☆    blog   東亜備忘録 ;

     西川さんは、  昭和8年(  1933年  )  、に、
  18歳で、 和歌山県の熊野林業学校を卒業し、
  校長の斡旋で、 朝鮮総督府に就職した。
      朝鮮に行って、まず驚いた事は、釜山
  ( プサン ) 、や、  京城  (  ケイジョウ、
現 ソウル  ) 、 などの、  町の周囲の山が、
禿山だったこと。     …朝鮮には、   オンドル、  という、  薪 (まき)を焚いて、 床を暖める設備が、どこの家にもあり、  大量の薪が必要。
      しかし、    朝鮮には、植林をする、 技術もなく、指導者もいなかったので、街に近い山々には、ほとんど、樹木がなくなっていた。
    西川さんの最初の仕事は、この禿山に植林をすることだった。     まず、土が流れないよう、  70~80センチの段々を作り、 木を植える。
   植林は、 土砂崩れや洪水への防止のために、
   急務であった。
    また、 海の近くに植林することで、 漁場に、
  栄養が行き渡る。   
   西川さんは、 日本の林業学校で、 
 「樹のない国は滅ぶ」、と教えられていた。

    朝鮮総督府は、  1911年からの30年間で、
   5億9千万本もの植林を行った。
  朝鮮の全人口の一人あたりに、 約25本、
  という、 膨大な数だ。

     昭和11年 ( 1936年 ) 、  に、  朝鮮総督府は、   地方官吏養成所を設け、西川さんは、
 その第1期生として、京城で、1年間を学んだ。    江原道からは、 5人が送られ、そのうちの2人は、朝鮮人だった。
  養成所の第1期から、 朝鮮人も選ばれて、
  幹部候補生として育てられた。
  幹部ともなれば、 日本人への上司となることも、 ごく普通であった。
  どこの郡でも、郡守は、ほとんどが、朝鮮人で、西川さんは、朝鮮人郡守の下で、 
 内務課長を務めた
  給与も、出世についても、日本人も朝鮮人も、
  全く、差別はなかった。
     が、   内地から来た日本人には、 
  外地手当が支給された。
http://news.livedoor.com/article/detail/13700505/      ・・朝鮮人に、日本名を名のらせる、
 創氏改名が強制された、   というのも、戦後の神話だ。     道庁の朝鮮人官吏の人でも、創氏改名をしない人は、  沢山がいた。
  私   ≒    西川氏     、  の周りでは、  半数以上、
  といった所でしょうか。
  「 創氏改名しろ 」 、  と言う、 命令があったのなら、  朝鮮人の官吏たちは、真っ先に、改名しなければならなかったでしょう。
それが、名前を変えなかったという事は、創氏
改名は、自由だった、 ということです。
   ・・むしろ、 朝鮮人が日本名を欲しがった、  と言う話も聞いた位だった。
「   あの当時は、  同じ日本人なのだから、
 したかったら、したら、 という感じでした。
  無理に、しろ、という事ではありません  」 、
 と、 西川さんは回想する。
  「  氏の創設は自由 強制と誤解するな  」 、
   という、  総督からの注意が、
  新聞記事でも残っている。
   もし、創氏改名が出来なければ、
  差別になります。   日本人と同じ、と、言っておきながら、 朝鮮人が、 日本名に変えることができないとなると、これは、 一つの矛盾となります。         朝鮮人は、   日本名を名乗る権利があったのです。