【       アリストテレス氏が、  
    その、  認識なり、    知たりなり、の、
  宛居    アテイ   ・   対象 、と、  なったり、
  成り得たりする、
  『    存在   』  、 ら、へ、対して、
   『   非  存在  』  、   と、  
   呼び宛    ア   ててある、  ものら、 には、

     我々でもあり、    意思系などとしての、
 我々をも、 含んである、  
観念系ら、へ、 対する、
  外因性ら、 だけ、 が、
  含まれ得て、 あるのでは、  無く、

     観念系らから、  観念な、 質としての内容、
を、 与えられて、
  観念系らにおいて、  それ自らの成り立ちを、
 得る事のできる、 物事らの一定度合いも、
 含まれ得て、 あり、

    しかも、
   アリストテレス氏、 ら、 には、
 その、 言葉らに明らかにされてある、
 思案系らを観る限りにおいては、

    観念系らへ対する、 外因性ら、と、
 内因性ら、とを、 区別し、  
 内包し、  宛居ともする、  
  在り得る、   一定度合い以上の、
  分析型の、 体系知、ら、 が、 欠けている。

     それでも、
   時としての間  マ  、を、 自らに、 欠いてある、
 時点 、ら、 など、へ、 宛てがわれて、 成る、
  観念らの規定性らなり、
  観念な、 規定性ら、なり、 をして、
 論理性を、 成し、 行う事における、
 基準系として、
  特定の思案系らを、  我彼   ワレカレ  へ、
 成し、現して、 観せる事において、

   その、 観念な、 規定性ら、に、
   より、  沿う、 度合い、を、 積み増して、
   より、  論理的な整合性を成す形で、
   その思案系らを、 成し、現す、 事において、

    時としての間である、  時間  、 が、
 無い 、 に、  等しいものである事を、
  能   ヨ  く、   思い分けて観せ得ており、

  観念な、 事柄ら、 という、 もの、 等へ対して、
  時間  、 という、もの、ら、 が、
 より、   観念な、  付帯性を成して、
在り得て来てある、  事へ、 宛てても、
  分析型の、 体系知を成して、観せ得てもある。

     
    時間 、 は、    観念系らにおいて、
 事柄らの何らかの度合いら、へ、対して、
 目安として、 機能させられて来てある、
  観念性        ≒          
 観念な、  質としての内容、を、
 観念系らから、 与えられて、
  観念系らにおいて、   それ自らの成り立ちよう、
を、 得て、 ある、 物や事、 に、
在り得る、 物や事 、  とか、   その度合、 など     、
  でも、 あり、

   因果系の観念ら、や、 時系列の観念ら、
などを、 構成する、  観念な、 物事ら、へ対して、
  付帯する、 関係性らを成して、
  観念系の主らに、 観られ得て来てある、
 もの、 でも、 ある。
     

     我々が、  自らの、   観念な、  感じようら、
や、  観ようら、 の、 そのもの、 において、
   成り立たせて、 来てある、  
  自らの、  今として、 在る 、 時の間    マ    、
  たちは、
    その、  観念性の、  感じようら、 や、
 観ようら、 に、 おいて、  
 在り得て、 来てある、 だけ、 であって、
   
   その他の、 どこ彼らに、
  それ自らの成り立ちようらを得て来てある、
訳では、  無い 。

 
     そうした、 時間らの、どれ彼ら、が、
 それ自らの成り立ちようらを、 得られて、
 在ったり、
  在り得たりする、  所らには、
 
    我々の、  そうした、 観念性の、 感じようら、
や、  観ようら、 に、 類する、  ものら、
が、 成り立って、 居たり、
  成り立って、  在り得たり、 し、

     我々でもある、 観念系ら、に、 類する、
 ものら、が、  在り得て、 あったり、
 在り得たりする、  のであって、

  そうしたものらの一切が、 無い、 所ら、には、
  そうした、時間、ら、は、 無い 。


     そうした、 時間、 ら、が、 無くても、

  因果系の観念ら、や、 時系列の観念ら、
などを、 構成する、  観念な、 物事ら、や、
   
  そうした、観念ら、の、 宛て、と、 成り得る、
   観念性の、 物事ら、や、
  観念性の物事らを投影して、 観宛てられ得る、
  観念な、 質としての内容、を、
  観念系らから、  与えられて、  我々の各々へ、
  現前させられ得る、   物事ら、は、
 
