☆   道義公方;   足利義教将軍❗ ;

  1441年の、 嘉吉の変の前後: 
  傭兵らから常備軍の都市国家ら  39 
  室町殿ら   2015/  8/26  2:11:20 ;

   根途記事➕論評群 http://www.worldtimes.co.jp/col/siten2/kp111018.html : : 
   @      神仏習合期の、寺社では、
   坊主と、神主は、兼ねられており、 
   彼らは、神へ、「   御神酒   オミキ   」、
  を差し上げる、必要があったのだよ : 

   @     室町幕府の、 第6代の征夷大将軍の、
   足利義教将軍の頃の、 1433年、の、
   永享5年は、 7月24日に、 洛中に 
  ≒     京都を含む行政区の域内へ      、 
  坂本の馬借  バシャク   、らが乱入してくる、
    という、 風聞があり、
 山名時煕   トキヒロ   氏へ、 幕府の奉行から、
  河原などに、 伏せ野伏  ノブセリ 、 
  ノブシ    、を置くように、
  という、 沙汰が発せられた。 

   それは、 夜中の事だったので、 
  山名氏の家臣らは、 遅々として集まらず、
  仕方がなく、先ず集まった、
   少数だけを派遣する、と、報告し、
   深夜  ミヨ  、の、  午前1時頃に、
  少勢を出動させた。 
   すると、 この山名勢が、 大原辻において、 
  馬借の集団の3百人ばかりに出くわした。  

  対して、 山名勢は、 5,60人程であった。 しばらく、双方は、睨み合っていたが、
  
   山名方の者が、「   お前達は、何者か❗?、
  敵か味方か❗?     」、と尋ねると、 
  馬借の方から、 
 「   味方の訳がなかろう❗  」     
 ≒     何事に、味方にては、候 ソウロフ  べき      、   という、  返答と同時に、矢が放たれた。 

   そこで、 
  山名方からも、一斉に、矢達が放たれ、
   即座に、2,3人を射倒した。 
    矢戦の後で、 馬借の一団は、 
 山名方へ襲いかかってきたが、 山名方は、
   これを、 尽 コトゴト く、弓をもって、
  射払い、  馬借らは、 退散した。

   山名方には、一人の負傷者も、なかった、 
  という 
   ≒     『  満済准后   ジュゴウ   日記  』  。 :

  @       訓練し、より、  無駄な、
  動きらを成さずに、より、的確に、
  急所らへの攻撃を、体で覚え込んでもいる、
  無意識での、自動的な動作らで、
  連続的に成し得る、 武士らと、 
  素人の馬借らの一揆、 との戦闘力の差を、
  能   ヨ   く表し得てもある、 逸話。 : 
   @      馬借の癖に、 騎馬戦しないで、
   矢戦   ヤイクサ ? 。 
  負けるに決まってるわ❗  : 

   @     そりゃあ、馬借は、「  馬に乗せる  」、
  仕事で、    自分で、 「  馬に乗る  」、
   武士では、無いからでは。


     ☆      閑話休題 ;

    @     富山は、見所が多い。 
  福井:     東尋坊に、 恐竜博物館な、
  九頭竜湖や、 歴史好きらだけに有名な、
  丸岡城と一乗谷城 : 

   @      ベトナムの場合は、 五代十国の、
 「  十一国目  」、 として、台頭したまま、
  なしくずし的に、 中華世界から、
  自立していった経緯も影響してるやろな。      ベトナム史上で初めて、帝号を称した、
   丁先皇    ≒      丁部領       、
   ディン・ティエン・ホアン   、の廟が、
  ニンビン省のホアルーにあり、 
 「   越基を開き、 正統を始む   」 、
  と、書いてある。 : : 

