☆     皇極天皇 4年  (  645年   )、
  三韓  (  新羅百済高句麗  ) 、 から、
  進貢  (  三国の調   ミツキ  ) 、 の使者が、
   来日した。
    三国の調の儀式は、  朝廷で行われ、
  大臣  オトド 、の、   蘇我入鹿も、 必ず、 出席する。       中大兄皇子と鎌足は、 これを好機として、 暗殺の実行を決める。
(    『大織冠伝』には、   三韓の使者らの来日は、  入鹿をおびき寄せる、 偽りであった、  と、 されている  ) 。

     皇極天皇 4年 6月12日                                 (   645年  7月10日   )   、

   三国の調の儀式が行われ、  皇極帝が、 大極殿に出御し、 古人大兄皇子が側に侍し、  入鹿も入朝した。       入鹿は、   日夜に剣を手放さないでいたが、   俳優   ワザオギ  (  道化  )  、  に、 言い含めて、  剣を外させていた。

    ☆     blog   どんぐりこ ;

海外「そういうことか!」;

 日本の歴史上で起こった政権交代の本当の理由に、海外が感動 ;

  
飛鳥時代    ≒       592年  ~   710年     、  蘇我氏の主流員らが終焉を迎えた、
 「  乙巳  イッシ  の変  」  、  を紹介した、
 ビデオが話題になっていました。

  中国に対抗するために行われた、
  「 大化の改新 」 、  へと繋がる、
  中臣鎌足   ナカトミのカマタリ  、   と、
  中大兄皇子   ナカノオオエのオウジ  、   
による、  政変、な、「 乙巳の変 」 、 で、   日本の未来を見据えた政治改革が、 いかに、 行われたかが、わかる、
興味深い内容になっています。

そんなビデオに、海外からは、多くの絶賛の声が寄せられていました。



・蘇我入鹿  イルカ  、と、   蘇我氏への打倒に向けて、  二人の男たちが暗躍した。   中臣鎌足と、中大兄皇子だ。

・中臣鎌足は、  王権内の権威者で、 山背大兄皇子を跡継ぎに推薦した。
・中臣氏は、 仏教伝来の際に、 蘇我氏と戦をした氏だった。
・彼は、  シナの兵法に関心があり、 朝鮮半島に迫る、唐王朝を警戒していた。

・鎌足は、  現在の皇極天皇の息子な、
中大兄皇子と計画を張り巡らせた。
・皇極天皇の式典で、最大の権力者だった蘇我入鹿を暗殺する計画だ。
・天皇の面前で行われる殺人行為は、   
 最も、 穢  ケガ   れた行いであるために、   蘇我入鹿は、 予期していなかった。
・蘇我入鹿は、   残忍だが、  狡猾だったために、  常に、 護衛員を従えていた。
 式典が、 唯一に、 彼が、 無防備になる瞬間だった。

・そう簡単には行かない。  蘇我入鹿の首を落としても、 蘇我氏の軍隊を抑えないといけない。
  ・だから、     鎌足は、   蘇我石川麻呂を取り込んだ。      蘇我馬子の孫だ。     おじの入鹿を嫌っていたし、  父親が、 舒明天皇を推薦して、 恥をかかされていた。
 ・鎌足が、  石川麻呂の娘と結婚することを意味していた。    幸福な結婚だから、 心配なく。

・中大兄皇子は、  4人の暗殺者らを選出した。
・鎌足は、  エンターテイナーに、 入鹿が剣を携帯しないよう説得させた。
・入鹿が、  皇極天皇の横に座り、   石川麻呂が、 式辞を読み上げ始めた。
・石川麻呂は、  護衛員らを買収して、   すべての門を閉じさせた。
・石川麻呂が、 暗殺への合図を出すが、  誰も動かない。    鎌足が小声で催促しても、 暗殺者は、 震えていた。
・石川麻呂の声が震えだす。  なぜ、震えているのかと、 誰かが声を上げ、    天皇陛下の御前で緊張しているのだと応える。

   ・失敗を恐れた中大兄皇子が剣を抜き、入鹿の肩を斬りつける。
・中大兄皇子は、  入鹿が、 王権への乗っ取りを企てたのだと説明すると、皇極天皇は、見てみぬふりをした。
・そして、  50年に及ぶ、 蘇我氏の支配は、終焉した。