     時間的な持続性のそのもの、とは、
   関わりを、 無しに、

    それ自らの成り立ちようら、を、
  得たり、   得ないままに過ごしたり、  
   得続けたり、
   その通りに、 得続ける事を、
 あらためられたり、 などし、

    観念系の主ら、の、誰彼、  が、
   そうした、 ものら、へ、   自らの、
 観念系の、 自作の、   時間、ら、を、
 投影して、 観宛てようが、  観宛てまいが、
 それらに関わりを無しに、
    その、 誰彼の直に左右し得ない側の、
  その、 投影性の成される事などに、
  影響されない場合の、
   そうした、ものら、は、  
  その通りに、  あったり、  在り得たり、
などするのである。


     そうした、 我々の観念系ら、の、
 自作の、 時間、ら、を、
  それを欠いてある、 ものら、へ、
 投影して、  観宛てる事は、
我々の誰彼らにおいて、   成され得ては、
 来てある。

  観念な、 運動などの度合いを観積もるなどする、
 場合らの系らなどにおいて、
  投影され得て来てある、 時間的な持続性ら、は、
 目安として、 機能させられる等して来てあり、

  それ自らに、  時間性を欠いてある、
  観念性の、 質としての内容、を、
  観念系らから、 与えられて、 在り得る、
 物事ら、 へ、 宛てがわれて、
  時間的な持続性らは、  
  観念系の主らの誰彼において、
   関係性らを成して、 観られ得て、 来てあり、
  そうしたものらへ、 宛てての、
付帯性を成され得ても、 来てある 。
   
 
      試みに、   観念系の主らの誰彼が、
 自らの、  今としてある時の間    マ   、 の、
 永さ、 を、   量   ハカ   り観る事を成して、
     時計をにらみ、
   例えば、    12時の、 丁度を、
 その、 初めの際    キワ  、  と、  思い決めて、
  その、  終わりの際を、  量り決めようとしても、
  瞬間ごとに、
  一定の時としての間を、  自らに、
 成してある、  
 観念性の、質としての内容を、 成されてある、
  感じよう、 なり、   観よう、 なり、の、
 そのもの、が、  在る事を、
切れ目を無しに、  成し続ける、 だけ、 であって、
   
    今として、在る、 時の間は、
 それを、 創り出してある、  
観念な、 感じようら、や、 観ようら、 の、
 そのもの、 においては、
 定かに、  一定の時としての間を成しては、
 居ても、

    時計的な時間の度合いにおいて、
  量り定められる、 宛てのものとしては、
 必ずしも、 対応は、 しない。


     実際に、   あなた、が、
 自らの、  今としてある、 時間、を、
 時計的な時間の一定の永さ、 で、
  量り決めようとしても、  
 
 それらとは、 別の観念性らを創り出して、
それらとの、  観念な、 関係性らを創り出したり、
  出来合いの観念性ら、と、
 それらとの、 関係性ら、 を、 成して、
 それらの系らへの、 感じようら、 や、
 観ようら、 をも、 成し、
  実感を覚えさせるものとして、 機能させる、
などしたり、   し得てある、 ので、  なければ、

   出来ない、 はず、 であり、

     それは、
     自らの、 今としてある時間、を、
 それ自らにおいて、  成してある、  観念性ら、と、
 時計的な時間の系らや、
 それを構成する、物事ら、などの、
 観念性ら、とが、  それぞれな、
別な、 もの同士 、  であり、  

   観念系の主らにおいて、
観念な、  関係性ら、 の、 もとに、 置かれる、
 宛てに成り得ても来てある、
  というだけで、
 互いに、   それ自らを、  その通りに、
成り立たせて、ある、
 観念な、 規定性らなり、  秩序性らなり、の、
 異なり合ってある、 もの同士 、 だから、
 でもある。  


    いずれにせよ、
    日本国民たちは、     より早くに、
 日本国民たちの足元の、  地下へ、  
より、  どこからでも、
より、 速やかに、 落ちついて、
歩み降りてゆき得る、  避難経路ら、と、
より、 快適に住める、  避難所らとを、
作り拡げてゆく、    公共事業らを成す事により、

