☆ 「 船員らは、
海賊が報復して来る、 との噂に、
おびえている 」。 :
平安時代の半ばの、この頃は、 陸では、盗賊が横行し、 海には、海賊らが出没していた。 :
あの、海賊将軍、と呼ばれた、 藤原純友 スミトモ 、が反乱を起こすのが、 : 草、食う、 939年な、 天慶2年 、 だから、 もう、頻繁に、海賊行為らがなされていた事が、想像できる。 出港を、 夕方にしたのも、 「海賊らは、昼間に出る」、との情報をもとに、 夜の航海を選んだ、と、観られている。 :
海賊への取り締まりをするのも、 地方へ遣 ツカ わされた、 国司の役目で、 純友だって、元は、国司だ。 この船長の、「報復」、という言葉は、 「船員らは、 国司の貫之様が乗っているから、仕返しに襲われるかも知れない、と、ビビッている」って話で、 この頃は、 海賊らからの、可損 ≒ リスク 、がなくなり、 安心できるのは、 淡路島を過ぎた辺りからだったそうだ。 :
優雅には、程遠い緊張の連続の船旅だった様だが、 その海賊の話しらと共に、 土佐日記に、度々、登場するのが、 亡き娘さんの話らだ。 愛しい娘が死にさえしていなければ、 発展途上国へ派遣された社員が、 本社に戻れる喜びいっぱいの旅の筈なのだが、 何かを見ては、愛娘を思い出し、 何かを聞いては、娘へ言葉をかける・・。
:
♪寄する波 うちも寄せなむ 我が恋ふる 人忘れ貝
下りて拾わん♪
:
「波よ、 どうか、 恋しい人を忘れさせる、という、忘れ貝を、浜に打ちあげてくれ…、 そうしたら、 船を下りて、 その貝を拾いに行くから…」 :
:
船が、大阪湾に入り、 今の、住吉神社の西の辺りの、 住之江が、近づこうという頃になっても・・、 ♪住之江に 船さし寄せよ 忘れ草 験 シルシ ありやと 摘みて行くべく♪ :
「住之江の岸に、船を寄せよ、 そうしたら、 何も彼も、忘れられる、忘れ草が、 本当に効き目があるか、どうか、 摘んでみるから」
無事、自宅に戻った、貫之氏・・、 : やっと、ここで落ち着くかと思いきや、 赴任中に、家がほったらかしになってた事で、 庭には、雑草が生えて、ヒドイ状態・・。 その中に、 出発した時には、 まだ無かった小松が、成長して在る様を観て、 また、悲しみがこみ上げてくる。 :
♪生まれしも 帰らぬものを 我が宿に 小松のあるを 見るが悲しき♪ : :
「この家で生まれた、アノ子が、帰って来られなかったのに、 そこに、松が在る様を見る事は、悲しい事だ」 :
:
最後に・・ :
「わすれがたく、 くちをしきこと、 おほかれど、 えつくさず。 とまれ、 かくまれ、 疾 ト く、 やりてむ」、 と、 締めくくる・・
:
『忘れようがなく、 残念でたまらない事が、多くあるが、 どうやったって、
自分の気持ちを書き尽くす事はできないのだから、 とりあえず、 こんな日記は、 「疾くやりてむ \xAD\xF0 早く、引き裂いてしまおう」 』。
:
紀貫之氏にとって、 この土佐日記は、 わあーっと叫んで、喚き続けても虚しいだけで、 決して、 癒やされる事が在り得ようが無い、愛娘に死なれた、悲しみを、少しでも紛らす為に、 何事かへかこつけた言葉にして、 吐き出してしまわずには居られなかった、 余りにツラ過ぎる思いを、愛娘の死とは、直には、関係の無い出来事らにかこつけて、つづった、 悲しい思い出の記録だった・・。 :
愛娘が、生きていて、日記を書いたら、 どうなるかなあ、と、 父は、書いてみたが、悲しみは、紛れても、晴れる訳も、無く、 彼が観れば、 悲しみを新たにするばかりの、土佐日記は、 千年を経た今も、授業で習われる。 原本は残ってない、ので、本当に、捨てたのかも知れない。 貫之氏が、 土佐を出港する時には、
