@      豊太閤は、    玄米、 等ではなく、
   白米を食べ、   栄養の過ぎた偏りから、
   ビタミン何とか不足で、  脚気に成り、
   その度合が深刻化していった、   との、
 医学博士らの診立てもあり、
    そうだとすると、   晩年の秀次事件などでの、  残虐な仕置きらは、  自分でも、まともに事態を認識できない精神状態で命じ、 取り消しをし忘れる等した結果の物か。 

    @     幕府という概念が、 そもそも、後付けで、   当の秀吉氏も、 成功例として語られる、 家康氏も、  そうだ、幕府を開こう!   、   等と思っていたのかは、 疑わしいね。 
   豊臣幕府は、  実質的に開かれていたが、
   征夷大将軍ではなく、  関白を総帥とし、
   秀吉氏の没後に、 徳川氏に滅ぼされるまでは、 存続していた、  とも言える。

    @     征夷大将軍になろうと思えばなれた。 
  実際にも、 断っている。 
   朝廷ごと管理したいから、関白になった    ≒
       三代将軍の足利義満氏も、
   公家社会をも支配する度合いを増して行っていた。
   陛下の権威性を、 自らと、自らの子孫員らへ、 重ね合わせる事への段取り事ら、 と、
 観られる事らを成してもいた。 

    そうしないと、   その当時にして既に、
 神代に連なる、  千年以上の歴史的な宗教上の天辺としての権威性を自らの者らへ重ね合わせる事は、   成す事が、不可能な事だから、 
 そうした訳だろう。
   
     陛下らは、 神道の神々をまつる、
  最高の祀り主でもあり、
   日本人らの各々が、 神々の子孫員として、
  互いに、 尊び合うべき筋合にあると共に、    神々の子孫員とするに値する、 日本人らから、
  尊ばれるべき筋合にある主でもあるから、
    他の何者も、  その代わりには、
   成り様が無く、 
   日本人らの戦い合いらに対して、 
  終わりの見えない無い殺し合いによる、 
  共倒れの相次ぐ事態を差し止める、
  可能的な調停者としての権威性を、
  最も強く帯ている主でもある。

      【      ローマ教皇の権威性を、
  全く否定した者らによる、 
  宗教戦争らにおいては、 
  それらを差し止めて、 和平をもたらす、
  権威性のある調停者を欠いた為に、
    暴力と騙し等により、
  敵対する者ら同士が、  終わる当ての無い、
  殺し合いを連鎖させ続けて行った。

    社会一般の人々を調停し得る、
  一定度合い以上の権威性を無くしてしまう事は、 
   その社会の人々へ、 
  深刻な、可能態の害を加える事でもある。

    それは、  英米の富裕権力層員ら、などに、
     その社会の人々の対立性が煽られて、
  戦い合う様に成ると、   現前態の害らを、
  その人々へ成すものだ   】    。 

      秀吉どんが目指していたのは、一元化。
    徳川政権は、   建前を重視して、規制し、
 管理だけして、 やらなかったが、
 幕末に、  その内在していた問題が、
 表面化している。 

    @    源氏員じゃないと、 
  征夷大将軍になれないから、   秀吉どんは、
   駄目だったなんていうのは、真っ赤な嘘。
    実際に、   鎌倉時代の後期の将軍は、
   藤原氏の摂家から、  
  北条氏の執権らが出している訳で、
   五摂家の筆頭の近衛家の名を貰っていた、
  秀吉どんは、 征夷大将軍になる妥当性は、
  十分に持っていた。
   実際は、  彼自らが、
 征夷大将軍への任官を断ってもいた。

    @      豊臣氏の関白が決定したから、
  近衛の猶子になったのであって、
  近衛になって、  官職を貰おうとした、
 訳じゃない。     しかも、    2年で、
  近衛へ返す、  約束を反故して、
   近衛、菊亭を流罪にしたり、
  官職から、 公家員らを外しまくったりと、
    かなり、力技で、 
  武家の仕組みに変えようとしてた。 

    @      関白の方が、   公家員らへの、
  統制をしやすかったのと、 
   武士への官位の推挙権を、
  完全に独占できるからやで。 
   この公家への統制 、  という、 
  秀吉どんの前例があったから、
  徳川幕府による、 公家への、
  統制の正当性も生まれたんやで。 :