   日本の、    財務省の役人ら、と、   与野党の、
主な政治家らとが、

英米のカネ貸しらの主張する事らを、 そのまま、
自らもまた、 オウム返しにして、主張し、
実行もする事において、

   日本政府の財政における   、   緊縮   、    を、
繰り返し、 成す事を通して、

  彼らへの、 主  アルジ の立場にある、  
日本の主権者としての日本国民たちへ、
  物価だけではなく、   その労働らへの賃金らの水準へも、 より、  押し下げる向きへ圧力をかける、
要因らの系である、
デフレ不況性 、を、  押し付け続けて来てある、

 その、 デフレ不況性 、を、 解消し去ってゆく、
と共に、
 日本国民たちの防衛性の度合いを飛躍的にも高めてゆくべき、  ぎりぎりの状況にも、 ある 。


   地上を襲い、  地上をおおい得る、  あり得る、
災害らへ対して、

  地上に、  避難所らや、  避難経路らを設定して、
 日本の主権者たちを、 それらへ誘導する事は、

  人食い虎どもの住む、   密林へ、
人々を誘導する事に類する行為であり、

  日本の主権者として、   日本国民たちの一般 、
へ対する、  
個々の日本国民においても、  
執事なり、  召し使いなりの立場にある、
公務員などの、 者らにおいても、
 成す事が、   許されない  、

  日本国民たちの一般の、  あり得る、 福利ら、を、  より、 能くも、  最大限にも、 成す事を、
約束して、   日本の社会に、  存在し、  存続する事を、  日本国民たちの一般から、  許されてある、
筋合いにある者としての、   義務 、 に、
違反性を成す、 行為であり、

  それが、   作為型では、 無く 、
 無知性と痴愚性とにもよる、  不作為型の、
行為であっても、
 それへの責めを負うべき、 筋合いを、
その主らの側に、  成すものである事に、
   変わりは、    無い       】    。
 

 ◇    負電荷な            電子対なら            奪う、酸

   逆な、 陽子を               引き取る、塩基・・。



  ☆     湧き水の            濁りに続く               山津波            

  無い、水どもが              湧くも、先触れ・・。



  ◇     連れ去るに            浜から沖へ             離岸流              

          脇へ泳げば                  ひろえる命・・。

   
 
 ☆    水に塩                糖分も欠け                熱を去る

       風も欠ければ                  沸く、 熱射病・・。



    ☆     【   関ケ原の戦い   】   ;

   石田三成氏、 と、  小早川秀秋氏   ;

   子孫が、  400年ごしの“和解”/
  滋賀・観音寺   ;
 2017/  10/30   (  月  )     00:52:22.94:

   ☆    画像  ;     石田秀雄さん(左)が、
 秀秋氏を、 「勇将だ」、と、たたえ、
 小早川隆治さん(右)と、 固い握手   ;


   ☆       千6百年、の、  「  関ケ原の戦い  」
、 で、   西軍を率いた、  石田三成氏、と、
  東軍に寝返ったとされる、  小早川秀秋氏、の、
 各々の子孫員が、    29日に、
   三成氏にゆかりの観音寺   (   滋賀県は、
 米原市   )  、  で、   会談した。

   映画の、  「  関ヶ原  」 、 の、 公開を記念し、
  同市が開いた座談会で、 実現。

    両家の伝承や、  秀秋氏は、  当初から、
  東軍だった、   との学説も紹介され、
   和阿    ワー     ≒      ファン    、 らが聞き入った。

 石田秀雄さん  ( 67 ) 、が、
  秀秋氏を、 「  勇将だ  」 、と、 たたえ、
  小早川隆治さん  ( 76  ) 、と、
 固い握手。
    約400年越しに、  “和解”した。

配信   2017.10.29 21:40   更新
産経WEST
http://www.sankei.com/west/news/171029/wst1710290058-n1.html

   @      三成どんの子孫は、 殺されなかったん?