よく知らない人までが、餞別を持って、見送りに来てくれたらしい事から、 地元の人らには、 人気の国司だった様で、
その人となりを垣間見得る、 土佐日記は、 ご本人の思いは、別として、 後世に残ってくれて、よかった、と、思える。
@ 平安時代の貴族らは、和歌を詠む事が、平和にも繋がる、と、信じてたし、 しゃーない。 中世のヨーロッパの信仰みたいなもん :
@ 旦那の浮気を手伝う妻の心情なんか、解る訳がないやろ :
@ 子が波に流されたンゴ: 親不知 子は、この浦の 波枕 越路の磯の 泡と消え行く
:
@ 万物に宿る主らを相手に、自らの心に巣くう思いを吐き出して、 受け止めて貰って、 少しでも、 余りに辛過ぎる思い心地を紛らし、紛らししてみようとしている、物凄く痛々しい事を、まるで、他人事の様に、淡々とも、自分へ、述べて観せる事で、 自分を、心理的に、幽体離脱させる様にして、 只ひたすら、悲しみに悲しむ、自分から、 離れた自分を、 心理的にこしらえても観るが、 やはり、 悲しみが、紛れる時々を得られはしても、 晴れる事は無い、という事に、打ち拉 ヒシ がれて、 紀貫之氏は、 自分が観れば、 余りに辛いだけの、土佐日記を破り捨てたい、思いにも駆られた。 :
:
@ 清少納言の、伏見稲荷神社にお参りに行っただけでバテて、自分の情けなさに涙が出てきた、みたいな話は、ワロタ :
@ 普通に、鬼とか妖怪が出てくる姿勢がすきや : @ 平安時代: 蹴鞠をして、和歌を読むw 平成時代: フットサルして、 Facebook に上げるンゴwww
:
@ 昔の男: 「浮気したンゴ、嫁さん、カンカン..、 せや、一首を詠んだろ!」 、 昔の女: 「ええ歌や、許すンゴ」。 :
@ 万葉集の頃は、 和歌は、本当に、歌だったらしいな。 まだ、長歌だった時代やな : @ 歌というか、声に出して、読んでたんや。 国風暗黒時代を挟んで、古今和歌集から後は、 紙に書く事が、前提な事になる。 :
@ 防人歌は、文字を書けない、防人
サキモリ 、が歌ってた歌らを、 貴族の、 大伴家持氏がまとめたって、聞いた事があるで @ 彼は、自分ちの者らの反乱を止める歌を詠んでもいる。
@ 古文の登場人物: 「涙を流したら、川になって流れていったンゴ」 :
@ 当時は、写真とかが無かったし、
残したい物は、韻を踏ませて短くして、覚え易くするしか、無いものね :
@ 貴族: 「あの子、可愛いンゴ…、
よっしゃ! 夜、あの子の寝床に行く!」 、 貴族: 「ブサイクだったンゴ…」。 @ 女の親: 「芋づるをもろても、種は、もらうな」 :
@ 罠に嵌めて、病気の姉妹に夜這いをさせるように仕向けたなんてのもある
:
@ 藤原道長どん: 「息子がいないンゴ」。 皮の聖: 「出家をさせちゃったンゴ。 許してクレメンス」 。 道長殿: 「ええんやで。 寧ろ、ワイの方が、ムスッコの事を解ってなかったンゴ」 、 道長殿の妻 ≒ 源氏の出 :
「好い訳がねぇんだよ、この野郎!」。
:
@ 徒然草: こないだ、念願の石清水八幡宮行ってきたンゴ。 極楽寺とか高良神社とかをお参りしたが、すごかったわ 。 みんなが山の上の方まで行ってたが、 あれは、何やったんやろ? 気になるが、 神様に、お祈りしたし、まあ、ええわ ≒ 何事にも、 その方面の事に通じた、案内人を得て、 善い事を成す、度合を、更に深める様にすべきだね。 ≒ 吉田兼好どん :
:
@ 徒然草: (゜)( 「猫又が、山奥じゃないのに、ここでも出るかもしれんのかあ…、 夜道は、気を付けんと、喰われるかもしれんで」。
イッヌ: 「ご主人やんけ! 夜遅くに帰ってきて、お疲れやろ! 甘えたろ!」。 ( )( 「ヒェッ、猫又や! アカン、喰われる! 助けてクレメンス!」
:
@ こはいかに、 かかる、ようやは、ある ≒ 何や、これ! こんな事がある訳ないやろ…!?
