【      脳神経らを通る、 電気信号らの系として、
 精神系を思い捉えて観る場合においても、

   その脳神経だの、 電気信号だのを、
  宛居   アテイ   、    対象として、
 格付けて観ている、  観念らが成り立っており、

   それらは、  観念らの外側にあるものらとして、
その観念らの成り立つ場において、
 規定されてはあるものの、
やはり、    観念の設定上の存在らである事に、
  何の変わりも無い。

   観念によって、   その設定上のありようらを、
 自在に変え得ない対象だからといって、
 
    そうした、  観念による操作の対象に成らない、
 ものらが、  
我々の各々の、  観念らの成り立つ場において、
その様に在るものらとして、 観得てある、
観念の設定上の存在である事を、
やめる訳ではない。


   観念らの外側にあるものらとして、
  観念の成り立つ場において、   自動的に、
 規定されて、   現れ出て来る物事らも、
  観念の無い場に、  実在している、  と、
 我々が、 仮定し、  確信もしている、
観念の外側の存在ら、 の、  そのもの、 と、
 因果の鋳型に当てはめても観得る、
 関係性を成して、  現れ出て来るにしても、

    観念が、    それ自らの成り立ちを得ていない
場において、  実在し得ているものとして、
我々が、 確信を成して、  思い構えて観ている、
 宛  アテ  のものら、の、  そのものと、

   観念の場に、 現れ出て来る物事らとは、
  全くの、  別物同士  、 であり、

  我々の観念らの設定される、
 仕組みらに合った形で、
 脳神経だの、   電気信号らだの、
  それらの関わりようらだの、
あらゆる、  存在の欠如としての、   無   、 だの、
 誰彼の死を意味する状況だのが、   現象する、
手筈に成っているだけであって、

    我々の観念らとは、
  それ自らの成り立ちようらの、 異なる、
 観念めいた、 何彼らの成り立ちようらを通して、     
 自らの精神系めいた
何彼の成り立ってある領域には、  無い 、
世界らを、  翻訳して、  観ている主らがある、
とすれば、
 その主らは、   我々とは、   違う様に、
物事らを、  観念めいた、  
何彼の成り立ってある場で、
現象させて観ている事になる。


    我々は、    どんなに、
  自らの精神系の外側に出て、  物事らの実態に、
当たり得ている、  つもり 、 を、
成り立たせる事ができるとしても、

  全く、  自らの精神系から、  一歩も、
抜け出せない、  設定上の存在であり、


   自らの時々の精神系の様らを成り立たせている、
 感らや、知覚らに、
  記憶化された知覚ら、  からも、 成る、
 観念らなどの組み合わせらを、

   自らの精神系の、  無い  、場にある、
何彼らとして、  規定して観ている、
だけの事であって、


  それは、    自らの精神世界を構成していたり、
一定の条件らが整った場合に、
 構成し得たりする、   自らの精神系の、
一定部分らや、   可能的な一定部分らに、
 それらから、 成る、  ものらをして、

  『      自分ではない、
  自分の相手にしているものら     』  、  として、
仕立てて、 観ている、だけの事でしかない。


   独り相撲を、  自分の一定部分ら等を相手として、
やっているだけの事で、

  あなたが、   あなたではない、 何彼らとして、
  自らの精神系において、  相手にしている、
 何彼らの様らは、
  あなた自らを成り立たせている、
あなた自らの精神系のからくりらが、
成り立たせて、
 あなたへ観せている、
 あなたの精神系の一定部分ら等から、
成る、 ものでしかない。


    旅に行く事には、
  日頃の人間関係などに対して、
  精神的な距離を置く事を通して、
 それらを、  思い捉え直す、   機会を、
  自らへ与える等の、
 様々な意味や、 効果が在り得るにしても、