   @     五代十国  ごだい・じっこく  時代  ;
    907年 - 960年       、は、 
  中国の、 李氏を頂く、唐王朝の滅亡から、 
  趙氏を頂く、北宋王朝の成立までの間に、 
 黄河流域を中心とした、華北を統治した、 
   5つの王朝ら    ≒     五代        、 と、
   華中に華南と、華北の一部を支配した、
  地方政権ら      ≒       十国        、
  とが興亡した時代だ。 : 
   @     その頃の日本: 
   897年:       醍醐天皇が即位。 
  901年:        昌泰の変。 
  右大臣の菅原道真氏が、
  大宰権帥  ダザイ・ゴンのソツ  、に左遷。 
  その後に、 元号が、 延喜に改元される → 
  延喜の治 。 
    熊似の、902年:      
  延喜   エンギ の荘園整理令 、が出る。 
  
   907年:      藤原時平らが、 延喜格 
  ≒     格  キャク      、は、
   法律の規定事     、   を撰上し、
   翌年に施行。 
 914年:      三善清行氏による、 
  意見封事  12箇条   、が提出される。 
   
  927年:    藤原忠平らが、
  延喜式を撰上。 : 
  √  五代十国のプラス・アルファとして、
  自立した、丁先皇以来、
   越南   ヴェトナム     、に、
 「  もう一つの正統  」 、 が始まった。

    次の、 11世紀     ≒ 
  千年代       、になると、 宋を撃退した、
  李常傑 リーヅォンキェット 、氏が、 
「   南国の山河に、 南帝あり、 
  截然として、分定すること、天書に有り、
   如何ぞ、逆虜来たりて侵犯す、
 汝ら、敗墟を看取せよ  」、と、喝破する。 

   ベトナムは、自国では、皇帝を称しつつ、   対外的には、  必ずしも、
  貫徹できていない。 
 ラオスに、チャンパーと、クメールを、
   朝貢国扱いし、
   中国は、  旧  モト  、 より、西の大国の、   シャム 
  ≒    アユタヤ朝        、については、 
  外交儀礼上も、  対等の国として、
  扱わざるを得なかった。 : 
  @      黄巣の乱、で、将軍だった、
  朱全忠は、 唐に下った後に、 
  節度使に任命されたが、 日本で、
  菅原道真氏を罠にはめて、
 九州へ左遷した、 藤原時平らが、  
  法律の、 延喜格   キャク    、を撰んで、  
  施行した年である、    紅名   クレナ   の、   
  907年に、 唐を滅ぼし、
   後梁を建国した。 
   907年の唐の滅亡から、 960年の、     趙氏の、宋による、シナの統一まで、 
  華北には、 後梁・後唐・後晋・後漢
 ・後周の、 5王朝が成立し、 これを、
   五代、 といい、 
   江南・華南には、   前蜀・後蜀・呉、
 ・南唐・呉越・荊南・楚・南漢・北漢の、
   十国が成立し、 この時代を、
   五代十国時代 、 という。 : 

   @      紀元前の、扶南国を開いたのは、
   柳葉、という、女王であった。 
  その南に、 激   ≒    行にんべん      、    
  国 、  という国があり、   混填、
  という、 男がいたが、 夢をみて、 
  天神   アチ  、に、 
 神弓  チユミ  、 を授かる。
    夢のお告げに従い、船に乗って、
  扶南に向かう。 柳葉女王は、
  部下を率いて、船を出し、
 混填の船を襲ったが、 混填が、
  神弓で、柳葉女王の船を射ると、 
  矢は、船の壁を貫通して、
  柳葉の侍従に中  アタ  ったので、 
  柳葉女王らは、混填に投降した。
   混填は、 扶南を引き継ぎ、  
  柳葉女王と結婚して、七人の子を生み、
   それぞれを、 邑    ≒    ムラ   、 ユウ 
  ≒     都市国家       、に派遣して、
  王に封じた。
   混填から後は、 混盤況・盤盤と続き、
   盤盤の大将だった、范蔓氏が、
  王に推挙されて、范氏に王権が移った。
   范蔓・范○・范長・范尋、と続く。 : 