:
@ 最古の物語: 〜やから、 一大事なんか! 分かったでえ! 場面を変える: 〜やから、 一大事なんか! 分かったでえ! これの繰り返しやで :
@ 歌は、悲しみの中から生まれた、ともいうしな : @ 辞世の歌って、あったしな。
@ 十返舎一九どんのは、爆笑する: :
辞世の句: この世をば どりゃ、おいとまに せん香の 煙とともに
灰、左様なら :
:
@ 今までは 人の事だと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつは、たまらん。 :
大田 南畝 ナンボ 氏: 1749年、の、4月19日の、 寛延2年3月3日
〜 1823年、の
、5月16日、の、 文政6年の4月6日 、は、 天明期を代表する、文人・狂歌師であり、 御家人。
:
@ 知る、知ろしめす、が、支配する事を意味した様に、 女の子の名を知る行為が、かなり、重要視されてたしな。
今でいう、電話番号のレベルなんかな
:
@ 調子に乗って、 鼎 カナエ を被ったら、 抜けなくなったンゴ…、 助けてクレメンス… 徒然草: :
これも、 仁和寺の法師、 童の、法師にならんとする名残とて ≒ 少年が、
法師になろうとする際の記念として 、
おのおの、あそぶ事ありけるに、 酔ひて、興に入る余り、
傍なる足鼎を取りて、 頭に被 カヅ きたれば、 詰るやうにするを、 鼻をおし平めて、 顔をさし入れて、 舞ひ出でたるに、 満座、興に入る事、限りなし。 :
しばし、 かなでて後、 抜かんとするに、 大方、抜かれず。 酒宴、ことさめて、 いかゞはせん、と、 惑ひけり。 :
とかくすれば ≒ あれこれしたら 、 頚の廻り欠けて、
血垂り、 たゞ、腫れに腫れみちて、 息もつまりければ、 打ち割らんとすれど、
たやすく割れず、
響きて、 堪へ難かりければ、 かなはで、 すべきやうなくて、 三足なる角の上に、帷子 カタビラ 、をうち掛けて、 手を
ひき、 杖をつかせて、 京なる医師のがり ≒ 京に居る医師のもとへ 、 率て行きける ≒ 連れ立って行ったのだが 、 道すがら、 人の怪しみ見る事、限りなし。 医師のもとにさし入りて、 向ひゐたりけん ≒ 向かっていたであろう 、ありさま、 さこそ、異様なりけめ。 物を言ふも、 くゞもり声に響きて、聞えず。
「かゝることは、 文にも見えず、 伝へたる教へもなし」、 と、言へば、 また、 仁和寺 ニンナジ へ帰りて、 親しき者、 老いたる母など、
枕上に寄りゐて、
泣き悲しめども、 聞くらんとも、 覚えず。 かゝるほどに、 ある者の言ふやう、 「たとひ、
耳鼻こそ切れ失すとも、 命ばかりは、 などか生きざらん。 たゞ、 力を立てて、引きに引き給へ」、 とて、 藁のしべを廻りにさし入れて、 かねを隔てて、 頚もちぎるばかり、 引きたるに、 耳鼻、 欠けうげながら、 抜けにけり。 :
からき命、まうけて、 久しく、 病みゐたりけり。 :
( 仁和寺のお坊さんが、 調子に乗って、 鼎 ≒ 足が3つの、鍋みたいな金属製の器 、を被ったら、抜けなくなった。 無理やり引っ張ったら、 耳と鼻が取れてしまった模様 ) :
:
@ 昔の人は、自分語りで、炎上しないから、楽やな : @ 匿名性が無かったから、 叩きたい奴も、 怖くて、 何も言えないんやで : @ 辞世の句と聞くと、 ナイトスクープの、 レイテ島からの手紙を思い出す
:
@ 「ヒマすぎて、寝る位しかする事ないンゴ、せや、一首、詠んだろ」 :
