくとして、 柔和な笑顔をたたえた、
辻野氏は、地図や資料を、 提振 テブル ;
テーブル 、 いっぱいに拡げて、
説明してくれた。
木崎盛政氏は、 1867年、に、
山形藩士、の、 木崎龍馬氏の嫡男として、
生まれた。
陸軍省の陸地測量部修技所の、
第一回生となり、 卒業時に、
抜群の製図を仕上げて、
製図科に任官したが、 希望していた、
三角測量科に任官できなかったことから、
辞職。
自宅に、 「 盛教図閣 」、 を設立して、
みずから、 製図法を編み出し、
民間企業による、 地図や、
歴史地理教科書用の、
地図帳を製作して、 生計を立てた。
当時の小学校教科書は、 地方ごとに、
任意で、 採用を決定していたために、
教科書の出版社らは、 販売競争に、
しのぎを削り、 木崎氏も、
製図の注文をさばき切れなかった。
@ 「 中国の教科書 」、 を作った、
日本人 ;
ところが、 1902年、に、
「 教科書 疑獄 事件 」、 が起きた。
教科書の出版社と、 地方議員、や、
教育界の教科書への採用の担当者による、
一大贈収賄事件だ。
金港堂、集英堂、などの、
大手の教科書の出版社な、 4社の、
社長や重役、に、 地方議員、と、
教育界の関係者など、の、 総勢で、
200人以上が、逮捕された。
日本中が、 大騒ぎになり、
教育の現場らは、 混乱をきたした。
木崎氏への地図の製作への注文が、
パタリと止まった。
僅かな、 貯金で食いつなぎ、
質屋通いで、 疲れ切った妻は、
精神に異常をきたした。
「 そんなときに、 金港堂が、
上海商務印書館、 と、
合弁会社を作ったのです。
1903年のことで、 日本人の手で、
近代的な、 中国の国語、歴史、
地理の教科書を作りました。
木崎氏は、 中国大地図や、世界大地図、
掛け図、 などの注文を受け、
食うや食わずの状態で、歯を食いしばり、
なんとか、 地図を描きあげ、 ようやく、
窮地を脱したのです 」。
この、「 教科書疑獄事件 」、 以降は、
日本では、 小学校の教科書が、
国定となった。
「 木崎氏は、 1945年に亡くなる直前まで、
毎日に、 15時間も、 机にしがみついて、
製図していたそうです 」、 と、
辻野氏は、 木崎氏への愛弟子だった、
原田英一師匠の口から聞いた、 と、
懐かしそうに、目を細めた。
金港堂と上海商務印書館の合弁会社は、
中国の戦乱により、 1914年に、
解消されたが、木崎氏が製作した地図は、
その後も、 ベースマップとして、
長い間を、 中国で用いられた。
木崎盛政氏の手掛けた日本地図は、
二度を、天皇陛下に献上された。
原田英一製作、辻野民雄氏の製図・
彫刻による、 英語版の、 日本地図 ;
『 The Map of Japan 』 ;
( 平凡社、1953年 ) 、 も、
明仁上皇陛下が、 皇太子な時代に、
英国のエリザベス二世の、
戴冠式に出席する際に、 皇室から、
指名を受けて、 献納し、
エリザベス女王への贈呈品となった。
木崎一門から輩出した製図家たちは、
今日でも、 日本の地図界を、
営々と支え続けている。
私が最初に入手した、 1930年代の、
中国地図とは、 近代化を目指した時代の、
シナが、 日本の協力を仰ぎ、
日本人な製図家によって描かれた地図を、
辺主 ベス ; ベース 、 に、
その精緻な技術を旺盛に取り入れ、
さらに、 最新の情報らを加えて、
完成させたものだったのでは、
ないだろうか。 そう考えれば、
たとえ、 戦争への前夜であっでも、
中国地図に、 日本の影響が、
色濃く残っていることに、 合点がいく。
歴史を現在の基準で推し量るのは、
無理がある。 かつて流通していた、
中国地図を、 「 正しくない地図 」、
として、 廃棄するのも、 自らの、
歴史を否定することに、
繋がるのではないだろうか。
【 今回の「知恵」 】 ;
「『美』と『科学』と『主張』のある、
地図からは、 歴史が見える 」 。
【 古生物 】 ; 地球で最古な、
5億5千8百万年前の、 生き物の痕跡が、
報告され、 古生物学が追い求めてきた、
数十年来の謎が、 解明へ❗ ;
2019/ 9/25 21:00 ;
木の葉のような模様を持ち、
長さが、 1.4 メートルほどの大きさがある、
化石から、 動物性のステロイドである、
「 コレステロール 」、 が、
検出されたことから、 この化石が、
5億5千8百万年前に生息していた、
生物な、 「 ディッキンソニア 」、
のものである、ことが、 判明しました。
この化石は、 現在にて、 地球で、
見つかっている、 最古の生き物、への、
化石、 ということになります。
Ancient steroids establish
the Ediacaran fossil Dickinsonia
as one of the earliest animals |
http://science.sciencemag.org/content/361/6408/1246
