☆ 下り得ぬ 城を落とすは 内からも
攻めをひき込む 手蔓な草ら・・❗。
☆ 渡部昇一氏 ( 上智大学 名誉教授 )
➕ 石平氏 ( 評論家 ) ;
@ シナ事変の前夜と同じ ;
石氏 ; 「 尖閣 問題 」 、が、
起こったとき、
当時の、 仙谷 ( 由人 )官房長官が、
中国に気をつかって、
「 かつて、 日本は、
中国に迷惑をかけたんだから 」、
という様な事を言っていましたね。
ああいう認識が、 今も、
日本人の間にある。
≒
【 自分で、 根拠らを調べる、
より、 まともな、日本人では、ない、
方の、 反社会的な精神性の主ら、
が、 日本人たち、などへの、
外患員ら、の、 凶悪な詐欺犯罪ら、
などに、加担し、
出鱈目な、 外患員ら、の、
主張な事ら、を、真に受けてみせる、
芝居を成して、
あわよくば、 だまされて、
悪事らの片棒を担いだだけの、
被害者に成り済まし、
処罰を逃れ得る、
可能性を、余計に、 成そうとしている、
だけの事であり、
そうした、 白々しい芝居をする、
実態を成してしまう事で、
かえって、 一層と、
その身内員ら、への、
応報性の度合いを深刻にし、
本人らが、 自然死などをし得ても、
その係累員ら、が、
一般の社会らからの隔離と、
囲い込みようを宛てられて、
平和に、絶やされるべくも、
監視の下で、 暮らすべくされる、
位の事は、 宛て付けられ得る、
筋合いを、自らの身内員ら、の側にも、
成し増してしまう事にも成る 】。
渡部氏 ; あれで、まず思ったのは、
これは、 〈 シナ 事変 〉、 のときと、
同じだ、 ということです。
あのころも、シナは、
尖閣と似たような事件を、しょっちゅう、
起こしていた。 それで、日本人は、
シナに対して、 カンカンに、
怒っていたんです。 だから、
「 暴支 膺懲 」 ;
( 暴虐な支那を懲らしめる )、 という、
言葉が、できた。
それは、 私ら子供でも、みんな、
そう言っていました。
一番に、ひどかったのが、 昭和12年
( 1937年 )、の、 中国軍による、
通州の日本居留民への大虐殺、いわゆる、
「 通州 事件 」、 です。
あれだけ、ひどい事をされたら、
やり返すのは、 当然ではないか、
というのが、 一般的な考えでしたね。
石氏 ; 今の中国は、
「 暴支 」、 どころか、
「 暴走 」、 していますね。
シナ事変、つまり、日中戦争について、
私は、 中国で、
こういう教育を受けました。
日露戦争の当時から、すでに、
日本は、 中国をほろぼして、
大陸を我が物にする計画を立て、
着々と、 対中侵略を進めてきた。
その過程に、 満洲事変があって、
盧溝橋事件、 があり、 そうして、
全面的な侵略が始まった、 と。
そう教えられて、私は、
「 日本人は、 すごいな 」、
と、 感心した。 何しろ、
百年の計を立てて、 その通りに、
実行していた、 というのですから。
しかし、 日本に来て、
歴史の本を読むと、全然、
話が違うので、 とても驚きました。
一体、どこに、 侵略計画があったのか。
ズルズルと、 戦争に巻き込まれていった、
だけではないのか。
渡部氏 ; 日本に侵略計画があった、
という話は、 東京裁判のときに、
証拠として出された、
田中上奏文が、もとになっているんです。
田中義一首相の、 いわゆる、
「 田中 メモ 」、 ですが、 そこに、
日本は、 満洲を征服して、まず、
シナを、 最後には、 世界を征服する、
という、 シナリオが書いてある。
しかし、 実のところ、 それは、
誰が書いたのか、わからない。
しかも、その侵略を決めた、 という、
昭和2年の会議に、元老の、
山縣有朋氏も出席したことになっている。
ところが、 大正11年に亡くなっている、
山縣有朋氏が、 出席できるわけがない。
信憑性がないから、 証拠として、
認められなかったんです。
最近の研究では、 このメモは、
コミンテルンが、 モスクワで捏造して、
