「 1972年の秋までには、 東京の、 「 LINE PR 」( 内部諜報組織 ) 、 の駐在員は、 31人のエージェントを抱え、 24件の秘密保持契約を締結していた。 特に、 日本人には、 世界で、最も熱心に新聞を読む国民性があり、KGBが、偽の統計情報等を新聞に流すことにより、中央部は、ソビエトの政治的リーダーシップに対する印象を植え付けようとした 」、 とあり、 日本の主要なメディアらに、 数十人の工作員を抱えていた事が、記されている。
工作員となった新聞社員のミッションは、 『 日本国民のソ連に対する国民意識を肯定化しよう 』 、 とするものであった。
例えば、 日本の漁船が拿捕され、人質が解放される時には、 それが、 明白に、不当な拿捕であったのにもかかわらず、 朝日新聞は、 「 ソ連は、 本日、ソビエト領海違反の疑いで拘束された日本人漁師 49人 全員を解放する、と発表した 」 、 と、 肯定的な報道をさせた、とされている。 朝日新聞だけでなく、 保守系と目される産経新聞にも、 その工作は及んでいた。
「 最も重要であったのは、 保守系の日刊紙、産経新聞の編集局次長で顧問であった、 山根卓二氏 ( 暗号名 「 KANT )、だ。 レフチェンコ氏によると、 山根氏は、 反ソビエトや、 反中国の、 日本のナショナリズムに対して、親ソビエト思想を隠しながら、東京の駐在員らへ、強い影響を与えるエージェントであった 」 。
KGB側が、 日本の大手メディアに接触したのには、 日本内の世論工作だけでなく、メディア関係者だけが持つ、コネを使って、 一般に公開されない政府情報を入手できる、 ということも、大きかった。 こういったメディア業界が持つ特権を、 KGBは、巧みに利用した。
マスメディア内の工作員らは、 「 国民の知る権利 」 、 を利用して、政府行政機関を追求し、オフレコ等で、極秘情報らを入手し、 それを、スパイに極秘に渡すことで、報酬を得る、 という手段を用いた。