   @     石田三成どんの子孫は、
 津軽藩の藩士になっている。

  @      殺されていない。
 津軽藩の家老になった家系もあるし、
 娘の流れは、 現皇室にも繋がっている。


    @      たしか、  子どもが、
  津軽藩に匿われたあとに、
  孫の代あたりで、    弘前藩主で、
  50人位の子どもを こさえた、 お殿様がいて、
 すごく、 子孫は増えていたような覚えが。

 
   @      津軽藩は、   代々に、   隠れて、
  秀吉どんを弔   トムラ   ってたんだよな  。


   @      これからは、    ノブヤボ       ≒      
 信長の野望      、  で、   津軽家を選ぶわ 。

   @      石田氏の、  長男は、  坊主になって、
 生き延び、   次男と三女が、  津軽藩に匿われて、
  家老の杉山家と、 津軽藩主への側室になっとる。


    @     ちょっと、  微妙な和解やね 。
子孫が許しても、  光成どんは、 許せんだろ 。

    @     そう思う。
  後世の人が、 勝手に、和解とか、 いうなと。

 
   @      日本語で、 論弁を成していても、
   日本人モドキらには、
   先祖らが、  敵同士な人々が、  
 先祖らの成した事らを、  水に流し合い、
  共通の子孫員らを成し合いさえもする、
  日本の武家員らなどの精神性などは、
 理解し難い宛てのもので、
  頓珍漢な論弁をさらしてしまう 、
   という事も、 ある  。


  @      世紀の裏切り者として、  
   日本国民の全てが、
 歴史の教育で、 学ぶんだからなあ。
   秀秋自身には、   裏切り者としての自責の念は、
  多少なりとも、 あったろうけど、
  400年以上をたっても、  裏切り者として、
  その名を、  全国民が知るなんて、
思ってなかったろうな。


   @     関ヶ原で、   土壇場で、 裏切った、
 というのは、  間違いで、
 今の研究では、   松尾山に陣取った時点で、
 すでに、  西軍と交戦していた、
 というのが、  有力な説やで。

   @     そう、最近の知見が、知りたい。

 最近、  歴史街道か何かの、
 コンビニで売ってるような本でも、
紹介されてた説だな。

 裏切り中納言 、  との呼び方は、
 京阪あたりから出た。
 今も昔も、  太閤びいきの土地柄だからなw

   @     その前に、  大谷どのに謝れ。

    @     これな 。

  @     小早川金吾の家は、  無嗣断絶したので、
 子孫は、いないぞ。

   石田治部少の長男の重家どんは、  関が原後に、
 出家し、  子孫は、無い。
 次男は、   津軽・弘前藩で、  
杉山家として存続なので、 石田姓ではない。


   @       >三成氏の長男である、   石田重家 、
 という人物ですが、
  関ヶ原の戦いの際は、  まだ、  10代の前半と、
  若かった事もあり、
 僧侶になる事を条件に、  助命されています。

    石田重家氏についての公式な記録では、
 彼には、  妻子はいない事になっている、
みたいですが、    石田秀雄さんいわく、
  重家氏には、  当時に、  身ごもった妻がおり、
 その後に、  家康どんの次男の、
 結城秀康氏のはからいで、
 彼が治める越前    (    今の福井県    )    、
に移され、    同地で、 出産。

   その後に、   彼の子孫は、   新潟県の妙高にて、
  庄屋    (    地方の有力者の事    )     、 になった、
 と、  言われています。


   @    会津藩士らは、   国替えで、
 会津を離れた一方で、   農員たちは、
 会津藩からの圧政に、  恨みを持ち 、
政府軍の手引きをした・・、
 が、   その農員らの子孫らが、   なぜか、
 薩摩らを恨んでいる、  という状態w

  @      朝廷軍への手引きをしたのに、  
  薩摩と長州の出の、  明治政府の幹部らが、
  朝廷の敵として、   日本の各地の者らから、
貶   ケナ   される立場に成った、
 会津の人々への捕漏   ホロウ 、を、
  ろくにする事ができなかった、から、
 という事も、あろう 。


   @     小早川家は、断絶したけど、
  裏切り者の一族として、 残らなかっただけ、
 よかっただろな。
そのまま存続してたら、  子孫員らは、いまだに、
 裏切り者のくせになんて、言われてたろ。

http://sans-culotte.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=17326684

 @      元の所有者だった秀秋氏の遺児の、
 秀行氏は、    秀秋氏の兄の、
木下勝俊氏の六男として、  養育され、
長じて、  備中足守藩の家老となった際に、
  土肥   ドヒ   姓に、 改称したそうです。


  @      三成どんは、 近江北部じゃなかったか。

  @     滋賀県は、 長浜市、の、 石田町の人 。

   @    むしろ、  大谷吉継どんの方が、
 子々孫々までの怨みが残ってそう 。


  @     小早川秀秋には、  子供がいないから、
 改易だったよな。

 @     側室の子の子孫と主張している人はいる。


  @     明智光秀どんの子孫と、
 小早川秀秋どんの子孫の苦労話の方が、
盛り上がるんじゃね?
どっちも、  裏切り者の家系ってことで、
 濃い話を聞けるかもよ。