World's first animal was
a pancake-shaped prehistoric
ocean dweller
https://www.nature.com/articles/d41586-018-06767-6
558m-year-old fossils identified
as oldest known animal |
The Guardian
https://www.theguardian.com/science/2018/sep/20/558m-year-old-fossils-identified-as-oldest-known-animal
ディッキンソニアは、 現代から、
約 6億年前の、 先カンブリア時代、な、
エディアカラ紀に、 海中に生息していた、
生物の一種で、 1940年代に、
その存在が、初めて確認されていました。
体組織は、 非常に扁平な状態であり、
長さが、 1メートル ~ 1.4メートル
ほどがある、 のに対して、
厚みは、 3 mm 程しか、ありません。
化石には、 骨格のような、はたまた、
木の葉にみられる、 葉脈のような、
模様を確認することが、できます。
ディッキンソニアの正体が、 何か、
については、 1940年代の発見以来は、
ずっと、 議論が、分かれてきました。
動物のような様子を見せながらも、
動物に必要な、 手足や口、に、
臓器などを、 はっきりと、
見分けることが、できない、
こと、 などから、 実際には、
コケ、な、 植物の一種である、
という、 論を唱える科学者や、
巨大な単細胞である、 アメーバ、
進化に失敗した動物の痕跡、
などといった見方が、
示されてきた、 とのこと。
しかし、 その議論に、
終止符を打つことになりそうな、
研究の結果が、 オーストラリア
国立大学地球科学研究所 ( ANU ) 、
などの、 研究チームにより、
もたらされました。
その様子は、 以下のムービーで、
解説されています。
Scientists reveal secrets
of oldest known animal fossil https://youtu.be/rsvDw7F_Syo
ディッキンソニアは、 地球の、
ほぼ全てが、 海洋に覆い尽くされていた、
とされる、 先カンブリア時代に、
生きていた生物で、後に、
生物の種が、 爆発的に増加する、
カンブリア紀よりも、
前の時代の命員 メイン 、です。
「 はたして、 ディッキンソニアが、
巨大な単細胞の生物だったのか、
それとも、 私たちな、 動物の、
最も古い先祖なのかについては、
議論が、分かれていました 」、
と語るのは、 ANU 、の、
ヨッヘン・ブロックス准教授。
ブロックス氏らの科学者チームは、
ロシアの西北部な、 北海沿いの地層で、
ディッキンソニアの化石を探し、
その詳細な姿を、明らかにしました。
調査に参加した、 PhD.Candidate
( 博士論文提出志願者 ) 、 の、
イリヤ・ボブロフスキ氏によると、
北海の海岸沿いは、
クマと蚊によって支配される、
野性の地だった、 とのこと。
それらが為に、 調査チームは、
ヘリコプターで、 現地入りし、
断崖の上から、 ロープを垂らして、
化石の眠る地層まで、 ぶら下がって、
化石を発掘する作業を、
強いられたそうです。
断崖の高さは、 60 ~ 100メートル。
この状態で、 調査チームは、
砂岩の塊を切り出し、下に落としてから、
水で洗浄する、 という、
作業を延々と続けたとのこと。
研究者らは、このようにして見つけた、
ディッキンソニアの化石を、
研究室に持ちかえり、化石に残された、
『 有機物 』 ;
炭素 C 、 を含む、 化合物 、
の、 痕跡を詳細に調査しました。
その結果にては、 化石に含まれる、
脂質からは、
コレステロール 、 が発見された、
とのこと。
これにより、 ディッキンソニアは、
植物の仲間ではなく、 我々な、
動物、への、 遠い先祖であることが、
確認されました。
ブロックス氏は、
「 今回の化石の脂質は、
ディッキンソニアが、 知られている限りで、
最古の動物の化石である、
ことを裏付けています。 これにより、
古生物学が追い求めてきた、
数十年来の謎が、 解明されました❗ 」、
と、 発見の成果について述べています。
エディアカラ紀の生物については、
まだまだ、 わかっていないことが、
非常に多く、 今後も、さらなる、
調査が、求められています。
http://gigazine.net/news/20180925-dickinsonia-oldest-animal-fossil/
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1569390321/
・・続きは、 ブログ ;
『 夜桜や 夢に紛れて 降る、寝酒 』
、 で❗。