■小学生2人と50歳代2人が受賞
・・東北の会田安明氏は、 藤田貞資氏の門に入ろうとしたが、 自身が掲げた算額を藤田氏から批判されたのをきっかけに言い争いを起こして対立し、ついに、独自の一派な『最上流』 ( その郷土な、 山形の最上川にちなむ。 音読みで、 サイジョウリュウ。 主に、東北地方で栄えた ) 、 を立ち上げ、関流に対抗した。
若い頃の会田氏は、 関流の算法や点竄術を知らずして、独自に、 天生法、という、点竄術と同等の術を発明していた。 また、 生涯で、二百冊もの伝書 ( 流派用の教科書 ) や論文を成しており、その遺稿には、見るべきものが、少なくない。
和田寧氏は、 安島氏の積分思想を、 円にとどまらず、角形や立体など様々な図形へと多岐におよばせて、豁術(積分法)を創出し、また、この術のための便利として円理表 ( 積分の公式集 ) 、 を作成した。ここにおいて、 和田氏は、 円理に第三の革命をもたらした。
極数術( 極大極小論 ) 、 の研究では、 関孝和氏の創出以来、あかされていなかった適尽法の理論を解き明かして、従来の方法を簡便にし、さらに、その応用も、より複雑で、幅広いものへと拡げたのであった ( これは、今でいえば、 微分法による、 導関数の導出に等しい )。
また、新奇な問題として、円や角などの図形が、他の図形の上で、ころがったときの軌跡について論じはじめ、これを皮切りに、以後は、 この問題は、盛んに行なわれた。 和田氏の名は、たちまち、算家たちの間に広まり、 既に、数学で名を挙げているはずの有力者たちが、 その業を授かるために、 入門しにくるほどであった。
江戸後期になると、 諸地方から、商家や農家などからも数学に達した者が多くあらわれて、 高くない身分や遠い地方の人でも、高度な数学をたしなむ者が増えた。 萩原信芳氏や剣持章行氏などが、それである。 この要因のひとつとして、遊歴算家がある。 日本の各地を歩きまわり、行く先々で、数学の教授を行った数学者であり、主に、山口和氏や剣持章行氏がいる。 また通信教育もよく行われていて、これらは、 地方に数学をひろめることに、大きな功があった。
☆ 日本数学協会 ;
