@       源氏長者と将軍を兼ねると、 
  日本国王の格を得て、 外交権を、 
  陛下から、もぎ取れるらしい。
   足利義満氏の前例が有る。
    
    @      陛下ではない、  南朝の、
  皇族員らの1人が、
   日本国王として、   外国勢力である、
   シナの勢力を、日本へ引き入れかねない、
   動きようらを示していた状況もあり、

     日本へ、  外国勢力らを介入させない、
  ようにするには、
   北朝方の、   足利義満氏が、 
     日本国王としての格で、
  シナの、 あり得る、 日本人たちへの、
  働きかけようらを、
  制御するべき、  必要性も、あった、 
   という事を度外視すべきではない。

     陛下の格下に、  日本国王の格が、
   あり得る事を、 うまく利用し、
    日本への、 シナ朝鮮らによる、
  歴史的にも、繰り返されていた、
    不意打ちにもよる、 強姦と虐殺と拉致行為ら、からも成る、 侵略行為ら、を、
   足利義満氏は、  南北朝の争いらがある中で、
  よく、 未然に、 防ぎ得た、 とも言える。

http://www.worldtimes.co.jp/col/siten2/kp111018.html : : 
     @       女王國東    渡海  千餘里、  復有國、
 皆倭種     ≒      女王国の東、  海を渡ること、
 千余里、 別の国があり、 みな、倭人の類だ。        畿内の東に、海なんか、ない。 

  @  邪馬台国、と、ヤマト朝廷は、一緒だよ。   自分達の自己紹介で、 ヤマトって名乗ってて、  それを、当て字で書いたのが、 
邪馬台国 、に過ぎない。
  魏書に書かれている様に、
 日本列島内の他国らには、
他国らの名らがあるから、 
別の国らが、ヤマト、と名乗る事はない。 

  @      邪馬壱   ヤマイー   、が、  
 シナ側の初めの記述にある、名だから、 
 それの記述された頃までに、 
  シナ人らが、現地らへ行ったか、 
  現地らに縁のある、  
  誰彼らに聞いた事らを記述した、 
  基になる経験事や記録らが成立った際に、
   その対象に成ったのは、 
  ヤマト何とかではなくて、 
  ヤマイーに近い発音の何か、 であった、
   可能性がある。 
    シナ人らは、    畿内辺りまで出向く必要は、無く、    九州の北部や、 離島などへ、
  倭人ら等の、代理人らを派遣したり、 
  日本列島出の人々や、
 父母に、祖父母など、が、
 日本出の人々から、 
 日本列島の人々などの話らを聞いて、 
 東夷伝などを記述した可能性もある。 

     シナ人らは、   彼らにとって、 未知の、
   日本の島々らの奥深くにまで行くよりは、
   より、  自分らの本拠地の、  
  シナに近い所らを訪れるに留めた方が、 
   より、   不安を掻き立てられる、
   度合を少なくでき、 
   部族利益を最短期間で、最大にする、 
  儒教型の部族倫理系の義務事項を、
  最優先で成すべき立場にある、 
  シナ人らの中でも、  部族の出世頭である、
   皇帝の使いたる、  シナ人らは、   特に、 
  その部族倫理系の義務事項らを成すべき、
  責任性を、  大きく、 自らに負っている、
  存在である所からも、 
  自らの部族利益を増す確実性が、無い、
  にも関わらずに、      彼らから観て、
   宇宙の遥か彼方の領域とでも言うべき、
    倭人らの国々の中の、 より遠い方の国へ、   シナ人らが、シナ人らを食う、が如く、
  食われる可能性すらあるのに、
  わざわざ、出向く訳には、行かない。 

   それは、   それから、遥か後の、
  朱子風に言うと、 理     ≒     部族倫理      、
 に反する事なので、   不可能か、
 不可能に近い事なのだ。

    畿内に、幾ら、遺跡らが出ていても、
 関係は、無い。

      部族利益だけを追求し、  より短期間に、
  より大いに、部族利益を得る事を、
  義務付けられてある、 
 部族倫理の担い手である、シナ人らの中でも、   部族の出世頭である者らが、 
  自らの部族の者らへ、
 利益を与え続けるべき立場にありながら、 
  食われる事さえも、あり得る、 
 未知の世界の国々の、より、遠い方へ、
   大勢の武装戦士らを連れる事もなく、
  出向く、 等という事は、  
 文化的に、無理な事     ≒      
 部族倫理系の規定性からして、無理な事    、
  なのだ。 

     人らの物事には、 

  物理的には、可能、であっても、 
  その属する、社会倫理的には、 
 不可能、な物らがある。 
   部族倫理系の義務事項として、 
 部族の者らへ、出世した者として、当然に、
 厚く、福利らを与えるべき立場にある、
 皇帝の使いにまで成れた、シナ人らは、
  自分らより、序列の低い、
  他の部族などの者らを代理に遣わす形で、 
  危険性の大きい地域らの人々などの、
  情報らを集める事は、 部族倫理的にも、
 可能、な事だし、
  序列の低い者らが、 それで、 
 どんなに悲惨な目にあっても、 
 部族倫理系の規定性からすれば、
  全く、 問題の無い事なのだから、 
   シナ人ですらない、倭人らや、
  倭人らを近親者に持つ人々をして、
  現地らへ、代理として派遣したり、 
  彼らから、現地らの話を聞いたりして得た、
  情報らを継ぎ接ぎして、 
  東夷伝    、  などの、    基資料に成った、
   記録らを成したか、 
  九州の北辺りまでは、   自分らも出向き、
   それ以前に、  そこここへ流れ着いていたりした、  シナ人らや、 シナ人らを先祖に持つ、
  人々からの情報らも綜合し、 
 彼らの様な人々が居ないか、 凄く少ない、 
 シナから観て、  より奥地へ当たる地域らへは、 行かない事にして、 引き返した、
 といった所であろう。
 
   @     金印に掘ってある、「漢委奴国王」は、   「委」が「倭」の略字だとする説があり、
   「 カンのワのナのコクオウ 」 、
  と、読ませる事が、一般的だが、 
 「委」が「倭」の略字だ、という確証は、
 どこにも、ない。 

   他に、そう略している文献が存在しない。 
   しかも、  「奴国」に、  「国王」はいない、
  はずだから、     それは、誤りで、 
 「 漢の委奴 イト 、の国王 コクオウ 」、
 と読むのではないか、 という説もある。