世界中に広めたのだ、
と、 言われています。
石氏 ; 中国の教科書には、
「 田中上奏文 」、 が、 必ず、
載っています。
逆に言うと、
田中上奏文の存在がなければ、
日本が侵略戦争を行った、
と、 断罪することは、かなり難しい。
渡部氏 ; 「 田中 上奏文 」 、
が、 偽物だ、 ということが、
わかった、 にもかかわらず、 それが、
世界に広まってしまった。
A級戦犯の最も大きな罪とされる、
「 平和に対する罪 」、 は、
戦争を計画した、 という事ですが、
その事実が、そもそも、ないんですよ。
@ 「 対華 二十一カ条 」、 の中身 ;
石氏 ; そういう意味では、
日中戦争には、
コミンテルン 、が、
大きな影を落としていますね。
もう一つ、
中華民国大総統 ; 袁世凱に、
日本政府が提出した、
「 対華 二十一カ条 要求 」、
あれこそ、 日本の野望と野心の現れであり、 侵略の第一歩だと、
中国では、 必ず、 言うんです。
渡部氏 ; あれは、 14条までは、
これまでの条約を守ってくれ、 という、
当然の要求です。
最後の、 七カ条は、 そのために、
日本の人材を積極的に登用して、
権利を認めてくれ、 という、希望でしたが、
結局、 最後には、 その部分を、
すべて削除して、 条約を結んでいる。
後半の、 7カ条は、 希望なんか出すと、
誤解されると言って、
日本の議会でも、批判されていたんです。
石氏 ; その7カ条に、
中国は、反発したわけですが、
結局、 その部分は、削除された。
それは、 どの国家間でも行われている、
当然の外交交渉ですね。
一方が、 希望を出して、
相手が反発すれば、一歩を引く。
渡部氏 ; あのとき、アメリカが、
「 民族自決権 」、 を持ち出して、
いかにも、 日本が悪いかのように、
騒ぎたてて、 中国を焚きつけた。
それで、 問題が大きくなった所がある。
民族自決権、な、 そのものは、
非常に立派な考えだけれど、
自分たちが持っている植民地の、
フィリピンや、あるいは、
イギリスが、世界中に持っている、
植民地らについては、 問わない。
しかし、 中国に対しては、 しきりに、
民族自決を煽りたてた。
だから、 中国の青年たちのあいだで、
排外運動が起きた。
最初は、 日本だけでなくて、
イギリス、アメリカも、
排除しようとしたわけですが、
日本だけが、
武力で抑えることをしなかった。
だから、 なめられて、
排日運動だけが、大きくなった。
石氏 ; それは、
日中関係の大きな教訓ですね。
肝心なときに、 きちんと、
武力で対応しなかったから、
中国は、 ますます、つけあがって、
「 暴支 」、 になった。
渡部氏 ; 「 二十一カ条 要求 」、
を出した時期が、
第一次世界大戦のさなかだったのも、
まずかった。
英米が、
ヨーロッパの戦争で忙しい、
隙を狙ったかのような、
ずるい印象を与えてしまった。
≒
【 英米の富裕権力層員ら、と、
一般の、 主権者ら、とは、
より、 階級社会性や、
部族社会性を、 脱却し得てある、
社会倫理性のある側の主ら、が、
その、 序列化差別型の、
ゆがんだ倫理性などに合わせて、
忖度して、 善い、相手らではなく、
より、 一方的に、 絶やし去り、
より、無力化する宛てにし続けるべき、
筋合いの者らでしかなく、
そうした筋合いの者らの、
心情性らや、倫理性らの一般に、
おもねる傾向性のある者らは、
日本の社会の内側にあって、
外患性らを呼び寄せても来てある、
絶やし去るべき宛ての者らでもある 】。
石氏 ; 日本のそういう判断ミスが、
アメリカに利用された結果、
中国の五四運動が、はじまり、
反日的な風潮が高まった。
渡部氏 ; 反日運動についてだけは、
ソ連とアメリカは、 同調していた、
という、 印象を受けますね。
談合したわけではない、としても、
日本を大陸から追い出す、 ことが、
両国の利益だった。
