・・きっかけは、
大学院生の提案だった。
本庶研究室に在籍していた、
石田靖雅さん ( 57 )= 現・奈良先端科学技術大学院大准教授 、 が、 新たな研究テーマを、本庶さんに持ちかけた。
「細胞死に関わる遺伝子を探したい」
細胞死は、 「 アポトーシス 」 、 とも呼ばれ、 遺伝情報らに基づいて、
細胞が、 自ら死んでいく、
不思議な現象で、 生命科学の重要な分野らの一つだった。
石田さんは、 免疫細胞の一種である、 T細胞が自殺するときに働く、 遺伝子 、 を見つけようと、 毎晩に、 実験を繰り返した。
平成3年の9月に、 ある遺伝子を突き止め、 その塩基配列を調べて、驚いた。
「何だこいつは」
全く、新しい配列で、 正体は、 見当もつかず、 急いで、本庶さんに報告した。
この遺伝子が作る、 タンパク質を、
細胞死 ( プログラムド・セル・デス ) 、 との関連を期待して、
「 PD-1 」 、 と名付けた。
翌年に、 本庶さんらと共同で、 論文を発表。 だが、 細胞死とは、 無関係なことが、 約2年後に分かり、 その機能は、
謎として残った。
本庶さんは、
「 その構造から、 細胞内に、 シグナルを送る、 分子らしいことは、分かったが、 何をしているのか、
分からなかった 」 、 と、振り返る。
当初の狙いとは、 違う物質なので、
研究を打ち切って、 方向を転換する、
選択肢もあったが、
「 割と面白そうなので、 続けよう、
と思った 」 。
当時は、 これが、 薬になるとは、全く、
思っていなかった。
PD-1の正体を明らかにするため、
まず、 この物質を作る、 遺伝子 、 を、
欠損させた、 マウスを作製してみたが、 症状は、 何も出なかった。
「 大した役割は担っていない、遺伝子なのかもしれない。 だけど、 この遺伝子は、 マウスでも人間でも存在する。
重要なものは ( 進化の過程で ) 、
よく保存されているので、
何かあるんじゃないかと感じた 」 。
読みは的中した。
マウスの系統を変えて実験したら、
免疫反応が強まり、
人の自己免疫疾患によく似た、
症状が現れた。
この物質を持っていないと、
免疫が強まる、 ということから、
この物質が、 免疫を抑える、
ブレーキ役として働いている、
ことを突き止めた。
当時の医学界では、
人の免疫力を強めて、
がんを治療しようと、 色々な方法らが、 試されていたが、 どれも、 十分な効果が得られていなかった。
≒ 三石分子栄養学系による、 ガンらへの対処は、 健康性を回復する実例らを積み重ね得ていた。
「 病気に役立つ研究をしたい 」。
その思いから、 がんへの、 新たな治療薬を目指す実験を開始。
この遺伝子を欠損させた、 マウスに、
ガン細胞を移植してみると、
ブレーキが外れた事で、 免疫が強まり、 がんの増殖が遅れる、ことが分かった。
増殖の遅れは、 当初は、 普通のマウスと、わずかな差しかなかったが、
「 この差には、 意味がある。
効くんじゃないか 」 、 と直観した。
PD-1を抑える抗体を投与したら、
予想した通りに、 がんの増殖が抑えられることが、分かり、
「 治療薬になると確信した 」。
実用化を見越して、 特許を出願し、
14年に、 論文を発表した。
実用化には、厚い壁が立ちはだかった。
研究室と以前から交流があった、 小野薬品工業 ( 大阪 ) 、 に開発を持ちかけたが、 がん、への、 免疫療法は、 失敗続きだった時代。
同社は、 リスクの大きさに尻込みして、協力できないと返答してきた。
国内企業は、どこもやりたがらなかった。
だが、 本庶さんは諦めず、
米国のベンチャー企業に開発を打診。
すると、 人の抗体の技術を持つ、
別のベンチャーが、
小野薬品に共同開発を持ちかけ、
同社が方針を転換。
ようやく、治験が始まり、
人でも、効果が証明され、
26年に、 小野薬品から、
「 オプジーボ 」 、 の商品名で発売された。
PD-1 、への発見から、 実に、 20年が過ぎていた。
「 ネズミで効いても、 人で試したら、
駄目、 という例は、 いくらでもある。
でも、 僕は行けると思っていた。
僕は、 分子生物学の研究から始めて、
その後に、 免疫をやったので、
がんは、 素人。 だから、 先入観がなく、 真っすぐ行けた 」 。
本庶さんは、
「 いろいろな偶然があり、
非常に運が良かった 」 、 と、 控えめに振り返る。
だが、 生命現象に対する、 深い洞察、
科学者としての、ずば抜けたセンス、
患者の治療に生かしたい、 という、
強い思いがあったからこそ、
成功につながった。
「 研究の結果、 本当に、 人に役立つ薬ができた。
自分の人生として、意味があった。
非常に満足しています 」 、 と、
穏やかに語った。