- ・・中略)、行李の中から筆と紙をとりだした。 私が士人(武士階級)だと言ったことで、多少は、 漢文がわかるものと知って、筆談を試みようとした為だ。 互いに、姓と字を交換し、初対面の礼も終わり、 彼らが説き始めた事には、 「 あなた様は隣国の士人であられます。思いますに、きっと、史籍 ( 歴史書 ) 、にも多く接しておられるでしょう。 よく存じないので教えて頂きたいが、あなた方の国には、壬辰 ( 1592年 ) 、 の事で、私どもの国を敵視しておられる人が、 多いのではないでしょうか 」 、 と。 壬辰の事とは、 太閤征韓の役 ( 文禄の役 ) 、 をいう。 壬辰の役では、わが国が大勝、かの国は、大敗した。 大勝した国の人が、大敗した国の人を敵視する理由は、ないし、私たち日本人は、この勝利を空前の大快事としている。 という訳で、この質問は、私の予想外にあるものだった。 彼らは、 もしや、わが軍を破った、と、思っているのではないか。 ・・中略); ここで、私は言った。 「 隣国の関係というものは、和睦することもあれば、戦うこともあるのです。 どうして、壬辰のことだけをもって、 私どもの国を敵視する必要がありましょうか。 あなた方の国が、 この事をあげて、 私どもの国を恨むというのでしたら、 私どもの国も、 同じように、あなた方の国を恨むものがある、という事でしょう。 例えば、元の軍が来寇した時には、 あなた方の国が、これを導いた。 また、あなた方の国は、かつて、 対馬の住民を鏖屠 ( おうと = みなごろし ) 、 した。
彼らの話をよく聞けば、案外な慷概家 ( 不正に対して、義憤にかられる人 ) 、 であった。 ・・中略); 惜しむべきは、 文字 ( 学識 ) 、があるのに比べて、時勢に通じず、事情に疎いことだろう。 とはいえ、 彼らは、韓人の中では、傑出した人物である。
『朝鮮雑記ー日本人が見た1894年の李氏朝鮮』/「東学党の首魁と逢う」より
事実と客観性を重んじつつ、 相手のことも理解しようと努める日本人、 自説に固執し、詭弁に逃げる朝鮮人。両者の思考パターンが、百年前と今とで、全く変わらない事に、驚くばかりです。
≒ スペインの艦隊が、 よれる港らが、 南洋にも開かれ、 日本へも侵略の先兵でもある宣教師らが、 入り込んで、 日本人達を鎖につないで、 奴隷として売るべく、 外国らへ連れ去る事件らも成していた事態らへ対して、 豊臣政権は、 『 人を鎖につなぐ、 等という事は、 日本では、 考えられない、 おぞましい行為であり、 奴隷として、外国へ連れ去る行為も許し得ない、 とする 』 、 豊臣政権側の意思を触れ書きにも示した上で、 差し止め、 野蛮な、 西の一神教徒らによる、 日本への更なる侵略を差し止める事も、思案視野に入れて、 日本人達へ、古くから、 強姦と虐殺に拉致とから成る、侵略行為らを一方的に仕掛けて来ていた、 儒教型の、反社会的な部族倫理員である、 シナ朝鮮人らへ対して、 倫理的にも妥当な報復行為を成し宛てて、 それらにもよる、 可能的な侵略行為らを差し止める事にも、 成功し得た。 アメリカ軍らにより、 日本人たちの武装が解かれ、 アメリカの幹部らの操り人形だった、 イ・スンマンが、 アメリカ人らにより、 韓国の頭に据えられてから、 その部下の朝鮮人らが、 竹島を侵略して、 違法に占拠すると共に、 その周辺で、 日本人の漁師たちを虐殺し、拉致して、 人質とも成して、 日本国内で、 アメリカ軍の将兵らから、 武器や、生活物資らを得て、 日本人たちへの、強姦と虐殺を繰り返して、 刑務所らへ入れられていた、 朝鮮人らを釈放して、 アメリカ人らとの連携性らについても、 日本人たちへ、自慢して、べらべらと話す、 その口らを封じ得る様にする、 拠り所とし、 日本の政府機関らを牛耳れる、 岸アメリカ員らをして、 実際に、 凶悪な犯罪者の朝鮮人らを釈放させるに至るまでは、 豊臣政権による、 正当な報復行為らは、 日本人たちへの部族習性的な侵略行為らを抑止し得たのだ。