@ 日本は、 満洲を中国に返した ;
≒ 満州は、
華夏員ら、の、 固有の領土ではなく、
満州族員ら、の、生活領域であり、
清王朝の時には、
漢族員ら、が、 満州へ立ち入る事も、
禁止されており、
日本人たちと、 満州族員ら、とが、
満州国を建て、 近代的な暮らしようを、
そこの、人々が成し得るように成ってから、
漢族員ら、が、 違法に、
満州へ侵入して、 年間に、
数百万人もの単位で、
勝手に、住み着いた物を、
孫文氏ら、などの、
シナの幹部らが、 満州を、
シナの固有の領土として、
欧米人らへ宣伝し、
合法に、 犯罪者の、シナ人らへの、
懲罰を成す戦争を成していた、
日本への、 違法な戦争を成した、
米英人らによる、 日本の敗戦のどさくさ、
に、紛れて、
違法に、 満州を、 シナ人らが、
あらためて、占拠しており、
今もって、
日本人たちの、満州へ投下した、
資本性ら、へ、ついての、
日本人たちへ対する、
合法に成すべき、 補償も、
シナ人らは、成していない❗。
石氏 ; 五四運動の後、しばらくして、
コミンテルンが、 中国で共産党を作った。
中国共産党は、
自分たちで作ったものではなくて、
コミンテルンの中国支部に過ぎない。
日中関係のすべての問題が、
そこから生じてきた、 と言ってもいい、
のでは、ないでしょうか。
渡部氏 ; ロシア革命と、
コミンテルン、とが、なければ、
大陸は、ずっと穏やかなままだった、
と、思います。
中国人も、誤解していると思うんですが、
日露戦争前の満洲は、
ロシア領になっていたんです。
ロシアはまだ、自分の領土である、
と、 主張してはいなかったけれど、
清国の役人が、 満洲に入るときには、
ロシアの官僚の許可を、
得なければいけなかった。
その満洲を、日本は、
日露戦争で、 ロシアを追い出して、
当時の清国、つまり、
中国に返したんです。
そして、 ロシアが作った、 鉄道と、
南満洲鉄道の権利、それから、
日清戦争で日本が得た、
東半島、への、租借権だけをもらった。
あのままほうっておいたら、
いずれ、 「 満洲 スタン 」 ;
( 「 スタン 」、 は、
国や地方を表す、 ペルシャ語に起源の、
言葉 )、 なんて、地名になっていた。
北シナも、朝鮮も、そうです。
半島は、 今ごろは、
「 コリアスタン 」、
になっていますよ ( 笑 ) 。
石氏 ; 朝鮮人も満洲人も、
何々スキー、 という、
名前をつけられていたでしょう。
キムスキーとかね ( 笑 )。
渡部氏 ; だから、 スターリンは、
昭和20年の8月に、これで、
「 日露戦争の敵を討った 」、
と、 言ったんです。
もしも、 ロシア革命がなければ、
満洲と東半島は、 日本が租借し、
鉄道は、 日本が管理して、あとは、
平和だったはずです。
満洲事変も、不要だった。
石氏 ; 日中戦争も起こらなかった。
万一、満洲が、あのころ、
ソ連と共産党に侵略されていたら、
日露戦争以来の、すべての、
国防上の安全保障の成果を、
日本は、一気に失うところだった。
渡部氏 ; しかし、
アメリカが愚かだったから、
日本の敗戦で、
それが、失われたわけです。
朝鮮戦争以後、 アメリカの歴史家は、
口をそろえて、こう言った。
何が、 シナ大陸を失わしめたか、
それは、日本を潰したからだ、と。
石氏 ; 結果的に、 共産主義中国、
という、 化け物を生み出した。
今や、 世界中で、一番にやっかいな、
国を生んだのは、
あの頃の痛恨の歴史だった。
@ ミステリアスな事件 ;
渡部氏 ; 満洲国に、
清朝の王朝が続いていれば、
大きな緩衝地帯が存在して、
世界平和のためには、非常によかった。
ただ、清朝にクーデターが起こって、
愛新覚羅溥儀氏が、
日本公使館に逃げ込んでこなかったら、
満洲国の建国への案は、
生まれなかった、 と思う。
溥儀氏は、 満洲のヌルハチ氏、への、
直系ですから、 その故国に、
正統の皇帝を立てたのは、