・後処理は、 これ以上にないくらいに、
 スムーズに行った。
・蘇我の軍隊は、 統制を失い、 入鹿の父な、 蝦夷   エミシ  、は、  秘密を守るために、  自分の家に火を放った。
・皇極帝は、  穢れた行為によって退き、 鎌足の進言で、  兄弟の孝徳天皇に地位を譲った。
・中大兄皇子は、 摂政になって、 国の政    マツリゴト  、  を行った。
・石川麻呂も、王権内で高い地位を得た。
・鎌足は、  王権内で、 主要な役割を担い続けて、 姓を藤原に変えた。  有名な藤原氏の始まりだ。

・鎌足が、 中大兄皇子と手を組んだのは、 彼が、 力強い天皇になれると信じていたからだ。
・唐王朝を警戒していた鎌足は、  強力なリーダーを立て、 中央集権化することが、 日本にとって一番だと考えた。
・その後の、3百年間を、今度は、藤原氏が、  蘇我氏と同じことをやるのは、 皮肉だが。
以下、反応コメント

海外の名無しさん
 俺の日本に関する研究にめっちゃ役に立つ。
この時代の概要を上手くまとめた、 為になる素晴らしいビデオだ。


海外の名無しさん
入鹿は、何も間違ったことはしてないよ。

海外の名無しさん

鎌足が、藤原氏の創始者だと分かった瞬間、全身に鳥肌が立ったよ。
藤原氏の終焉や、源平合戦まで行くのが楽しみだな。

海外の名無しさん

藤原氏は、Shogun 2: Rise of the Samurai
( ゲーム ) 、で、 一番に好きな氏だよ。

海外の名無しさん

 これ最高!。     蘇我氏には、詳しくなかったけど、 平安時代の本を読んでたら、 藤原氏が、いっぱい出てきたよ。
真言宗の開祖、空海って映画も見たしね。
だから、 これは、 無くしたパズルのピースを見つけたみたいだった。

海外の名無しさん

無知で、申し訳ない。
日本が唐を恐れたのは白村江の戦いの直後じゃないの?
640年代の乙巳の変じゃなくて。白村江の戦いは660年代だよ。

海外の名無しさん(主)

↑唐の侵攻は新羅と同盟する遥かに前だよ。
そもそも白村江の戦いに日本が参戦した理由だし。
第二の百済になることを恐れたんだよ。

海外の名無しさん
↑そうなんだ。
この鎌足っちは、 白村江の戦いで、 指揮官として参加した藤原清河の先祖ってことになるの?

海外の名無しさん(主)
↑そうだよ。
海外の名無しさん

中国人に対する恐れって正当なものなの?
明らかに、 唐が、 海を渡って、日本を侵略することは、できないし。

海外の名無しさん(主)
↑本当に恐れてたと思うよ。
のちの唐との戦いで大敗してることを考えるとね。

海外の名無しさん
 中大兄皇子が、  権力を奪おうとするマッドマンを退治したときは、  政権交代が、 円滑に行われたんだね。
ブルータスがやったときは、 ローマで、 内戦が起こったのに。

海外の名無しさん

マロさん上手く切り抜けたね。
あと、この天皇は”やってられっか”ってのをやった世界で最初の人物かも。

海外の名無しさん

鎌足がんばれ!
なんでぇ!?300年も?

海外の名無しさん

日本の名前って真ん中にノが入ることが多いね。    英語で言う、 of 、 みたいなもん?

海外の名無しさん
 この話は、どんどん面白くなっていくね。
だから大学時代に歴史を専攻してたんだよ。
本当に物語みたいだから。

海外の名無しさん
これ最高だね。もっと作って。
ぜったいに辞めないでね。

海外の名無しさん
日本語はわかるの?
秦氏って知ってる?

海外の名無しさん(主)
↑日本語はわからない。
秦氏を調べてみたけど、秦からの移民なの?

海外の名無しさん
↑百済から来たのか、新羅から来たのか、
 正確には、 分かってないけど、 ハザール人  (  古代イスラエル人説  )     ≒     
    古代イスラエル人ではなく、   単に、
   ユダヤ教を国教として、   キリスト教勢力らと、  イスラム教勢力らによる、  宗教を通しての支配性を受けないようにした国の人     、 カザール人    、  だ、   という、 
かなりの疑いがあるんだよ。
観光業で働いてる友人が、 ハザール語を話す日本人に、日本で出会ったんだよね。