    @     扶南は、 現地語では、 プノム 、   
 っていったらしいね。  中心とされるのが、   オケオ遺跡。 渾填伝説は、その頃 
  ≒      紀元前 に   、    南インドの東岸から、
   スヴァルナブーミ 
  ≒     黄金の地         、と言われた、 
  東南アジアへ、 盛んに、
 冒険な航海や、移民が行われた、
  事が、 背景にあり、
   インドから来た交易商人か、
 植民者らが、 現地の女首長と結婚して、 
 国を建てた事らを暗示している、
  と、観られている。

   @       タイのスワンナプーム国際空港は、
   スヴァルナブーミ    、 の、
   タイ語での、 読み。 
  ハノイの国立歴史博物館に行ったら、 
  扶南関係の展示が、 完全に、
  省略されていたが、何故だ。 
  見落とした可能性もあるが、 
  自国史扱いされてないのだろうか? 。

   @   イブン・バットゥータ氏の旅行記で、 
  南ベトナム  、 と思われる地域の、
  女王が登場する事が、気になる。 
  13〜14世紀のクメールやチャンパに、
  女王はいない、と思うんだが。 
   @      ホーチミン氏って、
 清廉潔白な指導者として、高評価だが、
   本国では、本当に、全く、
  批判がないのかな? : 
  
   @   一概に言えないかも知れないが、
   旧南ベトナムの人らは、嫌っている。
   頼んでないのに、勝手に、
  『  解放  』、 されたに等しいからだ。 : 
    しかも、 『  解放  』、 された結果にて、
   言論の自由も、民主主義も、
  私有財産も、 消滅した。 
   元から、南ベトナムと北ベトナムは、
   ベトナム戦争前から、仲が悪かった。 : 

   @     越僑って言葉もあるらしいね。 
  若き日のホーチミン氏も、越僑だったが、
   サイゴンの陥落した後には、 
  南の支配層員らの多くが、越僑化した。
   欧米のベトナム料理屋とかへ行くと、
  旧南の人が多くて、 南ベトナム料理を、
  基にした、メニューになりがちらしい。 : 

    @    ドイモイ     ≒     刷新      、
  政策が始まり、 宗教の自由が認められた、
  頃に、 どこかの田舎で、 道観を修復して、 伝統祭礼を復活する、というんで、
  その町の出の、在米越僑が、
 多額の寄付をして、記念式典に参加したが、 会場に入ると、正面に、
  ホーチミン氏の肖像画が上げられてる。
   主催者側は、当局に、
 いちゃもんをつけられない為の、
 お守りみたいな感覚で、
肖像画を掲示したらしいが、  越僑は、
  ホー・チミン氏の肖像画を見たとたんに、
  激怒して、帰国したそうだ。 : 
  @     ベトナムって、道教が盛んなの?。 
   カオダイ教の印象が強すぎる。 

  @    ハノイの町に、道観は、
 掃いて捨てる程もある。 
  カオダイ教の教会(?)は、全く、
  見なかった。 
   @    華僑が、一族で、越南戦争から逃れ、
  海へ出て、飢え、 儒教型の序列で、
  最も格の低い身内の少年を、
  殺して食べた❗ 、 事件があり、
   CBSニュースで、四半世紀前に、
  報道していた。

http://military38.com/archives/37981731.html      @       弱腰の日本とは、違って、
  羨ましいな : 

  @    伝統的に、ベトナム、と、中国とは、    潜在敵国同士だ。 

 
   @     アオザイの前には、 どんな、
  服をきてたの?。   漢服みたいな、
  物とは、 聞いてるが、 絵がないと、
  想堵が湧かない。 : 

  @     ベトナム中央高原における、
  ゴングの文化的空間。 
 中央高原の少数民族の動向も、面白い : 

   @    中央高原は、 歴代王朝も、 余り、
  本格的な統治をしてないから、 
 何かあると、震源地になり易い。
   西山党みたいに : 