「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む」 :
:
@ 町人A: 「この祭の様は、浮世絵にまとめられるやろなぁ」、 町人B:
「ワイは、えんじ色でお願いしますやで〜」、 町人C:
「ワイは水色で!」 、 町人D: 「ワイは、絵師の好きな色で頼むやで〜」、 歌川広重殿: 「君らは、皆、藍色だぞ」 :
@ 俳句、も、和歌、も、 5・7・5、も、 57577も、 呪文だからな。
迫る蒙古軍に、 鎌倉幕府が、 朝廷へ、 「無理、無理、援軍、はよ!」 って、 書簡を送ったら、 「よっしゃ! まかしとき! 千首の和歌を作って、蒙古軍を退散させるでー」、で、 神風を起こした事に、でっち上げた話は、有名な話だ。 正確には、 575の中に、意味を二つ持たせると、 呪文 ≒ 名句 、になる。
@ 十二単だから、 数枚から12枚以上の服を着て、 日常を過ごしていたから、 女性も、意外と筋力があった、とか。
貴族も、馬に乗れたし、 弓を射るのが、ならいだから、 男性も、意外と、筋力があった、とか。 :
:
@ 和歌…、五七五・七七 。 Twitter…、 百40字以内 。 だいぶ緩くなったな、 縛りがきつい方が、あれこれ考えて、面白いかも :
:
@ 筋力なんて、
ある訳ねえだろ。
十二単っていったって、暑けりゃ、5枚位しか着ねえし。 十二単を着る様な姫さんらは、 部屋の外に出ないし、 部屋の中は、膝立ちで移動するんや。 立つ機会すら、ほとんどあらへん。 : @ 高貴な女性が、立って歩き回ること自体が、はしたないって見られる時代だしな :
@ 公家、公卿、
というと、雅 ミヤビ 、でおじゃる、とか言って、ヒョロいイメージだが、 血の気が多く、殴りあいのエピソードとか多くて、 歴史を知らん人は、驚くかもな。
:
@ 京都で、人力車のお兄さんが、 「藤原定家はんは、 現代のDJ」って言ってて、ワロタわ :
:
@ 清少納言の、 「経文の意味? 坊主の説教? んなもん、 顔の良さと声の良さが、優先だろ?
2枚目な坊主から、言われるのと、 ヨボい坊主から、同じ事を言われるなら、
イケメン坊主の方が、好い!」、 と、 言い切った感性が、好きだ。 正直すぎる。 :
@ 平兼盛どん: 「元嫁の産んだ娘は、どう見ても、前の婚姻で身籠った子、養育権は、こちらにある」。 赤染時用どん: 「今嫁が、私の屋敷で産んだのだから、この子は、赤染氏の娘だ」。 親権裁判って、昔から有ったんだな :
@ 赤染衛門 アカゾメ・エモン 女史: 平安時代の中期の、 天徳,応和年間の、 957〜964年、に生れ, 千41年の、長久2年以後に、没した、 と、推定される。 父の赤染時用 トキモチ 氏が、
右衛門尉であった事から、その呼び名が出た。 実父は、 母の前夫の平兼盛どん、 とも、言う。
赤染衛門嬢: 貞元元年 ≒ 976年 、頃に、 のちに、 学者・文人として、名を馳せる大江匡衡 マサヒラ 、どんの妻となり、 挙周 タカチカ 、どん、に、
江侍従を生む。 :
権 ゴン 中納言 ≒ 中納言に準ずる位 、の、 匡房どんは、 曾孫。 藤原道長氏の室の、源倫子女史 ≒ 源雅信どんの女。 上東門院の彰子女史の母 、に仕え、 養父の姓と官職 ≒ 衛門志 、から、 赤染衛門、の、徒名 アダナ で呼ばれた。
『紫式部日記』には、 「匡衡衛門」の名で、歌人としての評価が見える。
夫の親族 ≒ 一説に、姪 、であったらしい、