誰からも、文句を言われない、
良い案だった、 と思う。
石氏 ; 満洲国は、ある意味では、
日本の本土よりも、 近代国家でした。
私は、 大学時代に、 満洲を旅した、
ことがあるんですが、 ほかの、
中国の都市より、ずっと整備されていた。
まず、橋が丈夫です。
日本人が作ったから ( 笑 )。
当時の鉄道が、今でも走っていますしね。
結局、近代中国の産業基盤は、
すべて、 満洲にあった。
満鉄の遺産です。
現代の中華人民共和国の自動車産業も、
旧満洲から、はじまっています。
渡部氏 ; 張作霖爆死事件にしても、
当時は、 昭和天皇まで、
河本大作大佐が、
事件への首謀者だ、と、
思っていたらしいけれど、
リットン調査団は、
「 ミステリアスな事件だ 」、
と、 言っているだけで、
日本軍が起こした事件だ、
とは、 言っていないんです。
イギリスの諜報部は、爆発物の分析をし、
火薬が、 ソ連のものだ、
と、 突き止めている❗ 。
日本は、 気づかなかったけれど、
リットンは、 知っていたんだ、
と、 思います。
だから、 あえて、 日本を責めなかった。
石氏 ; リットン報告書を読めば、
日本を一方的に断罪していない、
ことは、 すぐわかる。
それなのに、東京裁判以降、
歴史的事実が塗り替えられて、
どういうわけか、すべてが、
日本を断罪するものになってしまった。
それを、なぜか、
日本人は、 否定しようとせず、
それどころか、 むしろ、
積極的に認めている。
@ 「 引かれ者史観 」 ;
渡部氏 ; 戦前・戦中に、
反日運動とか、左翼運動をやって、
帝国大学を追われた人たち、
お縄になって、
牢屋に引かれていっても、
おかしくなかった人たちが、
戦後に、 大学に復帰して、
東大や京大の、総長・学部長におさまった。
そういう彼らの歴史観を、
エッセイストの山本夏彦さんは、
「 引かれ者史観 」、 と、呼びました。
戦後の歴史経済学者は、 みんな、
この人たちの弟子に、
ならざるを得なかったから、
学界は、
「 引かれ者史観 」、 に、
染まってしまった。
ジャーナリズムも、同様です。
昔なら、 くさい飯を食っている人たちが、
刑務所のかわりに、
学界とマスコミに集まっている ( 笑 )。
みんな、 日本の敗戦によって、
利益を得た、
「 敗戦 利得者 」、 なんです。
石氏 ; コミンテルンは、
戦前は、 日本の周辺で工作を行って、
大日本帝国を潰しましたが、
戦後は、 さらに、 日本国内に入り込んで、
日本の心まで、潰そうとした。
渡部氏 ; 潰されなかった人たちは、
史学や法学の本流に、
いなかった、人たちですね。
本来であれば、 法学部の教授なら、
「 日本に、 主権がないときにできた、
憲法など、憲法ではない 」、
と、 言うべきです。
国際法の学者であれば、
「 交戦権の、無い、ような、
憲法を持っては、いけない 」、
と、 言うべきでしょう。
しかし、
東大や京大では、言わない。
むしろ、 歴史や法律が専門ではない、
文学の先生とかが、
そういうことを言っているわけです。
敗戦利得者ではないから、
まともなことを言える。
敗戦利得者の弟子たちは、
その口移しを言っているだけです。
そして、弟子の秀才たちが、
各地の大学に散って、
「 引かれ者史観 」、を、
学生に教え、あるいは、
高級官僚として、あるいは、
朝日新聞や、NHKに入って、
反日的な言動をしている。
石氏 ; 不思議なのは、
そういう誤った歴史観が、
70年がたった今も、
大半の日本人の頭を占めている、
という、 現実です。
占領軍は、
指導者たちの精神まで、
占領し続けているようです。
@ 中曽根内閣で一変❗ ;
渡部氏 ; 「 引かれ者史観 」 、は、
「 東京裁判史観 」、 と、
言っても、いいのですが、
それに反対して、
憲法の改正を党是にしていたはずの、
自民党が、 中曽根康弘内閣
( 1982 ~ 87年 )、 のときに、
