日本の排他的経済水域が拡大、西之島また面積増 2018年10月5日 21時00分
噴火して溶岩が海に流れ込む西之島(昨年5月、海上保安庁提供)
海上保安庁は、 5日に、 小笠原諸島の西之島 ( 東京都 )、 について、 航空機による測量の結果にて、
前回の、 2016年の10~11月の測量よりも、 島の面積が、 約 0・3 平方キロを拡大したと発表した。
これに伴い、領海が、 約4平方キロ、
排他的経済水域 ( EEZ ) 、 が、
約 46 平方キロ 、 を拡大する見込み。
同庁によると、 西之島は、13年11月の噴火で出現して以降に、 断続的に、噴火を繰り返して、面積を広げ続けている。
現在の島の面積は、 3平方キロほど、と、みられる。
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@ 1317年でもある、文保元年、の、 9月3日に、
第92代の、 伏見帝が、
53歳で崩御された。
第89代の、 後深草 ゴフカコウザ 帝の第1皇子か、 第2皇子として生まれた、 伏見帝は、
第91代の、 陛下のいとこの、 後宇多帝の時代に、 その皇太子にされ、 その退位を受けて、
匹夫野卑 ヒップヤヒ、な、 1281年、 に、 元帝国軍らを、 鎌倉幕府の御家人らが撃退した、 弘安の役 エキ 、の、 6年後な、 1287年でもある、 弘安十年に、 23歳で即位した。 :
この伏見帝が、持明院殿に住んでいたので、 この伏見帝の系統を、 持明院統 、 という。 :
伏見帝は、 早速に、 即位から1年後に、 陛下への祖父の後嵯峨帝が遺言した、その意思の規定性に違反して、 自分の子の、 胤仁 タネヒト 親王 ≒ 後の後伏見帝 、を、 皇太子に立てる。
陛下への父の、後深草帝は、 腹違い兄の、宗尊親王を除ける形で、 即位しているので、 長幼の順に戻すなら、 宗尊親王の子孫を即位させるべき、とも、考えられるので、
どの系統の子孫員が、 帝で在り続けるべきかについて、 後嵯峨帝の意思を無にするならば、 同じ事については、 自らの意思も、 後の帝に無にされるべき筋合いを、自ら成した事にも成った。 :
即位から、 3年後の、 1290年 、
でもある、 正応3年に、 伏見帝は、
とんでもない事件に巻き込まれる。
甲斐の、小笠原氏の一族員である、
浅原為頼 タメヨリ 、らによる、
「 陛下への暗殺未遂事件 」 、 が起こされたのだ。
為頼の率いる数人の武者らが、宮中に乱入して、 伏見帝に襲いかかり、
陛下も、皇太子も、女官たちが助けて、 難を逃れ、 暗殺に失敗した為頼らは、
夜の御殿で自害した。
実行犯の全員が死んだ為に、その動機が、判らず、 事件の直後は、 それより前の、1285年、でもある、弘安8年に、 鎌倉幕府の執権な、 北条氏に、領地を没収された事への恨みと思われていた?が、
後に、 三条実盛なる、公家の関与が発覚し、 亀山上皇が、裏で画策していたのでは?、との疑いが浮上した。
亀山院らが、 『 事件には、無関係 』、 とする誓紙を幕府に提し出し、
一件落着となったが、
お互いの確執性が強まった感がぬぐえない事件後の顛末で、 幕府方の差し金もあっての事件、 とも、考えられ得はする。