  @     もちろん、  会談に出される、
 お茶菓子は、   柿

    ≒        石田三成氏が、      関ヶ原の戦い 、に、
 敗れて、    捕らえられ、
  処刑の場まで、    連れて行かれる途中で、
   その役の者らへ、   茶湯だかを求めた時に、

    その中の1人が、   湯は、 無いが、
  喉がかわいたのなら、  柿があるから、
  柿をやる、 と、 言うと、

  石田三成氏は、
  『    柿は、   痰の毒であるので、 いらない    』 、と、  答えた。
 
  警護の者は、
 「   すぐに、   首を切られるものが、
 毒断ちをして、  何になる    」   、  と、 笑ったが、

      三成氏は、
 「    大志を持つものは、
  最期の時まで、  命を惜しむものだ    」 、
と、  泰然としていた、     という  。

  漢方では、  柿は、  痰の毒ではなく、
 薬だそうだ。
 この逸話は、  「  茗話記  」  、  などに、
出てくる 。


    @     小早川は、    元から、
 松尾山にいた西軍を追い出して、布陣したから、
  西軍の諸将から、  最初の時点で、
  あいつは、東軍だ、と、 認識されてた、
 可能性が、 大なんや 。
大谷吉継どんの小早川対策は、 裏切り以前の問題。


  @    賤ヶ岳の七本槍の連中は、   ことごとく、
裏切ってんな 。


  @     糟屋どんは、  裏切ってないぞ 。


   @      2万5千以上の兵力を押しとどめていた、
 吉川よりも 、
1万5千の兵力で、  裏切った小早川が、  
虐められる風潮には、  草が生える 。

   
  @     不戦より、  裏切りの方が、
 インパクトあるからね、  仕方ないね 。

  @     徳川が、 ネガキャンしたからなあ 。


   @      足止めは、   単純に、
  自軍戦力のマイナスだけど、
 裏切りは、   マイナスと、
 相手戦力のプラスにもなるからね。


   @     関ヶ原の元凶とも言える、 上杉が、
減封で済んでいる、  という、理不尽  。


   @      東軍に、  上下を倒すだけの余裕が、
ないから、  しゃーない 。


   @     三成どんと大谷吉継どんの、
 茶の逸話が、  創作と知った時の、
ガッカリ感は、 異常やった 。

    @     こマ?     あの話が、好きなのに...。


  @     秀吉どんが、  やった事が、
  石田三成氏のやった事へ、置き換えられて、
 伝わった、 とも、言われているし、
  本当にあったかも知れない、
 とも、言われている    

   ≒       大谷刑部   ギョウブ    氏が、
  武将らとの茶会の席で、    武将らと、
  同じ茶碗で、  茶を回し飲みする際に、
    ハンセン氏病にかかっていた所から、
  膿   ウミ  を、   その茶へ、垂らしてしまった。

   その後の武将らは、  
 ハンセン氏病にかかる訳には、行かないので、
   その茶碗から、  茶を飲む振りをするだけで、
  口を付けなかったが、

  石田三成氏の独りだけは、
 その茶を飲み干した、  という。


  @     戦国時代の逸話なんて、 八割方、
創作やぞ。

 
  @     その、創作らを成した主らには、
  その話らに共感できる精神性らがあった、
 という事も、
 その創作ら自体も、 歴史事らの一定事らである、
 という事も、 意義のある事だ。


  @     一次資料とも言える書状で、
 ヤバい内容が載ってたり、
他所の大名から、 変人扱いされてる、
 伊達政宗どんは、 はっきり言って、 異常だ。


  @    せやで、   脱糞も、 嘘にしておこう   。

  @    脱糞って、  山岡荘八どんの作った話って、
 聞いた事があるンゴ  。


   @     徳川の重臣の、  大久保家の者が、
創作した逸話やぞ。

   @     そうなんか、サンガツ  。

    @     三河後風土記  、  だった 。


   【      合戦の最中    サナカ  に、  
  大便や、尿を出す事は、
   それらを理由に、  敵らからの攻めようらを、
 差し止めて貰えない、 事から、