和泉式部 とは、何度か、歌を贈答し、
親しかった事を窺わせる。
千1年の、 長保3年と、 千9年、の、
寛弘6年の、 二度にわたり、
尾張守に任ぜられた、夫と共に、任国に下る。
千12年の長和元年に、 匡衡殿に先立たれ、
多くの哀傷歌を詠んだ。
千41年の、 長久2年、の、
「弘徽殿女御生子歌合」に出詠したのを、
最後の記録とし、 まもなく没したか、
とも、思われる。
後拾遺集では、
和泉式部と相模さんに次ぎ、
第三位の入集数。
21代の勅撰集らへの入集歌は、 97首。
『 栄花物語 』 、への、 正編の著者として、
有力視されついる。 :
:
紫式部日記:
『 丹波の守殿の正妻を、 中宮彰子様や、
藤原道長様の近辺では、
「 匡衡衛門 」、と、言います。
特に、家柄が良い訳ではないが、
実に、風格があり、
「 私は、歌人よ 」、という風に、
何かにつけて、歌を詠み散らかす事は、
しないが、 知っている限りでは、
ちょっとした、折節の歌でも、 それこそ、
こちらが恥じ入ってしまう様な詠みぶりです。
この方と比べると、 ともすれば、
出来そこないの歌を詠みだして、
言い様もなく、気取った振る舞いをして、
自分は凄いんだ、と思っている人は、
憎らしくもあり、 また一方では、
気の毒だ、とも思われる事です。 :
『 丹波の守の北の方をば、 宮、殿、の、
わたりには、匡衡衛門とぞ言ひ侍る。
ことに、やんごとなきほどならねど、
まことに、ゆゑゆゑしく、
歌詠みとて、よろづの事につけて、
詠み散らさねど、 聞こえたるかぎりは、
はかなき折節の事も、
それこそ、恥づかしき口つきに侍れ。
ややもせば、 腰、はなれぬばかり、
折れかかりたる歌を詠み出でて、
得も言はぬ
≒ 言いようも無い 、
よしばみごとしても、 われかしこ
( 我賢 ) 、 に、 思ひたる人、
にくくも、いとほしくも、
おぼえ侍るわざなり。 :
赤染衛門女史:
踏めば惜し、 踏までは、 ゆかむ、
方もなし 心づくしの山桜かな 。 :
( 千載83 ) :
:
【通釈】:
踏んでは、勿体ない。
踏まなければ、行きようもない。
心をすり減らせる、 山桜の散り花であるよ。 :
【語釈】: 心づくし、の、
は、 やきもきさせ、気疲れさせる、
といった意味。
古今集の、 心づくしの 秋は来にけり 、
以来、 和歌で愛用された語。 :
『 赤染衛門集 』、には、 次の様に載る:
また、いみじく散る所に、
庭のまもなくをかしく見えしに。 :
踏めば惜し 踏まずはゆかむ 方もなし
散りつむ庭の 花桜かな 。 :
:
【 主な派生歌 】:
踏めば惜し 踏までは人も とひがたみ
風吹きわけよ 花の白雪 :
( 西園寺 公経氏; [ 続後撰 ] )
:
つむも惜し つまであせなむ 色も憂し
芝生の菫 あかぬ夕露 ;
( 三条西 実隆氏 ) :
赤染衛門女史:
さみだれ空晴れて、 月あかく侍りけるに :
五月雨の 空だにすめる 月影に
涙の雨は はるるまもなし 。 :
( 新古 1491 ) : :
【通釈】:
五月雨の降り続いていた空に、
珍しく顔を出し、澄み渡る月――
その、 素晴らしい、 心ひかれる、
月の在り様に連なる光のもとでさえ、
私の涙の雨は、 晴れる間もない。 :
【補記】:
新古今集は、雑歌に入れるが、
『 赤染衛門集 』 、 では、
夫の死を悲しむ歌群の中にある。
この「涙」も、亡き夫を思ってのもの。
赤染衛門女史:
中関白少将に侍りける時、はらからなる人
≒ 兄弟姉妹な人 、に、