明らかに、変わってしまった。
昭和60年
( 1985年 )、の外務委員会で、
「 日本は、 東京裁判において、
中国に対して、 有罪になった。
その罪を、今も背負っている 」 、
と、 答弁したんです。
石氏 ; それは、
サンフランシスコ条約 、
を無視していますね。
渡部氏 ; サンフランシスコ講和条約で、
東京裁判については、
白紙になったんです。 にもかかわらず、
自民党も、 講和条約を無視した、
歴史観を持つに至った。
田母神 ( 俊雄 )
元航空幕僚長の事件でも、
田母神さんをやめさせる、
理由がなかったので、
「 日本の侵略は、歴史的事実である 」、
と言った、 村山元首相の、いわゆる、
「 村山 談話 」
( 1995年 ) 、 に背いた、 という、
理由をこじつけた。
しかし、村山さんは、
社会党の党首じゃありませんか。
社会党は、
サンフランシスコ講和条約に、
参加しなかった党ですよ。
石氏 ; 中国共産党も、
講和条約に一切、参加しなかった。
渡部氏 ; 社会党は、 当時は、
国会で、 第二党でしたから、
当時の吉田茂首相は、ぜひ、
参加させたかったのに、
請われても、行かなかった。
スターリンの意図に従ったのです。
そういう左派の意見に、
中曽根さんは、 外交に関しては、
乗ってしまった。
それ以来、
「 南京事件は、 なかった 」、 とか、
「 朝鮮に対しては、良いこともした 」、
と、発言しただけで、
大臣の首が飛ぶようになった。
石氏 ; 第3次中曽根内閣の、
文部大臣だった、 藤尾正行さんは、
歴史教科書問題で、
「 日韓 併合 」、 は、
韓国にも責任がある、
と、 言っただけで、 罷免された。
「 東京裁判史観 」、 は、
サンフランシスコ条約後も、
続いているわけですね。
渡部氏 ; 講和条約の11条に、
東京裁判で、すでに判決が下りている人は、
刑期の継続を実行する、
ただし、関係国が許せば、
免罪されるとあります。
それに従って、国内でも、
「 戦争犯罪による、 受刑者、への、
釈放、 等に関する決議 」、 が、
与野党一致で可決され、
A級戦犯も、免責されました。
これで、 国内的にも、国際的にも、
戦犯は、いなくなり、
本人や遺族にも、
年金の支給が行われることになった。
≒ 戦犯とされた人々は、
元から、 合法に、 犯罪者である、
シナ人らを懲罰する、戦争を成していた、
側にあり、
違法に、日本人たちを攻撃し続けて、
日本を占領した、 犯罪者な、
アメリカ人ら、などに、
戦犯とされるべき、筋合いの、無い、
『 法務 死者 』、 などから成る❗ 。
A級戦犯として、有罪を宣告された、
重光葵氏は、
鳩山一郎内閣での、
副総理、兼、 外務大臣になって、
日本が、 国連に加盟したときには、
国連に、日本代表として出席して演説し、
拍手喝采を受けて、帰国後に急死した、
ときには、
国連で、 黙祷されているんです。
石氏 ; 要するに、
講和条約を締結した時点で、
日本は、 歴史的な名誉を回復し、
国際社会に復帰して、
独立をきちんと果たした。
その時に、もう、戦後ではなくなった。
渡部氏 ; だから、日本の内閣は、
中国にも、韓国にも、ペコペコしなかった。
それが、 中曽根内閣から、
一変したんです。
そのときの外務省の知恵袋が、
小和田恆さんでした。
小和田さんが、
「 日本の外交は、
東京裁判を背負っている、
ハンディキャップ外交である 」、
と、 勝手に、 答弁してしまった。
国賊 、 と言ってもいいでしょう。
小和田さんは、 非常な秀才ですから、
敗戦利得者の、
東大の法学部教授の言うことを、
全部を、 そのまま、
暗記していたらしい ( 笑 ) 。
@ 共産中国という“化け物” ;
石氏 ; 日中戦争のきっかけとされる、
のが、 盧溝橋事件ですが、
これによって、 中国と日本は、
やむなく、 全面戦争に至り、
歴史は、 取り返しのつかない、