  @    フランスで知り合った、  高齢の、
  女性の家に招かれた時に、 
「   ベトナムで、父が、 日本人の、
  友達にもらったの    」   、と、
  見せてくれた物が、カーキ色の、
  絨毯だった。 「  友達なんですか..?  」、  と、 聞いたら、  「     ..捕虜だったの、
  日本軍の   」、 「   〜があって、
  日本軍がいなくなったので、 記念に、
  父が担いで持って帰ってきたのが、
  本当    」   、と言ってて。 : 

   @     日本とフランスが戦ったのは、 
1945年の明号作戦じゃないの? 
   仏印進駐 
  ≒     フランス領のインドシナ地域、
  への、 進駐行為      、は、      一部に、
  小競り合いがあった、とは言っても、
  全体としては、友好的で、 
  「   フランス人の捕虜  」、 は、 
  発生しなかった。 : 

   @      ホー・チミン氏は、 
 『    日本人の統治により、
 5百万のベトナム人らが餓死した    』 、
 と、デタラメな事をほざいている。 

   ベトナムは、  北朝鮮や中国と同じ、
  一党独裁国家だ。 
  「  仏印  進駐  」 、  では、 日本は、 
  フランス軍と戦をしに行った訳じゃない。 

   同盟国のドイツを介して、 
  ヴィシー政権の、フランスに、
  納得させた上で、仏印に進駐した。 

   ヴィシー・フランス政府も、 
  日本軍の通行と駐屯は、認めたが、 
  統治権だけは、 ずっと、 
 ヴィシー政府が握り続けていた。
   この期間に、もし、ホー氏の言う様な、
  餓死者が発生したとすれば、  それは、
  完全に、  ヴィシー・フランス政府に、
  統治責任がある。

    ホーチミン氏の挙げている、
  数字のその物が、  共産主義者に特有の、
  誇大な嘘だ。     明号作戦で、
  フランス人らを排除した後も、 日本は、
  ベトナムを直接に統治などせず、 
  阮朝に、統治は任せていた。 

  従って、一度も、軍政を敷いていない、
  日本には、一切に、統治責任が、無い。 

   ベトナム共産党の正統性を主張する、
  為には、是が非でも、日本軍が、
  悪役じゃないと、ならない訳だ❗。 

   @   明号作戦の時にも、 フランス軍には、    ベトナム人の兵が結構と、いたみたいで、
   このフランス軍自体が、将校連中は、
  フランス人だが、後は、外人部隊と、
  ベトナム人兵士、という認識で、いい? :

    @     全部が全部じゃないとしてもね。 
  インドシナを支配していた、
  フランス植民地政府も、本国が、
  ナチス・ドイツに征服されたり、
  ヴィシー政権のフランスになったり、
  ドイツに征服されたり、
 連合軍の自由フランスになったり、
 本国の事情が全く判らない状態でした。

   当然に、 本国からの、軍や、
 軍需物資の輸送も、無かったでしょう。
   フランスは、第一次大戦で、
  多くの若者が亡くなり、人口不足だった、
  事もあり、  フランス外人部隊もあり、
   現地人部隊も、多く、
  存在していたのでしょう : 

     @    フランス人は、連合軍側だ、
  と、 思われがちだが、 戦中の日本では、 
  1945年3月の明号作戦までは、 
  フランスは、 友好国扱いでした。 

  ヴィシー・フランスの人扱いされていた。   当然に、  捕虜とか抑留とかの、
 憂き目に遭ったのも、末期の、
  3月からです。 
  粗略な扱いも受けませんでした。 
  軽井沢の別荘地に、
  逼塞を命じられた位です。 
   @      綺麗な布団だった。 まだ、
  新品の様だった。   彼女の、
 お父様が使っていた物だが、 
 「   扱いは、悪くないなあ…   」 、
 と思った。 言わなかったがw 。
  フランスが複雑で、それもあって、
  脱線しまくりでしたw : 