物言ひわたり侍りけり、 頼めて、
まうで来ざりける、 つとめて、
女に代りて、 よめる :
:
☆ やすらはで 寝なましものを さ夜更けて
かたぶくまでの 月を見しかな 。
:
( 後拾遺680 【通釈】:
共寝する、 通いの男性が、
来るかも知れないから、と、
迷ったりせずに、 さっさと寝てしまえば、
よかったものを。 夜が更けて、
月が、沈もうとするまで、 月を見て、
( 月と、一つに成り合っている様な、
思いをして ) 、 いましたよ。 :
@ 『 見る 』 、には、
肉体関係を持つ、 といった、
意味合いも、あり、
『 眺める 』 、 という場合の、
観る宛先と、 観る主、 との、
精神的な距離も、遠い表現では、なく、
『 見る 』 、 という表現を選んで、
述べているからには、 月と、
月を見る主とについて、
月を見る主の観念の成る場において、
深い仲の男女の関係性にも類する、
緊密な一体性が設定され、
月に見惚れてある、所もある、
とも、観得る、 この月を見る主が、
虚心を成し、あどけない感じでも、
月を見、
来るか、 来ないか、の、
定かでない男に対して、 特に、
気を張って、待つでもなく、
待たないでもなく、在る、
その自らの在り様を、自ら、
第三者を観る様に観て、
言葉らに映し出している。
何となく、月に見とれているだけではない、
が、 何となく、見とれてしまう月は、
在り、 恋しい男が、自分を選んで、
自分へ逢いに来ても、来なくても、
今夜の月が、好い、から、
そんなのどうでも好い、とも、
自然に思わせてくれる、 月を愛で、
愛欲の濁りの解けて、
透き通った感じの心持ちを、
自ら、思い味わい得て、
あっさりもし得ている、
その心の、 ほどけた、 澄みようが、
感じられもする、素晴らしい歌になってある。 :
【語釈】: ◇中関白の藤原道隆氏が、
少将であった期間は 、 974年、の、
天延2年から、 貞元元年
≒ 976年 。
◇はらからなる人:
赤染嬢の同母姉妹。 ◇やすらはで
≒ ( あなたが、来るかも知れないから、 と ) 、 ためらわずに。
( 衛門女史が ) 、 娘に代わって、 :
☆ 恨むとも 今は見えじ と思ふこそ
せめて辛さの あまりなりけれ 。
( 後拾遺 710 )
:
通釈】:
恨んでいると、今は見られたくないのです―― そう思うのは、 あなたの態度が、
ひどく、 情 ツレ なかった、
余りの事なのですよ。 :
:
【語釈】:
◇右大将道綱氏:
藤原兼家と、『 蜻蛉日記 』、への作者、
との間の子。
◇むすめ:
『 赤染衛門集 』、 によれば、
赤染衛門嬢の娘は、
道綱氏のもとに、仕えていたらしい。
同集の次第によれば、 相手の男は、
教通氏
≒ 道長氏の子 。
◇せめて辛さの:
この「つらさ」は、 恋人の態度の無情さ。 :
【補記】:
娘のもとへの通いを絶やしていた、
道綱氏のもとへ、娘に代って贈った歌。
道綱氏が、
「 なぜ、 恨み言を言わないのか 」、
と、訝 イブカ ったのに対し、
恨まないのは、表面だけの事で、
弱みを見せたくない、
女の心情を推し量ってほしい、と、訴えた。 :
☆ いかに寝て 見えしなるらむ うたたねの
夢より後は 物をこそ思へ 。
:
( 新古 1380 ) 通釈】:
どんな寝方をしたから、 あの人が、
夢に見えたのか。 転寝 ウタタネ 、の、
夢から覚めた後は、 物思いばかりしている。
:
補記】:
枕の置き方、 等により、夢見を制御できる、 との、 俗信があった。