方向に進みました。
盧溝橋事件がなければ、
中国共産党も、蔣介石に全滅させられて、
今日のような、 共産主義中国、という、
化け物も、生まれなかったでしょう。
すべて、あの瞬間、 昭和12年
( 1937年 )、 7月7日の、
盧溝橋での発砲事件から、
日本にとっても、 中国の人民にとっても、
不幸の歴史が始まった。
渡部氏 ; 盧溝橋事件も、 今では、
国民政府軍に入り込んでいた、
共産兵が発砲して、 意図的に、
武力衝突を引き起こした、 という説が、
ほぼ、確立している、 と思います。
もともと、 戦争をする気は、
なかったのだから、どうも、
おかしいなぁ、と、
日本軍も、 国民政府軍も、
思っていたでしょう。
石氏 ; だから、本当に、
奇妙な戦争だったと思うんですよ。
渡部氏 ; 盧溝橋事件は、 一応は、
現地協定を結んで収まったんです。
ところが、そのおよそ、3週間後に、
先述の、 「 通州 事件 」、 が起こって、
シナに対する日本国民の怒りが爆発した。
それでも、 シナ政府が謝罪したために、
まだ、 戦火は開かれなかった。
だから、本当に、
シナ事変がはじまったのは、
8月13日の、 中国側の、
上海攻撃 ( 第二次 上海事変 )、
からです。
ただ、それも、
蔣介石が望んだことではなく、
京滬警備 ( 南京・上海防衛隊 )、
司令官の、 張治中、 という、
共産党側とみられる、
将軍が、仕掛けたことだった。
@ 執拗な挑発 ;
石氏 ; 蔣介石は、
〈 中国人にとって、 本当の脅威は、
日本ではなくて、 中国共産党 〉 、
であることが、 よくわかっていた。
だから、 日本と戦う気はなく、
中国共産党への殲滅に、
専念しようとしていました。
にもかかわらず、
日中は、 全面戦争に突入した。
そのA級戦犯は、
国民革命軍第二十九軍を率いていた、
宋哲元です。
盧溝橋の周辺に駐屯していた中国軍は、
国民党軍ではなく、二十九軍なんです。
宋哲元の二十九軍は、 事あるごとに、
日本軍とトラブルを引き起こしていた。
大体で、二十九軍は、
共産党員だらけでした。
だから、どう考えても、
盧溝橋事件は、
二十九軍の共産党員が引き起こした、
としか、思えない。
蔣介石も、二十九軍に対して、
日本にちょっかいを出すな、
と、 しきりに言っていた。
にもかかわらず、
日本が、 盧溝橋事件の現地での解決、
不拡大の方針を決めると、
二十九軍は、 その翌々日の、
7月13日に、 日本軍の、
トラックを爆破して、
『 大紅門 事件 』、 を起こし、
25日に、
『 廊坊 事件 』、
26日に、
『 広安門 事件 』 、というように、
次々に、 日本軍を攻撃した。
“ じっと我慢”の動かない、
日本軍を、なんとしても、
全面戦争に追い込もうとした 。
そして、ついに、 通州、の、
中国保安隊
( 冀東 防共 自治 政府軍 )、 による、
日本人への虐殺事件、いわゆる、
『 通州 事件 』、 が起こる。
渡部氏 ; そういう挑発は、
ソ連の指示によるものでしょう。
日本軍が、シナ大陸で戦争をしていれば、
それだけ、 ソ連軍も楽になる。
それを見破ったのが、 石原莞爾氏です。
彼は、
ナポレオン戦争への専門家なんですが、
当時に、 彼が書いた、
パンフレットを読むと、
「 シナ事変が起こるとすれば、
それは、 ナポレオンにおける、
スペインとの戦争と同じである。
ナポレオンにとって、 本当の敵は、
陸では、 ロシアであり、
海では、 イギリスであった、
にもかかわらず、
スペイン 、 などにかまっていたから、
泥沼に引き込まれてしまった。
同じように、日本の本当の敵は、
ソ連なのだから、
シナ事変、 などに、
巻き込まれてはいけない 」 、
と、 書いてある。
石氏 ; 冷静に見ていた、
石原さんのような人が、
発言力を失ったのは、日本の不幸ですね。
続きは、 ブログ ;
『 夜桜や 夢に紛れて 降る、寝酒 』 、
で❗。