   @    伊藤正子さん著:   『    エスニシティ 
  「  創生  」、と、  国民国家ベトナム 
  中越国境地域タイー族・ヌン族の近代  』、   興味深い : 

 @   こないだ、ベトナム展へ行ってきたが、 実に良かった。     服飾や小物の造形に、
 文化的な豊かさを感じたよ。


   ☆   ガン細胞たちは、  ブドウ糖だけ、  を、 
  唯一の、主な、栄養分としてあり、              
    糖質を制限する事を含む、                              
       ビタミン・ケトン療法は、                              
     ガン細胞たちを兵糧攻めにする事でも、         
   ガン、の、あり得る度合を減らす事になる。  

      Cancer cells are only glucose,      
    only, as main, nutrients,                              
     including    limiting  carbohydrates,                         vitamin / ketone therapy                            
      can also be used to  starve cancer cells ,        
       It will reduce the possibility.     

     タンパク質たち、と、   ビタミンら、に、      
   ミネラルら、   を、     完全以上に、
 飲み食いなどして、    摂取し続ける、 事が、           一部の人々を除いた、                                        
   ほとんどの人々の健康性を成し続ける、  
  代謝ら、を、  
 完全以上に、 成し続ける事に、 必要であり、                              
    これら、を、 より、 欠いてしまう事は、    
    万病を引き起こす、 可能的な度合ら、を、  
    より、 余計に、 成す事を意味する。

     ☆      いずれにせよ、
     日本人たちは、     より早くに、
  日本人たちの足元の、  地下へ、   
 より、  どこからでも、 
 より、 速やかに、 落ちついて、
 歩み降りてゆき得る、  避難経路ら、と、
 より、 快適に住める、  避難所らとを、
 作り拡げてゆく、    
 公共事業らを成す事により、

    日本の、    財務省の役人ら、と、 
  与野党の、 主な政治家らとが、

 英米のカネ貸しらの主張する事らを、
  そのまま、自らもまた、 
オウム返しにして、主張し、
 実行もする事において、

    日本政府の財政における   、   緊縮   、  
  を、 繰り返し、 成す事を通して、

   彼らへの、 主  アルジ の立場にある、   
 日本の主権者としてある、日本人たちへ、 
   物価だけではなく、   
 その労働らへの賃金らの水準へも、 
 より、  押し下げる向きへ圧力をかける、
 要因らの系である、
 デフレ不況性   、を、  
 押し付け続けて来てある、

  その、 デフレ不況性 、を、 
 解消し去ってゆく、 と共に、
  日本人たちの防衛性の度合いを、
  飛躍的にも高めてゆくべき、  
 ぎりぎりの状況にも、 ある 。

    地上を襲い、  地上をおおい得る、
  あり得る、 災害らへ対して、 

   地上に、  避難所らや、 
 避難経路らを設定して、
  日本の主権者たちを、 
 それらへ誘導する事は、

   人食い虎どもの住む、   密林へ、 
 わざわざ、 人々を誘導する事に類する、
  行為であり、

   日本の主権者としてある、  
 日本人たちの一般    、へ対して、  
 個々の日本国民においても、   
 執事なり、  召し使いなりの立場にある、 
 公務員などの、 者らにおいても、 
  成す事が、   許されない  、 
   行為なり、 態度なり、 であり、

   日本人たちの一般の、  あり得る、
  福利ら、を、  より、 能くも、 
  最大限にも、 成す事を、 約束して、
    日本の社会に、  存在し、  存続する事を、
   日本国民たちの一般から、  許されてある、
  筋合いにある者としての、   義務 、 に、 
 違反性を成す、  行為であり、 

   それが、   作為型では、 無く 、
  無知性と痴愚性とにもよる、  
 不作為型の、  行為なり、 態度なり、
 であっても、 
  それへの責めを負うべき、 筋合いを、 
 その主らの側に、  成すものである事に、 
  変わりは、  無い。