『 赤染衛門集 』、 によれば、
親しくなり、歌の贈答などをしていた男に、
すげなく扱われ、 「 もの嘆かわしげ 」、
な、 思いで、 詠んだ歌。 :
☆ 神な月 ありあけの空の しぐるるを
また我ならぬ 人や見るらむ 。 :
( 詞花 324 )通釈】:
神無月、 有明の空に、 時雨が降る様を、
私でない人も又、 寝られずに、
見ているのだろうか。 :
:
赤染女史:
八月 ハツキ 、 の廿日ごろ、
月、 くまなかりける夜
≒ 欠けの無い月の夜 ≒ 満月の夜 、
むしのこゑ、 いとあはれなりければ、 :
☆ 有明の 月は、袂に なかれつつ
悲しきころの 虫の声かな 。
:
( 続 ショク 古今 ) 【通釈】:
有明の月の光は、涙で濡れた私の袂に、
流れ流れして、聞くにつけ、
切ない頃合いの、虫の声であることよ。 :
【語釈】: ◇なかれつつ:
泣かれつつ、に、 「( 月の光が、
涙で濡れた袂に映って ) 、 流れつつ 」 、 の意を掛ける。
:
清少納言:
清原元輔さんのお嬢さん。
『 赤染衛門集 』 、 には、
父の元輔氏の荒れた旧居に住む、
清少納言に触れた、歌があり、
晩年の暮らしぶりが窺われる。
没年も不明だが、 千20年の、
寛仁4年頃とする説や、
千27年の万寿4年頃とする説、等がある。 :
アッバース朝の解体期で、
唐から、五代十国に、宋の頃の、
平安時代の日本: 2014.10.27 :
淳仁天皇の父で、 天武天皇の子である、
舎人親王 トネリ・シンノウ 、 を、
先祖として、天皇家から別れた、
皇別氏族でもある、
中堅貴族の清原氏の一員で、
平安時代の中期の、 清少納言の兄である、
と共に、36歌仙の1人の、
肥後守の、清原元輔氏の子でもある、
清原致信 キヨハラのムネノブ 氏は、
9州は、 大宰府の第3等官の、
大宰少監などを務め、 和泉式部の夫の、
藤原保昌氏の郎党としても行動し、
殺されるに至った。 :
主君の保昌氏が、 大和の国内の利権を巡り、 保昌氏の甥でもある、 源頼親氏、
と、 競い合った際に、 大和の在地領主で、
源頼親氏の郎党でもあった、
当麻為頼氏を殺した事に関与した、
と、観られた為に、
1017年の、 長和6年の3月8日の夕刻に、 京の、 六角・富小路の邸宅で、
騎兵らと歩兵らの20余名に襲われて、
殺された❗ 、 と、
藤原道長氏の記した、 『 御堂関白記 』 、の、 同じ年の、3月11日の条にある。
致信氏を殺したのは、 今の奈良県辺りの、
大和国を本拠としていた、
軍事貴族、の、 源頼親
ミナモト・の・ヨリチカ 氏の手の者らで、
都の治安を担当した、 検非違使
ケビイシ 、 が、 取り調べた所では、
理由な事は、 清原致信氏が、
大和での権益をめぐり、
頼親氏の従者を殺したか、殺させた、
と、観られ、 事実か、否かは、
明らかではないが、
その殺人事件への犯人となった、
事への報復だった、
と、犯人側は、主張し、
源頼親氏からの指示な事を、
犯人らが実現した物、とも、判った。
殺された清原致信氏の妹の、 清少納言は、
966年頃?、 に生まれ、 1025年頃?、
に死んだ、 と、され、
『 春は、曙 』 、 で始まる、 枕草子、は、
今も、日本中の学校らで読まれる、
彼女の著した、古典だが、
約千年前に、 一条天皇の中宮の、
藤原定子 テイシ 妃に仕え、 父親の、
元輔氏が、 60歳に近い時に、
出来た子供だった。 :
続きは、 ブログ
『 夜桜や 夢に紛れて 降る、寝酒 』、
で。