   単なる、 生理現象として、  成されて、
 ごく当たり前な事であって、

    より、   戦いへの不安な思いに、
 囚   トラ    われずに、
 より、  きちんと、 落ち着いて、
茶湯や、飯を、 飲み食いする事が、 できた、
 武者らほど、    
 合戦の最中に、  大小便を出しながら、
 戦う率を高め得たはずでもある。

    徳川家康氏だけが、   合戦の最中に、
 生理現象を成していた、
 可能性がある訳ではなくて、
    排便を理由として、
  合戦を差し止められる事が、 無い、
 状況らにおいては、
  合戦の最中においても、 排便するしかない、
  という事から推して、
  合戦中の排便は、  
その当時の当事者らの一般においては、
 ごく当たり前な、  単なる、生理現象として、
  観成されており、
大久保氏も、  そうした事を判り得てあった上で、
 徳川家康氏が、  武田勢との、  
 三方ヶ原    ミカタガハラ   の戦い、において、
 脱糞したように述べてある、 とも、
考えられる。

  幕末における合戦らの、どれかにおいて、
 板垣退助氏だったかが、
  味方の侍たちへ、  
  『    小便は、   戦いながら、やれ。
  戦に集中して、   小便などに構うな   』  、    
といった趣旨の事を、 述べてから、
 戦へ取り掛かった、  との事だが、

    排便を理由として、  戦事らが、
  差し止められるものでは、 無い、 からには、
 それが、  当たり前な事であって、
 一定数以上による、   合戦の最中に、  
 排便が、 無くて、  当たり前だ、と、
考える方が、   より、  あり得る事らを観る、
  考えようを、  欠いてある     】   。

   
    @       よく、    戯務    ゲム       ≒      
  ゲーム       、     とかで、  
 大谷吉継どんの事を、
 刑部って呼んでるけど、あれって、職業?
、で、 あってんの?
 上杉謙信公の関東管領みたいな感じで。

     @       官位のことやで 。
内府   =    内大臣    、   みたいなもんや 。


   @      大谷吉継どんは、  実際に、   朝廷から、
  官、  従五位下     ジュゴイのゲ   、  の、
  刑部少輔を貰ってるからな 。


   @      長曾我部家、  秀吉どんに侵攻されて以来、
  負け戦ばかりで、  可哀想  。

  @     やっぱ、  
 鳥なき島の蝙蝠    コウモリ  、  なんやね  。


  @      石田三成氏と細川忠興氏は、仲が悪かった。

  当の石田三成氏自らが、
「   幾ら、なんでも、  仲が悪すぎじゃね?   」
、  と思うほどに、  悪かった。

  そこで、   三成どんは、  殊勝にも、
こう、思い立った。
「   そうだ!     仲直りをしよう!   」  。

  三成どんは、   前田玄以どんに仲介をしてもらい、
 忠興どんと、 一席を設けて、
 仲直りをすることとなった。

  さて、  その席でのこと。
  忠興どんが、 先に、着座していると、
 三成どんが入ってきた。   手に、 盆を持って。
  その盆には、   柿が載せてあった。

  そして、  仲直りの挨拶もせずに、  静かに、
   その盆を、  忠興氏の前に置き、

 「   越中守は、   柿が好物だと聞いたので、
持参いたした。     それがしのことは、 気にせず、
 食して頂きたい    」  。

   忠興氏は、  顔を真っ赤にして、
 怒って、 出て行った。
   残されたのは、  何で出て行ったのか、
 まるで解ってない三成どんと、
 あまりの三成の行為に、 頭痛がしてきた、
  前田玄以どんであった。


   @       仲の悪い奴から、   珍しく、
誘いがありました。
 誘っておきながら、 奴は、遅刻してきました。
  来るなり、 挨拶も、遅刻の詫びも、  なく、
  いきなり、    お前の好物をもってきたから、
  食え、 と、 言われました。

おちょくってんのか、 この糞野郎、になるわな。

  挨拶して、  呼んだ趣旨を述べてから、
 心づくしです、って言って、   柿を出せば、
  仮に、  内心では、  毒が盛られてある事などを、
 疑っても、  食うだろうにw


   @      秀吉どんは、    こういう人をこそ、
  何とかして上げたい、と、  保護者のような、
 心持ちで、  三成氏を取り立てていたのかもな 。

   三成氏は、  本当に、 裏表を無しに、
人に接するように心掛けても居たのだろう。