   それにおいても、
  それを成す主は、    一定条件らの整いと共に、
その主の精神系に現れ出る、
 自らの精神系の一定部分ら等に出会うだけであり、

 『    自分の現在   』 、 を構成する事象らとしか、
出会い得ない。


   誰彼が発明した、  時間旅行機なる物で、

   過去の事象らめいた事象らや、
 未來の事象らめいた事象らに出会い得たとしても、

  その主は、   『   自分の現在   』  、  を、
そこに伴っており、

  『   自分の現在   』 、  を抜け出して、
 在り得ている訳ではないので、

 
   その、  過去の物事めいたものらも、
未來の物事めいたものらも、

 『     その主、の、  現在を構成するものら     』 、  
でしかない。


  そこに、   あるのは、   現在  、  であり、
  現在を構成する事象らでしかない。


  時間旅行なるものの不可能性は、
  誰も、  『    自らの現在    』  、  を、
脱け出す事ができず、

   自らの現在と共にある様に、
設定されてある存在である、
という事にある。


   この事は、    『    現在   』  、   にしか、
時間や、 空間などが、 存在せず、

  時間や空間と共にある様に、
  我々の観念の成り立つ場で、
 観られて来てもいる、
 過去や、未來なるものには、
それら等が、  その様には、 在り得ない、
という事にも関連する。


    観念らには、     観念として、
 観念されているものらと、

  観念ではないものとして、
  観念されているものら、  と、  が、  あり、

  我々は、    後者の物事らを相手として、
独り相撲をやり続け、
その様らを、 我彼へ向かって、
言葉にして、述べて観せたりもする。


     物質らが、   何の力でもなく、
  何の働きも、成し得ない、  存在であり、

   ただ、  何らかの働きらを成して、
在り合っている、
 色々な力らの居合わせている、
動的な位置でしかない、  にも関わらずに、

    力ら、  という、
  観念の設定上の存在でありながら、

  そうではない、  
 誰彼の、 観念の成り立っていない場らにも、
在るものとして、
    誰彼の、  観念において、 規定されてもある、
 宛のものら 、  が、
  どこに、  在り、   在り得るか、  を、
    我々に、 知らせ、 観察させ得る、
目安、 や、 指標とするだけに、  
  物質らへの意味の宛てがいようを、   留めずに、

   まるで、  それ自体が、
有力な存在であり、  何らかの働きを、
自らの力で、 成り立たせもしている、
有力な存在である事が、
自明の理であるかの様に、

  全く、 力としての属性が、無い、
全く、 無力な存在であり、
全く、 どんな働きも成し得ない、
全くの、 怠け者であり、
ただの、 色々な力らの居合わせている、
その、  場  、  でしかなく、

  移動した様にも、  観られ得る、

  『     動的な位置でしかない、
 原子 、  などの、   粒子以下の、  物質ら     』    、  を,

   何らかの力や、 力の源泉などとして、
仕立てて、観せたりもする人々もいるが、

  彼らへ、   その様に観せている、
その観念らの成り立ちようらを宛とした、
一定度合い以上の構築性を成してある、
分析知の体系らが、
そこには、 欠けてあるが為に、

  その様に、 その主に観させている、
観念らの規定性らを思い分けて観て、

   そうした観念事項らを成り立たせ得ている、
からくりや、 枠組みらそのものを解いてゆく、
といった、

  日本の仏教の法相の人々や、
その業績らを踏まえ得た度合を成してもいた、
精神性に基づいて、
 様々な宗派などを成した人々と、
その文化的な継承を成して来た人々が、
取り組んで来てもいる、 列辺 レベ
    ≒        レベル        、 以上の事を、

   そうした人々は、    全く、 できないままに、
  同じ浅瀬で、 足踏みをし、
立ち往生をしているだけであり、


     ゲルマン蛮族員らを、  
自らの先祖らの一部に持つ人々などで、
  羽振りなどがよく、
 世界の人々を主導する、つもりや、
態勢にある事を、   明ら様にして来てもいる、
 人々においても、
大カントを始めとする、
ほんの数人だけを例外として、

