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    @    「     秀吉太閤が、
   征夷大将軍になろうとして、
 足利義昭氏から、養子にする事を断られた  」→ 初出は、    1642年に、
  徳川幕府の御用学者な、 林羅山氏が著した、
  「  豊臣秀吉譜  」 、 で、 
  「   秀吉氏が、 征夷大将軍を断った   」 → 
 1583年の、   多聞院日記と、
 他の同年代の史料ら。 

   @     当時の支配層員らにも、 
  豊臣氏が、朝廷から、征夷大将軍にされても、 当たり前だ、と、観た人々が在った訳だ。
    朝廷にしても、  軍事的な実力者らの最大者に、  征夷大将軍に成って貰って、
  自分らの軍事力では統制できない大名らを、
  自分らへ有利な様に統制して貰いたい訳だ。 
   朝廷も、 自分らの側に、大名らの頭な者らを取り込みたかった、と。 : 

   @      徳川将軍家の、 「征夷大将軍」の世襲と、「幕府」の権威により、
 「 全国 」、 を統治する、  という、 
  「   律令的な名目と、  実質との乖離した統治政体  」、   を選ぶしかなかった事実、
にも拘らず、  その統治が、260年にも及んだ事実、 そっちの方にこそ、注目すべき。 

    @     徳川氏が、 260年も持たせたから、   幕府は、 権威がある様な風潮になってるが、 
  当時は、 今のタイの軍事政権の様な、
 臨時政府扱いじゃないの 。

     @     ほとんどが、  織豊政権の焼き直し  + 
 関が原で、  敵対勢力らがまとまった所を、
  打ち破れた為に、  潜在的な敵になりうる、
  大諸侯達を押さえつけるのに成功しただけな >    徳川氏の統治システム  。

    @   事実の流れとしては、そうだけれども、   徳川家の家政機構が、   そのまま、
  全国への統治システムを乗っ取る方式は、 中々、良く出来ている、と思う。 
  それと、武家官位を利用して、
  家格を固定化するとか、
 細かい制度を巧く利用している。 

    @       公家の頂点に立った時点で、   別に、
  幕府を開いた所で、何かがある訳でもなし。    豊臣氏が、 武家の棟梁だって事は、
 誰もが認めてた訳で、 
  豊臣氏が、 天下を持続できなかったのは、
  支配仕組みの問題で、
  征夷大将軍にならず、幕府を開かなかった、
  からでは、 ない。

     @     歴史的に、   常習性のある侵略者な、
  シナ朝鮮員らと、 南蛮人らの侵略宗教勢力らへの、  予防的にも、 在るべき、  征伐か、
 制御行為を、  豊臣氏は、成しかけたし、 
   徳川家康氏も、 それを、思案視野へ入れた時々があったろう。 
   家康氏は、  鎖国をした訳ではなくて、
   侵略する気が満々な宗教勢力ら等へ、
  慎重に対処し、  日本側の現地事情らが、
  それまでよりは、 漏れ難い様にし、 
  日本の内側に、 侵略宗教勢力らと呼応する、 キリスト教信徒らや、
 シナ朝鮮人らへの与党に成り得る、
  在日シナ朝鮮人らを増やさない、
 状況も形作って行った。 

   海外から、   違う立場、   互いに、 対立する、
 立場の者らから情報らを得る事にも努めた形跡らを残しており、 
  鎖国めいた状況の度合いを増したのは、 
  海外の者らの倫理的な危険性らや、
  技術的な進歩の危険性などに対して、
  海外の文物や者らに触れる機会らの、
  総量を減らされた、 後の将軍らで、 
   後の政権主導者らへ、  海外へ、
  より深層に及ぶ、 対処を成すべき事を、
   思い知らせ得るに足る、 仕組みらを作る前に、  家康氏の命の尺が尽きた。 

    @       豊臣政権が、   全国政権としての枠組みを作ったからこそ、 それを取捨選択し、
 拡大発展させる事により、  徳川政権が、
 2百年以上を続く治世体系を構築出来たんだ、   と、考えるべきだ。 : 

   @     書記長を国家のトップにする仕組みの方が、  名目と実質の乖離が、凄い。 
    どんだけ建前だよと。  

   @     豊臣氏は、 朝廷の威光や武家社会の慣例を利用する事を選んだ。 
  豊臣家の天下は、十年余りで終焉し、 
  徳川家の天下は、  250年を存続させ得たのは、    幕府を作れたからじゃなく、 
  秀吉太閤が、  刀狩、検地、朝鮮への出兵などで、 戦国時代の混乱を、 ある程度を、
 収束させていたからだろう。 : 

   @      現在は、 徳川政権等に、「幕府」、と、 名が付いているお陰で、 
 例えば、 内閣のような、国家組織に比肩する様な仕組みらがあった、と、理解され易いが、 
     実質的には、 「幕府」の内情は、
   徳川家の家政組織の延長上で、
 他の大名らへの干渉が行われていたに過ぎず、        徳川幕府は、非常に、人格的側面が強く、
  機能的には、 鎌倉幕府や室町幕府よりも後退している、 と、言えなくもないね。