  全く、  観念らの矛盾し合う場合もある、
 規定性ら等を宛とする、
思い分かりの体系知らを欠いており、

   日本の、  倫理的な自律性に基づいて成り立つ、
匠の精神性や、道の精神性のある人々までが、

  無意識での、 自己投影の罠に掛かってもいる 、
 せいで、
  観念らへの解枠   トワク   性の度合いを、
ほとんど全く、 欠いている、 そうした者らへ、

  彼らの関わり得る人々の事らをらを、  
 宛居  、   対象とした、
  調停などの事らを成すべき、  
 必要性の度合の甚だしい大きさを、
 思い量りもせずに、
  何となく、
地球社会の事らを任せた気になっている事は、

   自らや、自らの将来世代の人々の、
  命の存続や、 健康性、  の、 一定度合い以上での、 存続を前提とする、
 それらも含む、    在り得る、 福利らを、
自ら、未然に、消し去ってゆく事ら、の、
 組み合わせらが成る方向へ、
 不作為らによる、 後押しを成す事でもあり、


   より早くに、   彼らの精神的な実態らの一般と、
在り得る、  実態らの一般とを、
より体系的に、 思い分けて観てゆく
段階らを成すべき、  利害関係上の立場と、
倫理的な欲求性をみたし得る立場とに、
   観念らへの解枠性を成し得る事において、  
  世界の、  他の文化圏らの主らへ対して、
  最も、 甚だしく、   素養なり、   素質なり、に、
 富み得て来てある、    
 日本国民らの一般は、   在る      】      。


  【     労僕徒    ロボット      、  を買って、
  誰彼が、  その家の事らをやらせる、 とする。

  誰彼の、  家の財産を増す、との、 触れ込みで、  売られている、  僕徒    ボット   、 だ。

   所が、   その買い主が、  金額として機能する、
数値らを、 その僕徒へ、 入力すると、

   その僕徒が、 反対して、 言う 。

  『       ご主人さまの、お金を、
 私が、 預けられますと、

  私に、 財政赤字の分が、 成りますので、
  お預かりできません。

   イギリスや、アメリカの、 富豪らを、
最大手の、 お金の貸し主としている、
欧米のカネ貸したちから、
より、 信用を得て、

  ご主人さまの名義で、 ご主人様の、
 知らない内に、 お金を借りる事を、
より、 出来やすくする様に、
 わたくしの財政赤字を、 できるだけ、
 無い、 状態にする 、
財政の健全化に、  はげみます。

   ギリシャの主権者さま方の、 執事の役の者らも、
その様にして、 ゴールドマン・サックス等の、
投資銀行  、 とも言う、  カネ貸しらから、

  主権者さま方の知らない内に、

  主権者さま方の名義で、 莫大な借金をし、

  見事に、 主権者さま方の資産らが、 大いに、
安売りをされて、

  英米の富豪らの代理の者らへ、
 買い漁    アサ   られ得るようにする事に、
 成功いたしました。

  私も、 ご主人さまを、 同じ目にあわせるべく、
  私が、  財政赤字を成す度合いを、
  できる限り、 減らして、
 ご主人の経済が、  より、 立ち行かない様に、
段取りしてゆく、   所存であります       』 。


  その買い主は、 その僕徒の設定を成した主らへ、  察しを付ける事ができたが、


  日本の主権者である、  日本国民らの大半は、

  自らの、 在り得る、 福利らを、 成し、増す、が、
為に、
  自らが、 雇ってある、  この僕徒に類する、
自らの召し使いの役にある、

  『   日本政府   』  、   というもの、  の、
  運営を任せてある、
 
   これまた、   自らへの、  召し使いの役にあり、
 執事の役にある、     役人ら、  と、 政治家らが、

 『    英米のカネ貸しらの主張する通りの事らを、
オウム返しにして、 主張し、
その、 言うがままの事らを実行して来ている    』 、
にも関わらずに、

  まだ、 その事らの、 本当の、 ありようらも、
在り得ようらも、 観て取り得ては、居ない 。


  その、 実際の、 ありようらと、 在り得ようとを、思いとらえ得た側の、 日本国民らが、

  自ら、   彼らへ、 知らしめ、  より早くに、
日本国民らの足元の地下へ、
避難経路らと、  より、 心地好く住める避難所らを、  作り拡げてゆく、  公共事業らへ、
本腰を入れて、 取り掛かりべき、
心構えを成し得る様に、  導くしかない      】     。


     ☆      日本内外史略   05    ;

     ハディージャ夫人  (  65  )  、  は、 :
 ムハンマド氏の話す事を信じ、

 「  貴方は、神に選ばれた   」 、 と、励ました。

  ムハンマド氏  (   40  )  、  も、
 段々に、自信を持って、
 天使が告げる言葉らを、   周囲の人々へ、
 述べ伝えるようになった。

   その頃に、    アラビア、 というか、
 西アジアの全体では、   自称の預言者らが、  
いくらでもいた、とはいえ、
  やはり、   周りから見れば、
 気が触れた、としか見えないので、
最初の頃は、 誰も、彼を相手にしてくれなかった。

  最初の信者になった、ハディージャ夫人を除くと、
かろうじて、 ムハンマド氏の親友中の親友である、
 アブー・バクル氏と、
  従兄弟の、  アリー氏だけが、  信じてくれた。


   時には、 遠くの町へ行って、説教をしたが、
  相手にされないばかりか、石を投げられもした。


  が、  じわじわと、  彼の言葉に、
耳を傾ける人たちも出てくる。

  メッカの長老たちは、
 ムハンマド氏の事を、
「   若者を煽動する危険人物   」  、 と、みなして、   暗殺計画を立てた。
 
 それを察知した、ムハンマド氏は、
夜陰に紛れて、支持者のいる北方の町、
ヤスリブへ逃れた。

  暗殺者らをかわす為に、
 ムハンマド氏の寝床には、   アリー氏が、
代わりに、横になり、
 襲ってきた刺客らを、 軽く撃退した後で、
  ムハンマド氏の借金の全てを、
 代わりに、  返してから、
 ムハンマド氏をを追いかけて行った。


  ハディージャ夫人は、  この時点では、
 すでに、 亡く、    
 これが、   西暦、の、   622年  。


    イスラーム暦の元年になる。

   日本では、 この、622年に、
 聖徳太子が、  亡くなり、


   643年には、   聖徳太子の子である、
   山背大兄    (     やましろ・の・おおえ    )    王
、 を、  始めとする、   太子の子孫員らが、
  蘇我入鹿     (    そが・の・いるか      )     により、
 殺されてから、
  蘇我入鹿が、  
 中大兄     (    ナカのオオエの   )
 皇子、  や、   中臣   (    ナカトミの   )
  鎌足氏らの計画により、 暗殺される、
 乙巳    (   いっし   )        の変、  を、
 645年、 に、    迎える事になる。


   ヤスリブへ逃れた、ムハンマド氏は、
   ヤスリブで対立していた、二つの部族らの争いを、 『   公平な第三者   』    として、
 巧みに、  仲裁した。


 【     有効な仲裁ができる、調停者と成り得た、
  という事は、

   ムハンマド氏が、  争い合う、 2つの部族の、
 主だった人達において、  彼らと肩を並べる、
 同格以下の人たちよりも、
 高い権威性を認められるに至っていた 、
事 、  を、 示唆    シサ   する。


  日本の戦国時代においては、
 皇室や、 足利将軍家の権威性が、
 争い合う大名らから、 調停者として、
選ばれる要因に成り、

 ローマ教皇の権威性を否定した、
宗教改革による、宗教戦争の時代には、
  争い合う勢力らから、 調停者として、
選ばれるのに相応しい以上の、
権威性を認められた存在を無くした為に、

  徹底した、殺し合いが繰り返される事に成った。


  歴史的な権威者や、 宗教的な権威者を無くす事は、
  それをした社会の人々にとって、     互いに、
 互いを、 徹底した、  実力勝負の泥沼に沈め合う、  リスクを生み出す事になる      】   。

    
  【     足利時代に、   地方へ都落ちをした、
公家員らの幾筋かが、  その落ち着き先の、
地元の豪族らの争い事を調停してゆく内に、
豪族らなどの内情事らを知り深め得もしながら、
 彼らを取り仕切る、 大名に成って行った様に   】、    

   いつの間にか、  ヤスリブの指導者になった。